国鉄キハ40系気動車(こくてつキハ40けいきどうしゃ)は、1977年(昭和52年)から1982年(昭和57年)にかけて日本国有鉄道(国鉄)が製造した一般形気動車(ディーゼル動車)である。これは国鉄の車両称号規程に則った制式の系列呼称ではないが、同一の設計思想により製造された気動車の形式を便宜的に総称したものである。具体的には、キハ40形(2代)、キハ47形、キハ48形の3形式およびこれらの改造により発生した派生形式を指す。1977年(昭和52年)から1982年(昭和57年)にかけて計888両が製造され、日本全国の非電化路線に投入された。2016年現在でもJR旅客鉄道各社に多数が在籍し、主に普通列車用として広く用いられている。電車に近い車体構造の大型気動車で、客室設備の改善や走行機器の刷新なども図られている。その一方で、それ以前の在来型気動車と比較してエンジン出力は若干増加したものの重量も増加しており、動力性能はほとんど向上していない。客用の片引き戸を車端部2か所に設置したキハ40形(両運転台)、キハ48形(片運転台)と、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2か所に設置した片運転台のキハ47形に大別されるが、各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いや、便所の有無などによって番台区分されている。国鉄分割民営化後は、各社ごとに使用線区の事情に応じた改造がきめ細かに実施され、派生形式や区分番台が多くなっている。なお、近年では事故や災害、地方路線の運用見直しや、より高性能で維持費の低廉な新型気動車への置き換えにより、廃車や保留車が発生している。会社別 残存数1950年代中期に量産された、国鉄初期の液体式気動車であるキハ10系は、1970年代に至って著しく老朽化・陳腐化が進行し、ことに接客設備面での劣悪さと台車設計の欠陥が問題となっていた。キハ10系は車体断面が狭く座席の設計に難があったが、台車の心皿荷重上限が小さく、座席の交換は重量増となるため、またロングシート化などの格下げ改造も定員増=荷重増となるため、いずれも困難で、交換用台車の新製などの改造予算確保よりも新車製造予算の確保が優先されたため、無煙化が一段落ついた1970年代後半まで抜本的な対策を講じられることもないまま、そのまま放置されていた。一方で1970年代の国鉄は労使紛争が激しく、組合側は労働環境の改善を強く要求していた。その一環として、国鉄車両にも安全対策や整備性の改善が求められ、国鉄ではこの時期に1960年代に設計された量産形式を基本としつつ、随所を強化改良したマイナーチェンジ車を製造していた。本系列もその方針の下に全体に耐久性を高め、1950年代後半に製造されたキハ55系とキハ20系の老朽化進行も視野に入れつつ、それらの代替用一般形車両として開発された。1974年(昭和49年)に開発されたキハ66系をベースにしており、車体や制御回路、変速機、ブレーキ方式などの基本構造は同系を踏襲しているが、搭載エンジンについてのみ大出力型ではなく、当時の国鉄の技術力・予算に見合った設計・出力のものとしている。また、国鉄時代には全国で大規模な車両の配置転換を行っていたことから、暖房やラジエーターをはじめ酷寒地向けを基本として設計された箇所が多く、温暖地で寒地向けの番台が使用されるなど、地域によっては多くの部分が過剰装備となっている。なお、本系列から北海道向け車両を別形式とせずに同一形式内での番台区分としたのも特徴である。全長21.3 m(車体長20.8 m)、幅2.9 mという急行形気動車並の大型車体である。酷寒地や海岸沿いでの使用を考慮して外板、屋根板、床板には車両用耐候性高張力鋼板 (SPA) を用いており、耐久性を高めているが、板厚は例えば同じSPAを使用した201系電車と比較すると、外板厚が2.3 mmに対して国鉄気動車標準の1.6 mm, 屋根板厚は1.6 mmに対して1.2 mmと薄く、台枠に設けた軽量孔とともに軽量化にも一応配慮している。落成時期の関係から、製造当初は全車が朱色5号と呼ばれる明るい朱色一色、一部地域で「首都圏色」と呼ばれる塗装で落成しており、従来の一般形気動車の標準塗装であったクリーム4号と朱色4号の2色塗り分けで落成した車両は存在しない。これに対し、本系列と車体設計が類似する機器流用車であるキユニ28形は、1978年10月の「車両塗色および表記基準規定」改正に先立つ1978年2月から3月にかけて落成したキユニ28 1 - 6の6両のみが規定通り旧標準色の2色塗り分けとなっている。前頭部はキハ66系のものを踏襲したもので、踏切事故・衝突対策として高運転台化、運転室長さの350 mm拡大、前面の外板を4.5 mm厚に強化、床下前面にスカートを装着している。運転台窓は運転席からの視認性に配慮した側面部に回り込んだパノラミックウィンドウを用い、前照灯は前面窓上にRBS-24V形150/50 Wシールドビームが2灯、尾灯は在来形気動車よりも高い位置に40 Wのものが2灯、それぞれ左右に振り分けて設置され、貫通路直上には列車種別表示器も設けられている。なお、これらの構成は設計年次が近いキユニ28形などの改造車も同様で、当時の標準設計であった。側窓は酷寒地形を除き、外はめ式のアルミ合金製2段ユニット窓として工数を削減している。酷寒地形は小型の1段上昇窓で、FRP製窓枠による内窓を組み合わせた二重窓構造とし、冬季の車内保温を図っている。キハ40形、キハ48形は車体両端2か所に1 m幅の片開き扉、キハ47形はやや車体中央寄り2か所に1.3 m幅の両開き扉を設けている。いずれもステップ付で半自動扉であるが、ドアエンジンは在来車のような当初からの半自動式用ではなく、自動式用ドアエンジンの指令回路のみを変更して半自動動作に対応させており、人力での開閉はやや重い。キハ40形・キハ48形の寒地・酷寒地形は、いずれも客室と出入り台の間に仕切り扉を設けたデッキ付きとし、寒冷時の保温を図った。運転台は機器配置・座席形状とも人間工学に配慮した構造となっている。また、投入線区の運用実態に配慮して製造時より側面にタブレットキャッチャーとその防護板を設け、タブレット閉塞式での通過運転に対応した。客室内壁の化粧板は、在来形気動車に比してやや明るい色調でまとめられている。初期に投入された車両は、キハ40形・キハ48形は薄茶色、キハ47形は淡緑色であるが、中期以降の車両は、北海道・本州以南用ともクリーム色となっている。座席はボックスシートを基本としてドア付近にのみロングシートを配したセミクロスシートとした。ボックスシートはシートピッチをキハ58系までの急行形車両と同等の1,470 mmとし、一般形気動車として初めて人間工学を採り入れた新形状のものとした。暖房はキハ22形やキハ56系と同じ温水暖房式であるが、機関廃熱(機関冷却水)および機関予熱器での軽油燃焼による熱を使用して床下の熱交換器で温風を作り車内に循環させる方式を採用した。機関の冷却水を床下の熱交換器に通し、ここに外気および室内空気を循環させて暖める。