アイリーン・ウォーノス("Aileen Wuornos"、1956年2月29日 - 2002年10月9日)はアメリカ合衆国の連続殺人犯である。1989年から1990年にかけてフロリダ州で7人の男性を殺害したが、その全てについて、娼婦として働いていた時にレイプされた、またはされそうになったためと主張した。彼女は、有罪判決を下され、6件の死刑宣告を受け、2002年に薬物注射によって死刑が執行された。1956年、ミシガン州ロチェスターで父レオ・デイル・ピットマンと母ダイアン・ウォーノスの間にアイリーン・キャロル・ピットマンとして生まれた。ダイアンは15歳でレオと結婚し、キース(1955年生)とアイリーンの2人の子供をもうけた。しかし、アイリーンが生まれる2ヶ月前に離婚し、彼女が4歳のときに兄妹を捨てて出て行ってしまったため、2人は祖父母に育てられた。アイリーンは父親に会ったことはないが、彼は精神病を患い、児童を虐待した事もあったためカンサス州やミシガン州の精神病院に入退院を繰り返した。1969年、13歳の少女に対する強姦罪で有罪となり服役中に自殺した。アイリーンによれば、彼女は祖父から肉体的、性的な虐待を受けた。また祖母はアルコール使用障害であった。彼女はかなり若い頃から複数の異性と性的な関係を持ったと語っており、その中には兄のキースとの近親相姦も含まれていたという。14歳で妊娠した彼女は家族から縁を切られ、1971年にデトロイトの病院で子供を出産。その子はすぐに養子に出された。アイリーンは森の中の廃車の中で暮らすことを余儀なくされるが、後に未婚の母親たちのための施設に送られた。1971年に祖母が亡くなった後、アイリーンは学校を辞め、娼婦として生計を立てるようになった。1974年、飲酒運転中に車から銃を発射し、コロラドで逮捕された。その後ミシガンに戻り、1976年にはバーでの暴力行為で再び逮捕されるが、アイリーンは罰金を喉頭がんによって21歳で死去した兄キースの生命保険で払い、残りの金を浪費した。同年、ヒッチハイク中にフロリダで69歳の裕福な男性ルイス・フェルに出会い、2人はすぐに結婚した。この結婚は彼女の人生を変えるチャンスであったが、アイリーンはフェルに辛く当たり、バーで暴行事件に巻き込まれるなどしたため、1ヶ月後にフェルにより結婚無効を申し立てられてしまった。1981年、フロリダのエッジウォーターで、ビキニ姿でコンビニエンスストア強盗を働いた容疑で逮捕され、翌年刑務所に送られたが13ヵ月後に釈放された。1984年にはキー・ウエストの銀行で偽造小切手を使用しようとした容疑で逮捕された。1985年12月には銃と弾薬を盗んだ疑いがかけられ、11日後に無効な運転免許で運転していたために拘束された。1986年1月、重窃盗罪で逮捕された。マイアミ警察は彼女が運転していた盗難車からリボルバー銃と弾薬を発見した。同年、デイトナのゲイバーでティリア・ムーアという24歳の女性と出会った。すぐに恋人同士になり、一緒に暮らすようになった。ティリアはホテルのメイドの職を辞め、アイリーンが売春で稼ぐ手助けをした。二人の恋愛感情は1年ほどで冷めたが、信頼しあえる友人として一緒に行動し、安ホテルだけでなく古い納屋や森の中で夜を過ごすこともあったという。1987年、デイトナ・ビーチ警察は男性に対する暴行容疑でアイリーンとティリアを勾留した。同年、アイリーンは無効な運転免許の保持、州間高速道路を歩行したことで召喚状を受ける。1988年3月、デイトナ・ビーチでバスの運転手が暴行を働いたとして訴えた。アイリーンは運転手が口論の末に彼女をバスから押し出したと主張した。7月にはアパートで無許可でカーペットを剥がし、壁を塗り替えるなどの破壊行為により大家から訴えられた。1989年頃には、彼女の振る舞いは明らかに常軌を逸したものとなっていった。好戦的になり、出かけるたびに誰かと口論を引き起こし、実弾を装填した銃を携帯するようになる。売春と盗みで生計を立てていたが、(娼婦としては)高齢であったことなどからなかなか客がつかなかったために必要最低限のものを買うのにも事欠くようになった。1989年、アイリーンを車に乗せたリチャード・マロリー(Richard Mallory)というTV修理業を営む51歳の男性が最初の犠牲者となった。後に次々と5人の男性の遺体が発見された。マロリーを除いた被害者は下記の通り。アイリーンとティリアは、犠牲者の一人ピーター・シームズの車の運転中に事故を起こしたことから捜査線上に浮かび、数ヶ月後に潜入捜査官の手により逮捕された。アイリーンはマロリーの件に対して、彼が彼女をレイプしようとしたと正当防衛を主張したが、1992年に有罪判決を受けた。ティリアは警察に協力するようになっていた。同年11月にマロリーが別の州において暴力的なレイプ行為により10年服役したことが明らかになったが、彼女に再審の機会は与えられなかった。1992年3月、アイリーンはディック・ハンフリーズ、トロイ・バーレス、デイヴィッド・スピアーズを殺害した容疑を認めた。6月にチャールズ・キャルズカドゥーン殺害容疑も認め、5つ目の死刑判決を受けた。1993年2月にはウォルター・ジーノ・アントニー殺害容疑も認めた。ピーター・シームズに関しては遺体が見つからなかったために起訴されなかった。アイリーンは彼女の犯した犯罪に関して、つじつまの合わない供述をしている。7人の男性を別々の機会に殺害したことを語っている。アイリーンは彼らにレイプされたと主張したが、後にその主張を撤回している。最初の死刑判決後、それこそが彼女が望んでいるものだと語った。2001年になると、なるべく早く死刑が執行されるようにと働きかけだした。彼女は 「私はあの男達を殺して、冷酷に金品を奪った。そしてもう1度やるだろう。だから自分を生きたままにしておくのは何の益にもならない、また殺すと思うから。…自分は法的能力があり、正気で、真実を語ろうとしている。私は人間を憎み、また殺人を犯すだろう」 と語った。2002年10月9日に薬物注射によって死刑が執行された。アイリーンは1976年の最高裁による死刑解禁判決以来、アメリカで死刑になった10番目の女性である。最期の晩餐は、予算2000円以下で希望のものを注文できるが、彼女はこの制度を利用せず、代わりに1杯のコーヒーが与えられた。死後、彼女の遺体は火葬され、親友ドーン・ボトキンスの手により生まれ故郷のミシガン州にある樹の下に撒かれた。葬儀では彼女の希望によりの歌が演奏された。ナタリーは、製作中のドキュメンタリー映画を観て彼女の境遇に大いに同情し、自分の楽曲の使用を快諾していた。1991年の米国映画『テルマ&ルイーズ』はアイリーンとティリアの物語をモデルとしている。ただし大きく脚色され事実と異なることが多く事件を取り上げた伝記映画という位置付けではない。2003年、アイリーンの伝記映画『モンスター』がアメリカで公開された。映画の中では特にアイリーンとティリアの関係に重点が置かれている。主演のシャーリーズ・セロンがアカデミー主演女優賞を受賞した。また、同年、ドキュメンタリー映画 『シリアル・キラー アイリーン 「モンスター」と呼ばれた女』 が制作されている。この映画には処刑前日のアイリーンへのインタビューも納められている。
出典:wikipedia
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