鳥居(とりい)とは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である。鳥居を立てる風習は、神社の建物がつくられるようになる前から存在した。古来日本では、屋根のない門という意味で「於上不葺御門(うえふかずのみかど)」ともいった。中国の「華表」の訳を鳥居とするので、過去には漢文で「華表」と記したこともあったという。鳥居は一般的には神社を象徴するものとして捉えられているが、仏教寺院にも見られることがある(→神仏習合)。一方で鳥居を持たず楼門(随神門)をもつ神社も存在する。戦後の区画整理により境内が縮小されたり移転したため、現在の神社境内とはかけはなれた場所に孤立している鳥居もしばしば見かけられる。御陵に建てられていることもある。図案(意匠)としては神職であった氏族や家(いえ)が家紋として用いることがあるほか、現在の地図記号では神社を意味する。また、俗用として鳥居ではないが鳥居と誤解しやすい程度に似せたもの(細部が違う)を小便無用、不法投棄のごみ除けなどに利用されることがある。俗信においては、鳥居の上に石を投げて乗せると願いが叶うといわれることがある。信仰のあり方の一つとして寛容な社寺もあるが、投げ上げる際に危険であり鳥居の上に乗った石がいつ落下するか分からず参拝者として本来慎むべき行為である。また鳥居の美観を損ない破損させる原因となる。数え方は、「1基、2基」と数える。一般にひとつの参道に複数の鳥居がある場合は、一番外側から「一の鳥居、二の鳥居…」と呼ぶ。また、神社の前に形成された町のことを「鳥居前町(とりいまえまち)」と呼ぶことがある。稲荷神社などの鳥居が朱色であるのは、古来その色が生命の躍動を表し災いを防ぐとして神殿などに多く使われたためで、これが鳥居にも影響しているとされる。鳥居の起源については諸説あり、考古学的起源についてはっきりしたことは分かっていない。単に木と木を縄で結んだものが鳥居の起こりであると考えられる。文献に徴すれば古くは「於不葦御門(うへふかずのみかど)」(皇太神宮儀式帳)と称して、奈良時代から神社建築の門の一種としている。いずれにせよ、8世紀頃に現在の形が確立している。そのほか主要な説として、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から誘い出すために鳴かせた「常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を置いたことが起源であるとする説、日本の冠木門に起源を求める説、インド仏教にみられるトラナや中国の華表や鳥竿、牌楼(ぱいろう)、朝鮮半島の紅箭門(こうぜんもん・ホンサルムン)、イスラエルの移動型神殿、雲南省とビルマとの国境地帯に住むアカ族()の「村の門(ロコーン)」など海外に起源を求める説などがある。また、ユダヤ教と関連があるとする説もある(日ユ同祖論)。満州には鳥居のような冠木門が見られる。現在の雲南省とビルマとの国境地帯に住むアカ族(英語:Akha、中国ではハニ族)の「パトォー・ピー(精霊の門)」という村の入口の門では、上に木彫りらしき鳥が置かれることや、鳥を模した造形物を飾る風習もあることが実地を調査した研究者から報告されていることから、日本の神社でよく見られる「鳥居」の原型は、アカ族らが長江流域から南下、避難してくる前、長江流域に住んでいた時代(百越人であった時代)の「鳥居」ではないのか、という説もある。アカ族の村の門には鳥の木形が置かれるが、同様の鳥の木形は日本での稲作文化の始まりとされる弥生時代の遺蹟である池上・曽根遺跡や纒向遺跡でも見つかっており、また他にも多くの遺蹟でも同様である。そのほか、更に遡った歴史観として「鳥居を赤く染めるのはユダヤ教(旧約聖書)の影響を受けてる。」とか「秦氏はイスラエルの失われた10支族の一族だ。」という日ユ同祖論にもとづく説も見られるが、疑似科学の域を脱するものではない。語源についても同様に不明である。鶏の止まり木を意味する「鶏居」を語源とする説、止まり木(あるいは神前止まり木)説、「とおりいる(通り入る)」が転じたとする借字説、トラナを漢字から借音し表記したとする説などがある。