なお、気温が低い時、下り勾配、停車時など、機関の廃熱だけでは冷却水温が上がらない場合には、機関始動用の機関予熱器を使用して補助的に加熱する。1両あたり2基搭載された熱交換器により暖房能力は公称30,000 kcal/hとなり、従来の軽油燃焼式温風暖房に比して著しく強力な暖房能力を得た。これは機器搭載に床下スペースを必要とするという難点があるものの、温水管を車体内に引き通す必要がなく、構造も単純であった。加えて運転室内には自動車用温水暖房装置が併設されている。なお、その後の新形気動車ではエンジンの直噴化などで熱効率が上昇して機関の発熱が著しく減少したため、温水式暖房を採用する場合、熱源となる機関発熱が減少する下り勾配などで暖房能力が低下する、あるいは寒冷地では根本的に暖房能力が不足する、という問題が発生した。そのため、それらは変速機内装のコンバータブレーキの使用によって温度が上昇した変速機油を補助熱源とすることで下り勾配での暖房能力の不足を補う、厳寒時の始動用に搭載されている機関予熱器を暖房熱源として常用するといった対策を講じている。これらは共に自動車用温水暖房を採用しているが、他社では機関の動作状態に影響されず、しかも構造簡易で確実な動作が得られる軽油燃焼暖房へ回帰した例も多い。このように基本的な居住性は電車に近づいていたが、冷房装置は製造の段階では設置されず、準備工事の施工も見送られた。当時は地方路線の冷房化は時期尚早であると判断されたことに加え、国鉄の制式気動車では、連続定格出力150 - 180 PSと非力なDMH17系エンジンが標準だった期間が長かったという事情もあり、バスと同様の機関直結式冷房装置を採用することはそもそも不可能に近かった。そのため当初より冷房装置を搭載した特急形気動車では一部車両に大型のディーゼルエンジンを動力源とする発電セットを搭載して4 - 5両単位で給電を行うシステムを採用し、後に冷房を追加した急行形気動車でもコンパクトな発電ユニットを搭載して自車含め3両単位での電力供給を行うシステムを採用していた。DMH17系に代わるべき新型機関として本形式で制式採用されたDMF15HSAは、後述するようにDMH17系と比較して2割程度の出力増を実現したが、前述したように車体重量が大型化や事故対策などで大幅に増加したことから、満足できる走行性能が得られない状況であった。そのため、さらなる自重増を招く発電セットの搭載も、標準状態でさえ決して充分とは言いがたい機関出力をさらに低下させる直結式冷房装置の搭載も、共に採用したくとも採用できないのが実情であった。このことには利用者のみならず、バスとの競合などから冷房付きの新型車を切望していた各鉄道管理局の担当者からも失望の声があがった。便所はFRPユニット組み立て式で、キハ40形は出入り台側から内開き扉、キハ47形・キハ48形は側面の客室側引き戸から出入りする方式とし、水タンクは屋根上搭載の重力給水式として、ポンプや空気配管を不要としている。汚物処理装置は搭載を考慮して機器搭載スペースを確保する準備工事が実施されたが、製造当初は地方路線の汚物処理施設整備がほとんど進んでおらず、便所搭載車は全車が従来通りの垂れ流し式として竣工した。本系列は標準機関として従来のDMH17系エンジンに代えてDMF15HSA形(連続定格出力220 PS/1,600 rpm, 連続定格出力時燃料消費率185 g/PS/h, 最大出力250 PS/2000 rpm)を搭載する。このDMF15HSAは水平シリンダ形の予燃焼室式直列6気筒機関であり、TB11B形排気タービン過給器を装備、補機類はCW750D空気圧縮機、DM99AもしくはDM99B形4kVA交流発電機などで、いずれも歯車駆動としてVベルトを廃している。この機関は、1963年に開発されたDMF15HS形の派生形であり、排気タービン過給器あり、中間冷却器なしの構成としたものである。しかし機関出力が小さいため、後に中間冷却器を追加したり、別の機関に取り替えた車両も存在する。変速・直結各1段を備えるDW10形を装備する。これはキハ65形・キハ66系に搭載されたDW9形をベースに開発されたもので、トルクコンバータの構成は在来標準形のDF115・TC-2形(3段6要素)に対して、DW4形・DW9形やDE10形用のDW6形(2000番台)などと同じ中高速での引張力を確保するとともに、エネルギー損失を抑制した1段3要素となり、クラッチはいずれも湿式多板式で、変速、直結が各3枚、逆転機が8枚の構成、変速機油冷却は従来の空冷式から油冷却器による水冷式に変更となっている。変速機油は、従来のDF115・TC-2形では軽油が用いられていたのに対して、本形式では潤滑系の油を共用することとし、シール機構の簡略化を図った。また、逆転機を台車に装架するのが困難な2軸駆動車用のDW9の構造を踏襲して逆転機を変速機内に内蔵し、台車側には推進軸の方向転換と最終減速段を受け持つ減速機を装架している。なお、変速と直結の切替は変速機の入力軸と出力軸の回転差を検出してエンジンの吹き上げ、アイドル指令を出し、最適な回転数で切り替える半自動式とすることでショックのない変速を狙ったほか、変速機の特性の異なる手動変速の在来形気動車との併結に対応している。なお減速比は2.995と従来の一般形気動車よりもわずかに大きくされている。トルクコンバータの構成の違いにより、起動時の動輪周引張力はキハ20系(定格出力180 PSのDMH17C形エンジン搭載車。変速機としてDF115A形ないしはTC2A形を搭載)の2,500 kg弱に対して2,400 kg弱と低く、車両重量の増大も相まって起動直後の特性で不利となり、「キハ40系=低出力」のイメージを強める一因となっている。ただし、例えば10 km/hではキハ20系の約1,800 kgに対し約2,100 kg, 50 km/hでは約600 kgに対し約800 kgと逆転しており、本来は特急・急行形用として開発された変速機を流用したが故の、中高速域を重視した特性が表れている。いずれも駆動方式は1軸駆動で内よりの第2軸を駆動し、逆転機は変速機に内蔵するため、台車にはキハ65形・キハ66系の第2減速機と共通のGB122形減速機が装架されている。酷寒地形・寒地形は本形式用に新開発のDT44形・TR227形もしくはDT44A形・TR227A形空気ばね台車を、暖地形はコストダウンを優先し、従来からの標準台車であるコイルばね式のDT22D形・TR51C形を採用した。ただし、台車に逆転器を搭載しなくなった分、枕梁の軽量化を行っている。酷寒地形・寒地形は枕ばねを空気ばねとしたが、これは寒冷地域でコイルばねの間に雪が詰まって固着・凍結し、ばねが効かなくなる問題があったこと、北海道には地盤の悪い低規格路線が多いこと、軽量化、構造の簡略化、省力化などを考慮したもので、軸ばねは通常通りコイルばねであるが、ゴムで被覆したいわゆる「エリゴばね」として、雪咬みを防止している。初期に製造された車両は軸箱支持方式がペデスタル式で、荷重を軸箱直上の軸バネで伝えるDT44形(動力台車)・TR227形(付随台車)形であったが、以降は制輪子交換を容易にするために、軸箱支持方式が乾式円筒案内式のDT44A形・TR227A形に変更された。