『東海道お化け道中』(とうかいどうおばけどうちゅう)は、1969年(昭和44年)3月21日に大映配給で公開された大映京都撮影所製作の時代劇、特撮映画。併映は『ガメラ対大悪獣ギロン』。カラー、大映スコープ、78分。ときは江戸時代、藤川宿にある妖怪を祀った「鬼塚」の塚守りである甚兵衛は、やくざの刃傷沙汰に巻き込まれて「鬼塚」を壊され、斬られてしまった。勘蔵親分率いる火車(ひぐるま)組は、不正を暴く書付を巡って、宮守の仁兵衛親分の口を封じたのである。しかし、ちょうどこの日は全国から妖怪がこの「鬼塚」に集まる日だった。やくざたちに聖域を汚され怒り狂う妖怪たちは、火車組に因果応報を言い含めるのだが、欲に目の眩んだやくざたちは妖怪たちの警告に耳を貸そうとはしなかった。一方、幼い娘・美代は、いまわの際の甚兵衛から本当の父親のいることを告げられ、東海道を一路上り、浜松の由比宿を一人目指すことになる。だが、鬼塚で拾った仁兵衛の書付のために、火車組の五郎吉と紋太に追われる身となってしまった。だが、そんな美代を助ける頼もしい仲間が加わった。馬子の新太、そして訳あり風の渡世人、銭座の百太郎だった。だが勘蔵親分は仁兵衛の子分、賽吉をそそのかし、美代と百太郎を狙わせる。また、火車組の用心棒を務める浪人・権九郎も百太郎を斬りたがっていた。さらに、やくざたちに塚を壊され怒り狂う妖怪たちが、行く先々でやくざたちに襲い掛かる。果たして美代は父に会えるのであろうか?『妖怪大戦争』『妖怪百物語』京都の妖怪三部作」と称される作品である。春休み興行作品として、大映東京撮影所制作の『ガメラ対大悪獣ギロン』(湯浅憲明監督)との二本立てで公開された。「妖怪物」の体裁をとってはいるが、内容は「生き別れの父と娘」、「やくざのイカサマ博打」、「勧善懲悪」などの定番要素をすべて盛り込んだ、正統派「人情股旅物」の時代劇となっており、妖怪たちの劇中での描写は全二作に比べて尺も少なく、控えめとなっている。本作での妖怪について、黒田義之監督は「普通の時代劇の中に妖怪を引っ張り出して、悪を滅ぼすという話」としていて、「これは妖怪を人間だと思って撮りました。人間にはいろんな人がいますが、妖怪の方が人間よりずっとましですよ」とコメントしている。劇伴音楽は『妖怪百物語』(1968年)に続いて渡辺宙明が担当。録音は京都で行われるため、渡辺はギター、ベース奏者を連れて、京都での録音に立ち会って細かい指示を出したといい、「大変でした」と語っている。妖怪の描写に使われる主旋律は、アレンジされて3年後に渡辺が担当するTV特撮映画『人造人間キカイダー』、『キカイダー01』(東映、NET)に活用されている。渡辺は「私のファンの方には“宙明節の原点ここにあり”と思って聞いていただけると嬉しいですね」とコメントしている。妖怪造形は前二作に引き続き、八木正夫を代表とする造形会社「エキスプロダクション」が担当した。衣装の制作は東京の工房で行い、京都の撮影所に持ち込んでいる。エキスプロは撮影にも立ち会っている。「大映妖怪三部作」すべてに登場する「白粉婆」役の山村嵯都子は大映京撮出身のベテランで、のちに原口智生監督の映像作品『さくや妖怪伝』(2000年)と『跋扈妖怪伝 牙吉』(2003年)でも白粉婆を演じている。原口監督の要請に応え、齢70を越える山村は、本三部作を懐かしんで嬉々として妖怪を演じてくれたという。妖怪たちのほとんどは前二作に続き、大阪の児童劇団の子役が演じている。
出典:wikipedia
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