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犀川 (石川県)

犀川(さいがわ)は、石川県金沢市を流れ日本海に注ぐ二級河川。浅野川の愛称「女川」に対して、男川と呼ばれ親しまれている。雅名は、菊水川(きくすいがわ)。石川県金沢市の南端に位置する奈良岳に源を発し北流。金沢市街を流れ、金沢市普正寺町の金沢市金石西との境界から日本海に注ぐ。金沢市中川除町の河畔には、この川を愛した詩人室生犀星の文学碑(谷口吉郎設計)が建っている。犀川上流の水を金沢城に引いた辰巳用水が江戸時代初期に建設され現在も流れている。そのほか金沢市内を流れる数々の用水が取水しており、市民の水資源として重要な役割を果たしている。上流には犀川ダム、内川ダムがあり、さらに2008年(平成20年)度からは洪水対策として、辰巳ダムを建設中である。また、浅野川の洪水防止のため、浅野川の水を犀川に分水している。河口の金石港(かないわこう)は、江戸時代以前は宮腰(みやのこし)と呼ばれ、金沢の外港として重要視された。古くは中流域で、大きく二流に分かれて流れていたが、江戸時代初期の治水工事で概ね現在の流れになり、香林坊付近を流れていた川道は鞍月用水や金沢城の外堀に転用された。佐奇神社(さきじんじゃ)の近くを流れる事から佐奇川となり訛って「さいがわ」になったとされている。男川の通称は泉鏡花が1919年(大正8年)発表の長編小説『由縁の女』の作中で浅野川を女川と表現したことの対比とされている。犀川の雅名である菊水川の名は金沢市内の「菊川」、「菊水町」等の町名、「上菊橋」「下菊橋」という橋の名前に転じている。かつてはアユ・ゴリ・マス・ナマズ・ドジョウなどの淡水魚が豊富で、ゴリの佃煮が金沢名物として知られている。2003年(平成15年)には、上流域の地層から全長が1mを超すとみられるサケの化石が発掘され話題となった。金沢市内の大桑貝殻橋から大桑橋までの河床には新生代第四紀前期から中期の貝化石を多く産出する大桑層の模式露頭が広く分布する。1930年(昭和5年)に、金沢市末町に末浄水場(近代水道百選・登録有形文化財・名勝)を開設。寺津用水を取水源とし、金沢市内への上水道供給を開始した。その後、犀川ダムからの供給も行っている。水力発電は、1900年(明治33年)に金沢電気によって辰巳発電所を開設したのが始まりである。金沢電気瓦斯と改称した後、金沢市が事業を買収し、発電事業が行われた。配電統制令により北陸配電(現在の北陸電力)に市営の発電所は接収されるが、第二次世界大戦後に行われた犀川総合開発事業により、発電事業が北陸電力から復元されてからは金沢市ガス水道局(現在の金沢市企業局)によって行われている。現在、犀川には3か所の市営発電所(全量北陸電力に売電)がある。特に記載のないものはすべて金沢市道である。"河口より記載" "60452

出典:wikipedia

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