枕ばね方式は保守面での制約などから、空気ばねを車体直結とするダイレクトマウント方式ではなくボルスタ直下に上揺れ枕を置きその下に空気ばねを挿入するインダイレクト方式(国鉄では165系電車などに大量採用されたDT32・TR69系台車で採用された支持方式)として基本構造をDT32系と共通化しており、空気ばね・ボルスタアンカ・LV4-1形空気ばね自動高さ調整装置などは同系列と同一品を使用している。枕ばねを横剛性の高いダイアフラム型空気ばねとして揺れ枕吊りを廃止したことや、ブレーキシリンダの台車装架などにより台車の揺動特性は優秀で、旧態依然としたDT22・TR51系コイルばね台車を装着する一般的な急行形気動車を超える快適な乗り心地が実現された。また、制輪子自動スキマ調整器が付きブレーキシリンダストローク調整作業も省力化されている。キハ66系と同じく12系以降の新型客車に使用されて実績のあったCL空気ブレーキに電磁弁を加えた「CLE空気ブレーキ装置」(C: 3圧式制御弁付、L: 応荷重装置付、E: 電磁弁付をそれぞれ示す)とした。これは従来型気動車の標準ブレーキ装置であったDA1系自動空気ブレーキのA動作弁に代えて三圧式制御弁 (KU-1B) を使用し、ブレーキ弁によるブレーキ管 (BP) の減圧と並行して各車のC13-4AまたはA14-4電磁弁を制御する、電磁自動空気ブレーキである。このCLEブレーキはDA1系と比較してKU1B制御弁により空気圧指令時のブレーキ応答性が向上し、BPの最大減圧量が1.4 kg/cm²から1.8 kg/cm²となってブレーキ制御範囲が拡大されたほか、U5A応荷重弁により荷重に応じブレーキシリンダ圧力が自動的に増減される。また、電磁弁の付加により空走・込め時間の短縮による列車衝動の緩和や保ち作用が可能となる、あるいは非常ブレーキ動作時の伝達促進が得られるなど、作動性や操作性、整備性、それに保安性が著しく改善された。このほか、床下の制御弁関係はC26Aブレーキ制御装置として1つの機器箱内にユニット化し、電熱ヒーターを装備して凍結防止を図っており、加えて直通予備ブレーキ装置と耐雪ブレーキ装置を装備している。なお、DA1系自動空気ブレーキやDAE1系電磁自動空気ブレーキを搭載する在来気動車とも相互に併結可能であるが、DA1系自動空気ブレーキ搭載車との混用の場合、電磁弁が使用不能となるため最大連結両数に制約が生じ、ブレーキの応答性能も低下する。本系列の初回生産グループである昭和50年度3次債務車は、各車間で各種電気信号の伝達を行うために用いるジャンパ連結器として、在来の一般形気動車と共通の制御用KE53形(接点数15)を2個と放送回路用KE66形を1個、それに電磁自動空気ブレーキ指令用のKE67形を1個の合わせて4個のジャンパ連結器を実装して落成した。冷房装置を備えない一般形気動車ではこの4個のジャンパ連結器の搭載が必須条件であった。なお、冷房搭載の急行形気動車ではこれに加えて冷房制御用のKE53形1個と高圧電源供給用のKE8形(接点数2)1個が搭載される。だが、技術の発達に伴って後追いでジャンパ連結器を追加していった結果成立した、芯線数の少ないジャンパ連結器を多数接続するこの構成は、複数の異なった形式を併用する上では互換性確保のために不可避の仕様だったものの、車両の増解結作業を非常に煩雑なものとし、保守上も部品点数が増えて望ましいものではなかった。このためそれら全てを、本系列の設計の基本となったキハ66系で2両ユニットの連結面間に使用されていた、新世代の多芯ジャンパ連結器であるKE91形(接点数90)へ集約・置換することが検討され、2回目の生産ロットとなった昭和52年度1次債務車でその準備工事として、妻面向かって左下に大きな縦長の窪みを設け、将来ここにKE91形を格納する計画とした。しかし、昭和53年度本予算車ではジャンパ連結器格納用の窪みはそのままに、新たに設計されたKE93形1個で従来のKE53形2個を置き換えるように計画が変更された。このKE93形には在来の気動車との併結を考慮して、KE94形アダプタが用意され、これをKE93形にボルトで固定することで、KE53形2個を備える一般形気動車と併結可能としている。なお、KE53形2個の接点数は合計で30にしかならず、KE93形では信号線の割り当てのない、多数の空き接点が存在する。これはKE66・67形相当の信号線の割り当て予約など、将来的な割り当て信号線数の増大を見込んで当初より接点数に余裕を与えられているためであり、それゆえKE93形をKE94形を併用せずに単独で使用する際には、KE66・67形や冷房用のKE53形1個の接続が不要となる。本系列ではあらゆる面で刷新が行われたが、電車並みの丈夫な構造と追加装備は重量増加の原因となった。自重36 tから37 t, 断熱材補強など酷寒地対策を施した車両は約40 tにも達する。本系列による代替の対象となったキハ10系は1エンジン車で公称自重が28 tから32 t程度であり、これと比較すると1割から2割程度自重が重いことになる。これに対し、搭載機関の連続定格出力220 PSはあまりに非力であり、単位重量あたりの出力ではキハ10系とキハ20系の1エンジン車とおおむね同等、2エンジン車のキハ51やキハ52などには完全に劣る。車重と変速機設定が災いし、勾配の程度にもよるが登坂時には全出力状態でも従来の気動車同様30 km/hを下回ることも少なくない。本系列(暖地向け車)を使用した普通列車の速度種別設定は「停気F1」で、10パーミル勾配における均衡速度は51 km/hにとどまる。電化区間へ乗り入れる場合は、電車に比べ甚だしく加速力が劣るため足並みが揃わず、ダイヤ組成の障害にもなった。登場当時の識者からは「戦前のキハ42000形ガソリンカーにも劣る低性能車」と批判された。キハ42000は伝達効率が高いものの総括制御のできない機械式変速機を搭載し、しかも車体長が19 m級で車体幅も狭くして軽量化を図っているなど本系列と設計思想が異なる点が多いが、単位重量あたりの出力や加速性能では実際に本系列を凌駕する。キハ40系の搭載機関出力は竣工の段階で既に不十分であり、この発言も両車を比較することにより本系列の車体重量に対する機関出力の不足を指摘することが目的であった。発進時には、全負荷状態でもエンジンが轟音を立てるばかりでなかなか動き出さず、搭載されている変速機 (DW10) が在来の3段6要素変速機よりも発進時に不利な特性ということもあって、液体変速機を長々と空転させた末に数拍おいて動き出す状態であった。中速域においても、変速機の特性を生かすには、同系変速機を搭載するキハ181系やキハ66系などと同様、変速段を使用して65 km/h付近まで5ノッチで引っ張る運転操作が求められたが、通常45 km/hで変速-直結の切替を行なうTC2A・DF115A形変速機搭載の車両と併結した際や、DMH17系エンジン搭載車の運転に慣れていた運転士が運転する場合には、1段3要素の変速機の特性を活かしきる前に例えば50 km/h程度で直結に切り替えられてしまうと、変速段で約800 kgあった動輪周引張力が直結段では約500 kgとなってしまうなど、性能を出し切れない場面が多く見られた。