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Aliene Ma'riage

Aliene Ma'riage(アリエネ マ・リアージュ)は、かつてKEY PARTYに所属していたヴィジュアル系インディーズロックバンド。1998年から2001年にかけて活動した。衣装を纏った外見とは裏腹に、悲鳴に限りなく近いシャウトを頻発するヴォーカルや、ハードロックに影響を受けたメロディアス且つ激しいギタープレイで、独特なゴシックサウンドを作り上げた。古のヨーロッパを舞台にした物語と、狂華(voice)の精神世界を吐露した猟奇的な世界を描いた歌詞は、メジャー流通のCDでは掲載できない事もあった。過激なライブパフォーマンスに乗せられて熱くなったファンがステージに登ってしまう事もあった。2000年後半辺りから機材を一新し、現代的な世界観に寄り、それまでにもあったハードコア的な要素をより強調した音作りをするようになる。ドラムに正式メンバーは居らず、サポートにはSPEED-iDのJ.P.HAL.Jが就いた。狂華の説明によれば、バンド名の「Aliene Ma'riage」は、訳すれば「狂人の花嫁」となるが、「Aliene」には「アリエネーション」の他に「エイリアン」の意が含まれており、「Ma'riage」は「花嫁」ではなく、ダッシュを記号に変えて、十字架に縛られた「Ma'ria」を意味している。「Aliene Ma'riage」の真の意味は「狂人の花嫁=人では無い、Ma'ria」。そして「人では無い、Ma'ria」は「人になる事を望んだMa'ria」なのだ、という。華美な衣装を纏った外見とは裏腹に、悲鳴に限りなく近いシャウトを頻発する。精神世界を吐露した猟奇的な世界を描いた歌詞が特長。その後はLa'MuleとYOU-YAとと秀暁達とPink-Tribalというバンドを結成した。ハードロックに影響を受けたメロディアス且つ激しいギタープレイが特長。解散後はいくつかのバンドを得てVABELと言うバンドを結成。後にRayとDead Childrenを結成し活動している。バンドのリーダーで激しいベースプレイが特長。コーラスも務めていた。解散後はvinettを結成するが、2004年に脱退。後にネガを結成。途中、MASTが過去に活動したMILのサポートも務めた。現在はMASTと共にDead Childrenを結成。1998年3月、関西のローカルバンドautismを前身として結成された。同年5月よりシークレットのライブ活動を始め、6月27日に新宿LOFTでファーストライブを行う。8月には初の音源『傀儡人形』を発売。その後も、東京近郊のライブイベントに継続的な出演をし、翌年1999年1月、池袋CYBERにて「古の愛物語(ストーリー)」と題したワンマン公演を3ヶ月続けて行う。その頃、狂華とRayの音楽的な対立から、両者共に非常に険悪な状態になっており、当初1月に発売予定のアルバムも、製作を前年10月に開始しながら未だ完成を見ていなかった。だが、ワンマン公演の間に発売された所属事務所のオムニバスアルバムに、パイロット版として収録した「"SUICIDE"」で手応えを掴んだバンドは、音楽性をより激しく、よりダークネスな方向へと絞り、"SHOXX"主催イベント「SHOCK WAVE 春の陣」の出演の後、5月にファーストアルバム『"Les Soirée" 夜の舞踏会/洗礼の章~生誕篇』を発表した。同月30日、渋谷公会堂で行われたKEY PARTY主催のイベント「HOLD YOUR KEY ~鍵を握れ!」に出演し、時計盤を摸したアルバムの視覚的なインパクトも手伝って、全国的にその名が知れ渡る事となる。続くアルバム『"Les Soirée" 夜の舞踏会/断罪の章~神罰篇』の発売に併せ、7月から全国でインストアイベントを実施。同時に「HOLD YOUR KEY TOUR '99」の東名阪公演、「SHOCK WAVE 夏の陣」にも出演するなど精力的に活動を続け、10月22日、渋谷ON AIR WESTにてワンマン「夜の舞踏会~"Les Soirée"」を敢行する。そして12月には、写真集『"Les Soirée"~完結篇』を発売し、同月26日に開催された渋谷ON AIR EASTでのワンマン「夜の舞踏会~"Les Soirée"(異形の晩餐)」を以て、「"Les Soirée"」を冠した「第一部」を完結させた。