Karow&Seckelは鳥居の名称を鳥(Vogel)そのものに求め、死者の家として家屋の中心部だけを残して崇敬の対象としたとの説をとる。構造そのものに着目した説としては、鳥居桁(架木)説とでも呼ぶもので、そもそも建築用語として高欄の横木の最上部のものを鳥居桁と呼ぶことは奈良時代の資料から明らかになっており、障子の上桁の横木を鴨居と呼ぶのと同じく、「トリイ」とは古来からの建築用語であり、これが神社門に転じたとする説である。奈良時代に「トリイ」の語は建築用語として存在し、平安初めに一般神社門は「トリイ」と俗称され、平安中期にはこの名称が庶民によって用いられたとする。2本の柱の上に笠木(かさぎ)、2層の水平材とする場合に上層の笠木に接して島木(しまぎ)を渡す。その下に貫(ぬき)を入れて柱を固定したのが一般的な鳥居の構造である。他に、貫と笠木の間に額束(がくづか)を建てることがあり、柱下部に亀腹(かめばら。饅頭ともいう)を施したり、掘立であれば根巻きや根巻き石(ねまきいし)を施すことがある。笠木と柱の間に台輪(だいわ)という円形の保護材をつける例もある。鳥居の分類は大別すると、柱や笠木など主要部材に「照り」や「反り」、(柱の円柱加工を含まない曲線を表す加工)があるかないかである。照りや反りが施された代表例としては明神鳥居(みょうじんとりい)があり、それらが施されない代表的な例としては神明鳥居(しんめいとりい)があげられる。材料は木材(檜・杉など)で造られた「木鳥居」、石で造られた「石鳥居」、銅板で全体を葺いた鳥居を「銅鳥居・金鳥居(かなどりい)」などが一般的。銅鳥居は、「唐金(からかね)の鳥居」と呼び、江戸時代には浮世絵などに描かれている。ただし、木製は土に触れていると腐り、さらにシロアリに食害されてしまうことも考えられる。がある。佐賀県西松浦郡有田町にある陶山神社の鳥居は陶磁器製、京都府八幡市にある飛行神社の鳥居はジュラルミン製、秋田県八郎潟町にある副川神社の鳥居は塩化ビニール製である。その他にも鉄筋コンクリート製や鉄パイプ製のものなどがある。氏子の負担を軽減させるため建て替え時には安価で耐久性にも優れた硬質塩化ビニール製の鳥居が選択されることも増えてきている。建てられる鳥居の形式は寄進者の好みによることが多く、鹿島神社に春日鳥居が建てられるようなこともあるように祭神と関連を持つことは少ないが、山王鳥居は日枝神社(山王神社、日吉神社)になどと結びつくものもある。神明鳥居に代表されるものは、柱や笠木は丸材を用いることもあるが、全体的に直線の部材が用いられる。神明鳥居は素朴な形式で、全体的に直線的である。笠木柱には丸材、貫には板材が用いられることが多い。笠木の下に島木がなく、貫は貫通せず、柱は地面に対し垂直に立てられている。伊勢鳥居とも言うように、伊勢神宮において現れたと考えられており、この類に外宮鳥居がある。この形式のバリエーションとして、貫に角材を用いたものが、靖国神社をはじめとする各地の護国神社で広く見られることから、特に靖国鳥居と区別することがある。春日鳥居、鹿島鳥居、八幡鳥居の類は、明神鳥居と同様に、笠木の下に島木があり、貫が貫通し、春日・八幡鳥居の柱には転びが施されるが照りや反りは施されない。ちなみに、春日鳥居と八幡鳥居は、笠木と貫の木口を斜めに切るか切らないかの違いのみで主要部は同様に造られる。明神鳥居は笠木の下に島木があって反りが加えられている。柱は地面に対して少し傾斜(転び)をつけて立てられている。宇佐鳥居以外は笠木と貫を額束で連結して補強している。飼い主と散歩中の犬によるマーキングや、人による立ち小便を抑止する目的で、塀などに小さな鳥居風の置物を取り付けたり、鳥居風の図を描いたりする事例が見られる。これは神聖なものである鳥居に小便をすると罰が当たるという日本人の心理を利用したものとなっており、、また「設置自体が罰が当たるのではないか?」という日本人の心理に対しては鳥居とは構造の比率が変えてあるなどの工夫もされている。ゴミの不法投棄を減らす目的でも、鳥居風の置物は利用されている。設置した場所は不法投棄が減った事例があり、逆にこれを設置しすぎた為に効果が薄れたと考えられている事例もある。
出典:wikipedia
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