DMF15HSエンジン自体の定格時燃料消費率は185 g/PS/hであり、旧来のDMH17系エンジン (190 g/PS/h) と大差なく、 後年のDMF14HZA (154 g/PS/h) などの直噴エンジンと比べるともともと燃費は悪かった。また過熱防止のため全出力運転が5分までに制限されるDMH17系エンジンと異なり、DMF15HS系エンジンは全出力運転の時間制限がなかった。このため運行中は降坂・定速時以外ほぼ全出力で運転できてしまい、かえって相当時間に渡って過負荷を強いられることから、燃料消費量も増化した。後にJR東海がエンジン換装を行った際には、燃費が換装前の71%に改善されたほどである。DMH17系エンジンを1基搭載する車両の代替は一応可能であったものの、加減速の多い仕業や勾配路線には明らかに不向きであった。また、古くから国鉄在来線では急勾配線区や冬季の排雪走行に適応する単行運転可能な気動車が不足していたが、高出力車については急行列車の廃止で余剰が予想されるキハ58系の格下げで対応するという方針であったため、キハ40系では勾配線区向けの形式は製作されなかった。しかしながらその後もキハ58系の需給調整は上手く行われず、依然として適当な代替車が不足し続けた。キハ53形500番台改造投入やキハ54形新製など、単行運転可能な2エンジン搭載車が導入されたものの、国鉄の財政悪化によってごく一部の地域への導入に留まり、その他の地域では、経年のキハ20系の2エンジン車であるキハ52形が、同系列の1エンジン車が淘汰された後も2010年3月まで残存した。たとえばJR西日本が大糸線のキハ52形をキハ40形に置き換える計画を立て、線内で走行試験を行ったが、出力不足で計画は中止されたという事例がある。これらの問題に対応し、JRに現在残存しているキハ40系の多くが300 PS以上の高出力直噴エンジンに換装、もしくは過給器・燃料噴射系交換などによる既存エンジンの強化で性能改善を図っているが、自重過大という本系列の構造的な弱点を完全に克服するまでには至っていない。本系列の主軸となる両運転台車であり、両運転台の直後2か所に片開き扉を装備する。新製時は全車がトイレ付きであった。番台区分は北海道向けの101 - から始まっている。番号の1 - が存在しないのは、かつて鋼体化した旧形客車を気動車改造したキハ40形(後にキハ08形に改番)が存在していたためである。北海道向けの酷寒地向として1977年上期より製造された、キハ40系では最初に就役したグループである。車体はデッキ付きで、1段上昇式の二重窓、トイレ、空気バネ台車を装備する。床材は北海道向け従来形式のキハ22形などが用いた鋼板+木材板張りを廃し、1.2 mm厚SPA鋼板と断熱材+リノリウム張りで構成されている。1982年までに150両 (101 - 250) が製造された。1977年製の16両 (101 - 116) のみ、角型水タンクキセ、4人掛けクロスシート12組、客室の小窓の配置が両端、室内の化粧板が濃い肌色、台車は、軸箱支持装置がペデスタル式の空気ばね台車であるDT44・TR227などの特徴を持つ。1978年以降に製造された117 - 250は設計が変更され、4人掛けクロスシート12組+2掛クロスシート2席、水タンクキセ、座席配置と窓割り、外気導入ルーバー、スカート形状がキハ40形2000番台一次形車と同様になった。室内の化粧板はクリーム色になり、台車は、軸箱支持装置が乾式円筒案内式の空気ばね台車であるDT44A・TR227Aに変更された。1988年に9両 (141 - 149) がキハ400形に改造され、残りの全車も1990年から1995年にワンマン化のため700番台に改造され、廃区分番台となった。主に東北地方を対象とした寒地仕様車で、100番台より遅れて1977年末より製造された。デッキ付きで上段下降・下段上昇式のユニット窓と空気ばね台車を装備する。1982年までに94両 (501 - 594) が製造された。初期に製作された501 - 520は台車としてDT44・TR227を装備し、車内の化粧板は緑色系である。521号車以降は窓の配置や座席配置が変更され、車内の化粧板はクリーム色系になった。台車はDT44A・TR227Aに変更され、スカートの形状も変更された。八戸運輸区の一般車両では客室などのリニューアル工事が行われており、シートは青紫系、壁は白系の色になっている。その他、一部車両がジョイフルトレインに改造されていて、八戸運輸区では製造当初の内装を持つキハ40は運用されていない。520以前の初期車両は淘汰が進み、2016年4月現在の在籍車は、磐越西線及び只見線運用に充てられている郡山総合車両センターの502のみである。残存する唯一の冷房化改造車でもある。関東以西の温暖地を対象とした一般仕様車で、100・500番台より遅れて1979年に製造が開始された。窓は2段上昇式ユニット窓(このため500番台と比べて四隅に丸みがついておらず、車体よりやや引っ込んでいる)で、車内の化粧板はクリーム色系であり、デッキは装備されていない。このため後述のキハ47形の「両運転台版」という性格も併せ持つこととなった。台車は金属ばねのDT22D・TR51Cである。1982年までに148両 (2001 - 2148) が製造された。本来は温暖地仕様だが、一部の車輌が男鹿線、只見線など寒冷地で運用されている例もある。このうち、1980年製の キハ40 2055 は1983年6月に起きた指宿枕崎線沿線の集中豪雨が原因の事故によって大破したため、同年7月付で廃車された。これは国鉄時代の本系列に生じた唯一の廃車である。1.3 m幅の両開き扉を車体中央寄り2か所に配置した、いわゆる「近郊形」のレイアウトである。キハ40形・キハ48形よりもラッシュ時などの客扱い能力を重視した片運転台車であり、仕向け地とトイレの有無により細かな番台区分がある。車内の化粧板はクリーム色系だが、初期に製造されたキハ47 1 - 16は緑色系である。デッキは装備せず、北海道向けの酷寒地仕様も存在しない。客室窓は2段上昇式ユニット窓である。温暖地向け仕様車で、0番台車はキハ40形100番台車と相前後して1977年上期に製造が開始された。金属バネ台車装備。トイレ付きの0番台車は1983年までに193両 (1 - 193) が、その後1978年から製造が開始されたトイレなしの1000番台車は1982年までに134両 (1001 - 1134) が製造された。この温暖地向けキハ47形327両が本系列の最大グループである。新潟地区向け寒地仕様車で、空気ばね台車装備。1978年から1980年にかけてトイレ付きの500番台車22両 (501 - 522) とトイレなしの1500番台車21両 (1501 - 1521) が製造された。本来は寒地仕様だが、国鉄時代に越後線と弥彦線の電化に伴い四国や中国、九州など温暖地に転じたのち民営化を迎え、温暖地で運用されている例もある。キハ40形と同等の車端部片開き2扉配置だが片運転台車であり、トイレの有無や耐寒仕様により細かな番台区分がある。