2000年1月発売のKEY PARTYのオムニバスに1曲参加した後、4月から初のワンマンツアー「洗礼の章」をスタートする。札幌、福岡を含む全国を廻り、4月28日発売のビデオ『舞踏会の絵』購入者に向けたインストアイベントも併せて実施するが、このツアーはメンバーにとって決して納得できるものではなかったようだ。ツアーから帰ったバンドは夏に発売されるシングルのレコーディングを始めた。それまでは、レコーディングの度にメンバー間で必ずと言っていい程揉めていたが、狂華は「ある曲」を収録することを条件に楽曲の製作を楽器陣に完全に委ねる事を約束し、その為かレコーディング作業は限りなく順調に進んだ。レコーディングが終わると、5月に日比谷野外音楽堂で開催されたイベント「HOLD YOUR KEY 2000」のアンコールツアーに参加。8月からNoir fleurir、Missalina Reiらと全国10ヵ所を共に廻り、このツアーの中でファーストマキシシングル『"Ma’ria"』は発売された。10月、渋谷ON AIR WEST 2DAYS「"La Matinée"~高貴なる血族祭」開催。それに伴いオフィシャルファンクラブが設立される。この公演の2日目、狂華はそれまでトレードマークだった真紅の長髪を切り捨て、色も黒く染めてファンはおろかスタッフやメンバーまでもを驚かせた。その後、「ラ・マチネ アンコールライブ」として急遽発表された目黒鹿鳴館3DAYS公演を12月初頭に行い、23日には池袋CYBERのイベントに出演するが、この日を境に表立った活動が殆ど無くなった。2001年に入ると、『"M’aria"』の初回版に収録されていた「"M"」を楽曲化したというアルバムを、狂華のソロ名義で発表する。これには当時停滞していたバンドのムードを打破しようという狙いが狂華にはあったらしい。そして、それに触発されたMASTとRayもそれぞれソロアルバムを製作し、ファンクラブ限定で販売された。3月にはニューアルバム『21st century』を発売するが、その直後にバンドの解散がファンクラブ会員に向けて発表され、5月11日の目黒鹿鳴館ワンマンを以て解散。その後、数年の時を経て実現した限定復活イベントのトークショーにて明かされた突然の解散理由は、メンバー各人の自立の為との事だった。解散から10年。11月赤坂BLITZにてKISAKIプロデュースによる90年代ビジュアルシーンを一世風靡したアーティスト、バンドを集めたイベント「輪‧廻‧転‧生~A RETURN of "VISUAL MONSTER"~」を開催し一日復活を果たした。3月、「輪・廻・転・生-Matina VS UNDER CODE PRODUCTION-」池袋CYBERにて復活を果たし、更には3月31日と4月1日ESAKA MUSEにて2日間一日復活を果たした。2000年10月27日からの渋谷ON AIR WEST 2DAYS公演「"La Matinée"~高貴なる血族祭」より、オフィシャルファンクラブ「La Matinée」発足。入会特典として、書き下ろし曲を収録したCDのプレゼントがアナウンスされていたが、キーパーティー本社及びレコーディングスタジオの移転・拡張工事の影響を受け、大幅に製作が遅れる事になる。その他、会報の隔月発行やトークイベントの開催等、会員限定のサービスが充実していたが、バンド解散に伴い一年と保たずに消滅した。2冊だけ発行された会報は共に短冊形12頁の形態をしており、使用楽器の紹介、過去に発売された音源のレコーディングエピソード等が掲載された。その他にも、「○○の部屋」というタイトルを冠された、メンバーが自由に内容を決めて執筆した頁がそれぞれ1~2頁ずつあり、「狂華の部屋」では2号に亘り自らの飼っているペットを紹介し、「MASTの部屋」は1号で「マストの、ギターキッズのための名盤紹介」としてハードロックアルバム(ミスター・ビッグ、オジー・オズボーン)を紹介、2号では「SUICIDE」や「Vargin Mary」のギターTAB(一部)を掲載、「Rayの部屋」は仲の良いプロレスラーの試合を観戦したときのコラムや行きつけのCDショップを紹介した。主だったものを記載。

出典:wikipedia

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