高井戸インターチェンジ(たかいどインターチェンジ)、高井戸出入口(たかいどでいりぐち)は、東京都杉並区にある首都高速道路4号新宿線と中央自動車道のインターチェンジである。首都高速道路と中央自動車道(中央道)は、高井戸インターチェンジ(高井戸IC)で接続している。従って、このICは首都高速4号新宿線の終点であると同時に中央道の起点である。しかしながら、中央道下り線へは一般道からの入口はなく、首都高速道路本線(首都高速4号新宿線)からしか入れないスリークオーターICとなっている。このため、中央道下り方面を利用するには、都心方面手前の首都高速4号新宿線永福出入口を利用して首都高速道路から乗り継ぐか、名古屋方面に一般道を進んで中央道調布インターチェンジを利用する必要がある。高井戸インターチェンジに下り線入口が設置されていないことについては、、かねて運輸業界のドライバーなどから不便との声があがっており、東京商工会議所世田谷支部からも「経済損失は大きく、大規模災害時の対応にも支障がある」として建設の要望書が出されている。高井戸ICは東京都道311号環状八号線や甲州街道との接続地点に位置し、本来であれば東名高速道路の東京インターチェンジ(東京都世田谷区)や、関越自動車道の練馬インターチェンジ(同練馬区)同様、中央道の東京側玄関口となる計画であった。ところが実際には中央道への入口は設置されておらず、円滑な交通の妨げとなっている。高井戸ICが現状のような変則的な構造として設置されているのは、高井戸・久我山など杉並区住民が、「中央道への入口が設置されると道路が混雑して環境が悪化する」として激しい建設反対運動を展開した結果である。実際のところ杉並区においては、特に1970年代から1980年代にかけて、革新系議員を中心として高井戸IC建設に反対している。ただし杉並区は要望書を提出しており、烏山シェルターの手前に入口用の用地は確保されている。また、後年杉並区が行ったアンケート調査では、高井戸ICに中央道方面への入口が設置されていないことの不便や、中央道方面への入口設置を求める回答が杉並区民自身から多く示されている。さらに、事業者である中日本高速道路会社は日本高速道路保有・債務返済機構との協定において、2021年(平成33年)3月末までに高井戸インターチェンジ下り線入口の開設工事を完了するとの計画を明らかにしている。革新系杉並区民や高井戸地区住民らによる建設反対運動の結果として1976年(昭和51年)以降も着工されないままの状態が続いていた高井戸インターチェンジの八王子方面下り線への入口(オンランプ)であるが、構想から50年を経て、2020年(平成32年)度末にも開設される可能性があることが報じられている。これは、インターチェンジ付近にあり反対運動の根拠のひとつとなっていた杉並区立富士見丘小学校が移転する見通しとなったことによるもので、新たに設置される下り線入口の設置場所としては環八通り西側すぐと、さらに西側に進んだ現在の杉並区立富士見丘小学校前とする二案がある。一方、高井戸ランプの開設を巡っては、日本道路公団(当時)と東京都、杉並区、杉並区立富士見丘小学校、同小学校PTAとの5者からなる「五者協議会」において、1976年(昭和51年)4月に「確認書」が交わされた。ここでは高井戸ランプの工事及び供用は継続協議とされており、未解決のまま強制着工されることはないと思われていたが、経済界や政府与党からの後押しを受けて1986年2月に上り線出口(オフランプ)が着工され、同年3月に供用を開始した。しかしながら入口側は現在でも凍結状態のままであり、今後とも住民との合意形成が着工の前提となっている。中央道建設に反対する激しい住民運動の結果を象徴する施設のひとつとして、高井戸出口に隣接する「烏山シェルター」がある。これは中央道本線上に存在するトンネルで、実際には高井戸出口に隣接する高架橋区間が全長約240メートルに渡ってシェルターで覆われているものである。この設備は「高井戸トンネル」とも通称され、高速道路への騒音や粉塵を防ぐことを目的としている。この区間には中央道建設工事開始後の1966年(昭和41年)から1968年(昭和43年)にかけて竣工した公団住宅・烏山北住宅(東京都世田谷区北烏山二丁目、三丁目)や、都営住宅・烏山アパート(同二丁目)などがあり、住民運動の結果、このシェルターの設置が中央道調布IC-高井戸IC間の開業条件のひとつとされたものである。高架橋であるこの区間の高架下には当初、一般道路が設置される予定であったが、これも周辺住民の反対の結果、現在に至るまで更地(団地内の「広場」と称する)のままとなっている。
出典:wikipedia
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