トイレは運転台のない側の車端デッキ寄りに設置されている。四国・九州向けの暖地仕様車は存在しない。500・1500番台と同一車体・デッキ仕切り付きで金属ばね台車装備とした準寒地向け仕様車で、1981年から1982年にかけて少数が製造され、美濃太田 (1 - 3・1001・1002) と敦賀 (4 - 6・1003・1004) に配置された。上段下降・下段上昇式ユニット窓車。トイレ付きの0番台車は6両、トイレなしの1000番台車は4両で製作を終了した。また敦賀に配属されていた車両は1991年に下関へ転出し、さらに2003年には3両が岡山へ転出した。なお2010年3月31日付で岡山に在籍していた6・1003が廃車となっている。廃車が進み、2016年4月1日現在では、金沢総合車両所富山支所に転属し「花嫁のれん」に改造された4・1004のみ在籍する。キハ40形100番台車同様の北海道向け酷寒地仕様車で、1982年にごく少数が製造された。デッキ付き、1段上昇式二重窓の車体構成はキハ46形に酷似する。空気ばね台車を装備。輸送量が限られた北海道の路線では2両編成以上が必須の片運転台車は使いにくいこともあり、トイレ付きの300番台車は4両 (301 - 304)、トイレなしの1300番台車は3両 (1301 - 1303) の製造に留まった。304と1300番台全車が1988年にキハ480形に改造され、1300番台は廃区分番台となった。301 - 303の3両は、JR北海道に承継された後も改番されずに使用されていたが、2012年6月1日のダイヤ改正で札沼線(学園都市線)の一部区間(桑園駅 - 北海道医療大学駅間)が電化開業したことで運用を外れ、3両ともミャンマー国鉄に売却されたため、300番台も廃区分となった。キハ40形500番台と同様の寒地仕様車で、1979年より製造が開始され、1982年まで増備が続いた。デッキ付き、上段下降・下段上昇式ユニット窓と空気ばね台車を装備している。トイレ付きの500番台は59両 (501 - 559)、トイレなしの1500番台は50両 (1501 - 1550) が製造された。主に東北地区や飯山線、高山本線に投入された。車齢が若かったこともあり、国鉄時代に本系列に対して行われた改番を伴う改造は、キハ40形1000番台の1例のみである。また、冷房改造についても、鹿児島地区での降灰対策のためバス用クーラーを使用した改造がキハ40形5両およびキハ47形10両に実施されたのみに止まっている。本系列に対する性能・接客両面での改良・改造が本格化するのは、国鉄分割民営化後のことである。キハ40形1000番台は、1979年(昭和54年)4-5月に宇都宮運転所へ新製配置し烏山線で運用していたキハ40形2000番台(2011-2020:何れも富士重工宇都宮製作所が製造)のうち水戸運転所へ転出した3両(2018-2020:その後東北地区へ転出)を除く7両 (2011-2017) からトイレを撤去し改番 (1001-1007) したもので、国鉄時代に本系列に対して行われた改番を伴う改造の唯一例である。改造工事は大宮工場で施行、1986年(昭和61年)11月末から翌1987年(昭和62年)3月末の間に竣工した。定員は98名。当初は屋根上の水タンクも存置され外観上の変更はほとんど無かったが、外装塗色は新製配置時からの首都圏色(朱色5号の単色塗装)から烏山線独自のローカル色(白地に緑色M字様帯模様の2色塗装)に変更した。なお水タンクは後年撤去している。改造後も烏山線用として宇都宮運転所に配置、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化にあたり全車JR東日本に承継されている。民営化後の1990年(平成2年)には東北地区に転出した1両(1006:当初小牛田運輸区に転配、一時新庄運転区を経て現在は秋田車両センター配置)を除きワンマン運転対応改造と座席のロングシート化工事を施行し定員を144名に増員した。1991年(平成3年)と1995年(平成7年)には同じく2000番台各1両(高崎運転所配置の富士重工製2087および水郡線営業所配置の新潟鉄工所製2139)に1000番台化工事を施し計2両が本番台として竣工、宇都宮運転所に配置、計9両が本番台となっている。これらのうち1000番台への改造前に冷房装置を搭載していた1008を除き、1995年から1996年にかけて冷房装置 (AU34) を搭載した。車両の特徴は以下の通り。なお、2011年4月15日に開通88周年を迎える烏山線の「烏山線全線開通88周年記念事業」として1003および1007をそれぞれ2010年12月および2011年4月より旧国鉄一般気動車色(朱色4号+クリーム4号、標準色)に塗装変更しているほか、1004および1005はそれぞれ2012年12月および2013年6月より旧国鉄首都圏色(朱色5号、近郊色)に塗装変更している。これらの塗装変更は何れも郡山総合車両センターで施行している。北海道旅客鉄道(JR北海道)には、キハ40形100番台150両とキハ48形7両(300番台4両・1300番台3両)の計157両が承継された。全車が酷寒地形で、キハ47形は国鉄時代から配置の事例はない。キハ48 301 - 303を除くすべての車両には、ワンマン運転対応・エンジン換装・冷房装置搭載など、線区の事情に応じた改造が実施され、それに伴う改番が行われた。キハ400形・キハ480形を除く各車共通の改造点としては、電磁ブレーキ制御用のKE67形ジャンパ連結器の撤去と、ワンマン運転時および客用扉の半自動扱い時に共通で使用する、KE67形ジャンパ連結器の増設が挙げられる。なお、2017年度からローカル線用気動車の量産先行車の製作に着手し、老朽化している本系列を2019年度以降順次置き換えていく方針が発表されている。また、2016年春をめどに、状態が悪い車両を廃車し、運行本数も削減する予定である。宗谷本線の高速化に向け急行「宗谷」・「天北」・「利尻」に使用されていた14系客車を置き換えるため、1988年にキハ40形100番台9両、キハ48形300番台1両、1300番台3両の計13両を急行列車用に改造したもの。それぞれ新形式のキハ400形・キハ480形に改められ、両形式を総称してキハ400系ともいう。エンジンをDMF13HZ (330 PS/2,000 rpm) に、変速機を直結2段式のN-DW14B形に交換して加速力の向上を図り、特急列車頻発でダイヤ密度の高い函館本線での高速運転や、宗谷本線の勾配区間に備えた。車内には洗面所を新設し、座席もキハ183系500番台と同等のリクライニングシートへの交換が施工されたが、窓配置はそのままとされたため、窓配置と座席の間隔はほぼ不一致であった。また、電動式の冷房装置 (N-AU400) を屋根上に1基搭載、その電源となるディーゼル発電機はキハ400形客室内の床上に設けた機器室内に設置し、キハ400形自車とキハ480形へ三相交流220Vを給電する方式とした。そのため、キハ480形は単独では冷房装置を使用することができない。キハ480形の種車のうち1両はトイレ付きの300番台車であるが、トイレは改造時に撤去されている。キハ480形には飲料水の自動販売機が設置されていた。13両と予備車が少ないため、多客期などで車両が不足するときはキハ56系やキハ54形などが増結用に充てられていた。老朽化したお座敷気動車を置き換えるため、1997年にキハ400形3両がお座敷気動車に再改造され、500番台に改番された。この代替にはキハ182形が改造の上転用された。残った車両も2000年の宗谷本線高速化完成に伴う急行の特急格上げに伴って運用を外れ、学園都市線(札沼線)用の一般車(キハ40形330番台・キハ48形1330番台)に再改造された。キハ480 304は転用されず休車扱いとなり、苗穂工場で長期間留置された後、2006年10月6日付で廃車・除籍された。老朽化したお座敷気動車(キロ29形・キロ59形)を置き換えるために、1997年から1998年にかけてキハ400形3両をお座敷車に改造したものである。同時期に改造されたお座敷車のキハ183系6000番台と同様、一般車と併結して運用することが可能である。この改造により宗谷本線急行用車両が不足となるため、補充としてキハ182形(0番台)3両がキハ400系併結用に改造された。客室を可能な限り広く取るため前位側の出入り台(デッキ)を撤去し、塗装も深い赤と黒のブロックパターンに改められた。室内は床面をかさ上げしてカーペット敷きとし、深さ30cmの掘り炬燵構造として、乗客が足を伸ばしてくつろげるようにするとともに、床面をフラットにすることも可能である。2003年度には冷房装置の交換などの更新改造が実施された。2015年3月31日付で2両(502・503)が廃車されている。1990年から1994年にかけてキハ40形100番台にワンマン運転対応工事を行ったもので、キハ400形に改造された9両を除く141両全車が改造された。番号は竣工順に付番されており、原番号との関連性はない。ただし、1次車 (101 - 116) が種車の車両だけは元番号に725を足した連番になっている。また、17両が都市近郊輸送に対応するため、旧番号時代の1991 - 1992年に座席を2+1人掛けに改造している。番号は次のとおり。後に、エンジンの換装などにより300・350・400番台に改造されたものがある。ただし、789号は改番前の150号時代の1988年にエンジンをキハ400形と同じDMF13HZに、変速機をN-DW14Bに換装しているが、特に区別されていない。DMF15HSA搭載車も機関の直噴化改造を施工された車両があり、その車両はエアクリーナーが移設され、車体にあった機関用吸気口が塞がれている。循環式汚物処理装置の取り付けが進んでおり、屋上の水タンクを撤去し車内設置に変更した車両も存在する。2000年7月14日に根室本線尺別駅で発生した脱線転覆事故のため、キハ40 750が2000年7月19日付で廃車となった。特殊な改造車としては、1999年に映画『鉄道員(ぽっぽや)』の撮影用に改装を施したキハ40 764がある。この車両は作品に登場するキハ12形に似せて側窓の上部をHゴム支持としたいわゆる「バス窓」に、前面のパノラミックウィンドウを平窓に、前照灯を貫通路上部の1灯式に改め、ナンバーも「キハ12 23」(実在したキハ12形の最終番号の次の番号)に書き換えていた。ちなみに、キハ12形により近い外観のキハ22形は、1998年11月より既に定期運用はなかったため、キハ40系が抜擢された。映画撮影の終了後も前照灯をシールドビーム2灯に改め、ナンバーを本来の番号に書き換えた以外はそのままの姿で使われ、「ぽっぽや号」として観光目的の臨時列車にも充当された。しかし、末期はブームの終了と共に集客率が低下したため、「ぽっぽや号」の任を解かれた後はもっぱら保留車になっていた。側面の改造で車体の老朽化が進み、前照灯と窓の変更により運転環境も悪化していたため、2005年6月24日に気動車の余剰整理を機に廃車された。廃車後は車体が2分割され、一方の先頭部はロケ地の幾寅駅前に保存されている。JR移行後は、地域色を除き外板色が白地に萌黄色と青の帯に統一されていたが、2010年4月に、釧路運輸車両所所属の777が国鉄色(朱色5号、通称・柿色)に変更された。1996年に学園都市線(札沼線)の列車増発のため、同線での運用に対応する改造をキハ40形700番台に対して行ったもので、4両が改造された。機関はN-DMF13HZB (330 PS/2,000 rpm) に換装され、出力増強が図られた。サービス向上のため機関直結式冷房装置 (N-AU26) やトイレの汚物処理装置を搭載、混雑緩和対策としてシートが2+1人掛けとされ、客室とデッキの間の仕切り壁も撤去されている。客室とデッキの間の仕切り壁が撤去されたことにより、車内の保温が困難になるため、ボタン開閉式の半自動ドアを装備している。本番台は全車が苗穂運転所に所属しており、同じく同所所属で札沼線(学園都市線)の運用に就いていたキハ141系気動車と共に、車体地色がライトグレーとなっている。1996年に札沼線石狩当別 - 新十津川間のワンマン化と老朽化したキハ53形500番台の置き換えのため、キハ40形700番台2両を改造したものである。機関はこれまでの改造車よりもさらに強力(標準型の2倍強)なN-DMF13HZD (450 PS/2,000 rpm) で、変速機を直結2段式のN-DW14Cに換装し、冬季の列車遅延防止のため動力台車は出力に見合った2軸駆動のN-DT44Bとした。またデッドマン装置に代えて緊急列車停止装置を搭載した。冷房装置は搭載していない。外観上は客用扉を萌黄色として区別している。愛称「優駿浪漫」。日高本線でキハ40形700番台を置き換えて使用されていたキハ130形が、車体構造が災いして早期に老朽化したため、その置き換えのために1998年から1999年にかけてキハ40形700番台10両を改造したものである。キハ130形時代のダイヤを維持するため、機関をN-DMF13HZB (330 PS/2,000 rpm) に換装して出力を増強し、落ち葉などによる空転対策のため砂撒き装置を台車に装備している。学園都市線用の300番台とは異なり車内の改装は行っておらず、冷房装置も搭載されていないが、外板塗装は白地に青とピンクを配した独自のものに改められている。2000年の宗谷本線急行の特急格上げに伴い、余剰となったキハ400形・キハ480形を学園都市線に転用するために再改造したものである。通勤・通学用への転用に伴い、711系電車の廃車発生品を用いて座席をすべてロングシートとした。また客室・デッキ間の仕切り壁や引戸を撤去し、かわりにボタン開閉式の半自動ドアを装備している。300番台と同様、この両番台も外板色がライトグレーとなっている。キハ400形については、電源装置を床上の機器室内に設置していたことから、これを撤去して再び客室としている。電源装置の撤去により冷房用電源がなくなるため、キハ40形・キハ48形とも、キハ40形300番台同様の機関直結式冷房装置のN-AU26に交換され、従来、冷房用電源の関係でキハ480形はキハ400形とペアで使用されていたが、それぞれ単独での運用が可能となった。新たに設置された冷房装置の、圧縮機から屋根上の本体に至る配管と配線は客室内の中央付近の側面を通るため、この部分でロングシートは分断され、約2人分のデッドスペースを生じている。キハ400形・キハ480形時代の装備であった横引きカーテンのレール覆いや、窓框の縁取りはそのまま残されている。2012年10月27日のダイヤ改正で、学園都市線の一部区間(桑園駅 - 北海道医療大学駅間)の列車がすべて電車に置き換えられたため、一部の車両が余剰となった。このうち、キハ40 334・335とキハ48 1331 - 1333は海外譲渡されることになり、同年11月下旬から12月上旬にかけて陣屋町駅まで甲種輸送された。後の長期使用を見越し、キハ40形700番台に延命改造を実施したものである。2003年度から11年程度をかけて全車に施行される計画で、2013年4月現在延べ84両が落成している。このうち、キハ40 1795が函館運転所構内の脱線転覆事故で2007年3月7日に廃車になったため、苗穂運転所に5両、苫小牧運転所に18両、釧路運輸車両所に24両、函館運輸所に20両、旭川運転所に16両の計83両が配置されている。改造内容としては、駆動用エンジンのN-DMF13HZI (243kW (330 PS)/2,000 rpm) への換装およびそれに伴う液体変速機の直結3段式 (N-DW40) への換装、その他の付随する機器の交換、客室の床材の張替え、天井にある扇風機をラインフローファンに交換、ワンマン運転用機器の更新などである。屋根上の水タンクは撤去され、車内設置に変更された。改造車の番号は原番号に1000が加えられている。また水タンクの改造は一部在来700番台車にも施工されている。函館運輸所の1792と1796が2004年・2005年の「大沼バーベキュー号」の動力車として、ナハ29000に合わせた茶色に塗り替えられたが、その後JR北海道標準色に戻っている。2010年4月に、釧路運輸車両所所属の1749と1758が国鉄色(朱色5号)に復元された。2016年3月には、江差線の道南いさりび鉄道への転換に伴い、9両が同社へ譲渡されている。東日本旅客鉄道(JR東日本)には、キハ40形117両(500番台92両・1000番台7両・2000番台18両)・キハ47形28両(0番台3両・500番台12両・1000番台2両・1500番台11両)・キハ48形74両(500番台41両・1500番台33両)の計219両が承継された。東北地方など寒冷地での使用が多いこともあり、本格的な冷房化改造は東海以西の各社より遅かった。また民営化後の高出力車キハ100系・110系導入により、収容力は大きいが機関出力の小さい40系気動車は比較的平坦でワンマン運転に適さない線区に配置されている。他社に比べて数は少ないが、線区の事情に応じたワンマン運転対応工事や座席の変更の他、冷房装置 (AU26J-A×2) の搭載、機関のカミンズ製DMF14HZ (300 PS/2,000 rpm) への換装も継続的に実施されている。秋田地区の男鹿線用車と新潟地区の羽越・磐越西線で運用される車両には、更新時に混雑対策としてロングシート化とデッキの撤去も実施された。なお、五能線などではキハ40形でデッキの仕切りがある車両とワンマン対応の仕切りが無い車両が混在する。八戸線で運用されているキハ40 516 - 518とキハ48 539・556 - 559はトイレが撤去され、器材室に変更されている。ドアには「器材室」「トイレは他の車両です」と表示されている。形式と番号の変更を伴う改造は、前述のキハ40形1000番台2両とジョイフルトレインへの改造にともなう8両のみであるが、ジョイフルトレイン(イベント用列車)への改造は多く、現在までに8タイプが登場している。同社では余剰による淘汰が開始され、2006年4月までにキハ40形13両とキハ48形2両の計15両が余剰により廃車となっている。2002年に廃車されたキハ40 511は会津鉄道に譲渡の上で展望気動車「風覧望(ふうらんぼう)」(AT-400形401)に改造され、現時点に於ける本系列唯一の譲渡例である。2011年3月11日の東日本大震災による津波により、キハ48 502・1512(石巻線女川駅停車中の1639D)、キハ48 552・1544(気仙沼線松岩駅 - 最知駅間の2942D)が流出し大破、廃車になっている。また、女川駅隣接の温泉施設「ゆぽっぽ」に1両(旧キハ40 519)が保存され、車内を畳敷きとした上で休憩室として利用されていたが、こちらも津波で流され大破している。1995年、水戸支社においてキハ48 534・548およびキハ40 2138をお座敷車に改造したもので、それぞれキロ48 1・2とキロ40 1に改番され、編成としては「漫遊」と命名された。2000年に仙台支社に転出し、「ふるさと」と改称されている。キロ48 1には「華 (HANA)」、キロ48 2には「風 (FU)」、キロ40 1には「月 (GETSU)」の愛称が付され、車体はそれぞれ日本の伝統色である緑・紫・紅を基本色とし、その下部に金色を配して華やかさを演出している。当時、本系列唯一のグリーン車であったが、2003年4月に普通車扱いに変更され、キハ40 2501とキハ48 2501・2502に改番された。1997年3月の秋田新幹線開業に伴い、1990年から五能線で運転されていた50系客車による眺望列車「ノスタルジック・ビュートレイン」に代わる新しいリゾート列車として改造された列車である。2003年の姉妹車「ブナ」編成の登場に伴い、「青池」編成と命名された。キハ48 533・540・1521・1543を改造したもので、いずれも改造に伴う改番は行われておらず、原番のままとなっている。1・4号車の533と540は展望ラウンジ付きの座席車(回転リクライニングシート)、2・3号車の1521と1543は6人または4人用の簡易個室車として、同時に冷房装置 (AU26J-A×2) を搭載し、エンジンをDMF14HZ (300 PS/2,000 rpm) に換装している。外観では、1・4号車の前頭部形状を変更した他全車の側窓を拡大してブロンズガラスの固定窓とし、眺望を存分に楽しめるよう配慮している。この改造によって前照灯はHID化された。塗装は白神山地の白、日本海の深青をイメージした塗り分けとしている。臨時快速列車「リゾートしらかみ」(秋田駅 - 弘前駅・青森駅)に使用され、2006年3月18日のダイヤ改正を前に3両編成となり、キハ48 1521は「くまげら」編成に転用された。東北新幹線全線開業に伴う2010年12月4日のダイヤ改正にあわせ、ハイブリッドシステムを搭載した新型リゾートトレイン、HB-E300系4両編成1本が導入されたことにより、現行の「リゾートしらかみ」3編成のうちこの青池編成が置き換えられた。置き換え後、中間車のキハ48 1543は、ダイヤ改正によるリゾートしらかみの4両編成化に伴い「ブナ」(木偏に無と書く「橅」という表記で案内されている。機種依存文字のため、以下カタカナで表記する)用の中間車に改造されてに組み込まれ、残ったキハ48 533・540は2011年に団体臨時列車用の「CRUISING TRAIN」に改称された。外部の列車名ロゴを張り替えた程度で、内外装の改造は行われていない。2002年12月の東北新幹線八戸延伸に伴って展開された「北東北ディスティネーションキャンペーン」に合わせて登場した増備車である。従来の編成と編成両数や設備が異なり、区別するために「ブナ」編成と命名された。従来の「青池」編成が4両編成であるのに対して3両で組成されていたが、後の2010年12月のダイヤ改正で旧「青池」用であったキハ48 1543を「ブナ」用に改造した上で組み込み、4両編成化された。改造はキハ40形3両を種車として実施されたが、種車が両運転台であるため後位側の運転台を撤去し、その跡にトイレ・洗面所または喫煙室を設置した。これにより形式をキハ48形に変更し、車番を改めた(キハ40 506・507・510 → キハ48 701・702・1701)。外観は「青池」編成の青に対し白神山地の深緑を車体色とし、前頭部の形状も「青池」編成とは異なるイメージのものとした。本編成は、客用扉にドアチャイムを設置する。リゾートしらかみの他、房総地区の臨時列車としても運行されたことがある。2006年3月18日のダイヤ改正で「リゾートしらかみ」は多彩な観光メニューに対応するため3往復体制となり、これに併せて第3編成として投入されたのがこの「くまげら」編成である。内装と設備は「ブナ」編成と同一である。改造種車は両先頭車がキハ40形で、中間車は元「青池」編成のキハ48 1521が転用されている(キハ40 515・520 → キハ48 703・704)。3両編成であったが、後の2010年12月のダイヤ改正でキハ48 1503を「くまげら」用に改造した上で組み込み、4両編成化された。外観はオレンジ色が基調となり、そこに「青池」編成と「ブナ」編成を意識した青・緑の帯を入れている。2008年からリゾートしらかみの他、房総地区の臨時列車としても運行されたほか、2009年には盛岡駅 - 仙台駅間の臨時快速「光のページェント号」でも使用されている。本編成も、客用扉にドアチャイムを設置する。「びゅうコースター風っこ」は、キハ48形をトロッコ気動車に改造した車両で、仙台支社が2000年から運用を開始した。従来、仙台支社では貨車を改造したトロッコ車両を保有していたが、運転時の入換作業や保安要員の配置など運行コストの問題を抱えていた。本編成はこれら貨車編成の置き換え用で、キハ48 547・1541を種車として改造した。改造にともなう改番は実施されていない。機関はDMF14HZに換装している。車体側面を大きく開口させ、外気を存分に感じることができるようにするとともに、冬季には寒気対策のために開口部にガラス戸をはめ込んだり、取り付けられたストーブを焚くことができる。また開口部の下部にはガラス戸を設置し、さらに開放感を高めている。外装は、春から夏に掛けての車窓の自然をイメージした緑(若葉)、青(川・湖)、白(雲)、黄(光)をちりばめた爽やかなものである。車内には、難燃木材を使用した木製座席が設けられ、各ボックスにはテーブルが設置された。天井は骨組みを剥き出しにし、白熱灯を用いてレトロで暖かみのある雰囲気を創り出している。「き・ら・き・らみちのく」は、2002年12月の東北新幹線八戸駅延伸にあわせて登場したリゾート列車で、下北・津軽方面への観光輸送を目的としている。キハ48 1505・1506・1534を改造したものであるが、いずれも改番は実施されておらず、原番のままとなっている。列車名では「きらきらみちのく」であるが、実際の車両名は「き・ら・き・らみちのく」である。前面と側面の窓は眺望に配慮して拡大し、UVカットガラスの固定式とした。塗色は青森県内各地で開催される「夏祭り」をイメージした鮮やかな赤を基調に窓下を白に塗り分けている。また機関をDMF14HZ・変速機をDW19-Rに換装し、冷房装置 (AU26J-A×2) を屋根上に搭載した。車内設備については、1・3号車 (1505・1506) に2人掛けと1人掛けの回転式リクライニングシートを装備、2人掛けシートは床を100 mmかさ上げしたハイデッキ構造とし、1人掛けシートは眺望に配慮して45度窓側に向けた状態で固定可能である。トイレと洗面所も新設し、客室との間に喫煙室を設置している。また2号車 (1534) は座面を畳敷きとしたボックスシートで、背もたれを高くした個室に近い構造となっている。前位には、観光用VTRや運転席からの映像を放映することができるモニタを備えた情報コーナーを設けている。休日を中心に、東北新幹線「はやて」に接続して八戸駅 - 大湊駅間で運転されていたが、2010年11月28日をもって「き・ら・き・らみちのく」での運行を終了した。また釜石線・大船渡線の臨時列車でも使用された。その後、「青森デスティネーションキャンペーン」にあわせて、八戸線沿線の海をコンセプトに、上部はさわやかな「空の青」、下部は太平洋の「深い青」、上部と下部の境目に「水平線から昇る太陽(サンライズ)」イメージした塗装に変更するなどの再改造が行われ、2012年春から八戸線を中心に運行されている。リニューアル後の愛称は一般公募され、「リゾートうみねこ」に決定した。「うみねこ」は、東北新幹線八戸駅延伸を機に、八戸線の観光路線としての活性化を図るために導入された列車である。キハ48 555・1549の座席を回転式リクライニングシートに交換し、トイレを洋式に改装して汚物処理装置を装備した程度で、冷房装置の搭載や機関の換装は行われず、車体にも手が加えられていない。塗装は、車体中央部を海をイメージした青として本列車のネーミングの元となったウミネコを描き、車端部は太平洋の日の出をイメージした赤として、その間に白と黄のストライプを入れたカラフルなものとしている。「うみねこ」運行終了に伴い、各臨時列車に使用されていることからJR東日本盛岡支社HP内では「キハ48系リクライニング車」と表記されている。2006年5月3日と2007年9月17日には津軽線の臨時快速「終着駅号」として運行されたほか、三陸鉄道北リアス線経由で宮古駅まで乗り入れたこともある。2011年4月から八戸線を走るリゾートトレイン「リゾートうみねこ」の運転開始に伴い、八戸線内での「うみねこ」としての定期運行が終了。2011年9月の全検時に車体中央部にあったウミネコのイラストと文字が消され、前面の専用ヘッドマークも外された。2012年8月11日 - 19日のお盆期間に、盛岡 - 釜石間の快速「ふるさとの風釜石」として運行。2012年10月からは土曜・日曜(さらに、多客期および大人の休日クラブパス使用可能日)に新青森 - 大湊間で運行していた「リゾートあすなろ下北1号・2号」に代わって、八戸 - 大湊間の臨時快速「まさかり」として運行されており、大湊線を走行する車両では唯一の非冷房車となっている。2014年2月23日をもって臨時快速「まさかり」としての運行を終了。同年6月1日より走行線区・時刻は同じく、臨時快速「なのはな」として運行を開始。20
出典:wikipedia
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