中区(なかく)は、広島市を構成する8つの行政区のひとつ。1980年(昭和55年)4月1日に、広島市の政令指定都市移行と同時に設置された。行政的には広島市はもちろん、広島県・中国地方全体の中枢部でもある。1589年(天正17年)、毛利輝元により太田川下流の中州に広島城が築城され、その周辺の埋め立て・治水工事も盛んに行われ城下町が成立して以来、現在の中区一帯は広島のみならず、中国地方における中心業務地区 (CBD) として機能してきた。広島城周辺の基町・上八丁堀には国の合同庁舎・県庁・県警本部・裁判所などの行政・司法機能が集積し、その南側の紙屋町・八丁堀エリアは中国地方有数の繁華街として知られる。都市銀行や地方銀行・証券会社などの金融機関、企業の支店も多くある。また、白島地区はオフィスビルが多数建ち並ぶ。概ね国道2号線より南の舟入、江波、吉島、千田町あたりは住宅地として多くの住宅が立ち並ぶ。江波沖町や南吉島の湾岸地区は工業地区・準工業地区として工場も多くある。広島市内を南流してきた太田川下流デルタ地帯を占める。江波皿山・江波山周辺を除くとほとんど平坦だが橋梁が多く存在する。砂州を埋め立てにより拡大し、地図上では3つの島(砂州)により構成される。東は京橋川を境に東区・南区、西は天満川を境に西区と接する。南は広島湾(瀬戸内海)に面している。区域の全域が三角州上にあり、他の区との陸地上における境界線を持たない。これは大阪市大正区も同様である。 旧太田川下流の江波地区ではカキの養殖が盛んであり、カキいかだも多く設置されている。臨海部の埋立地には三菱重工業などの工場が立地する。区中央部を東西に平和大通りが縦断し、これより北は商業地区として多くの商業施設や企業が存在している。また、相生通りより北は官公庁も多い。また中四国の営業拠点も多く置かれ、都市銀行などの金融機関の支店や関東や関西に本社を置く企業も多くは中区に支社を置いている。中区内の農家数は3戸(2005年時点)で農地面積も極めて少なくなっている。通勤・通学者も多く、昼間人口が夜間人口を上回っている。"も参照。"以下に記載する商業施設は大規模で広域集客力のある物に限定し、店舗の大まかな説明も記載している。百貨店はサテライト店舗でない物、ショッピングセンターは原則10,000m以上(参照)としている。ただし、施設が集積しているなどしている場合は、例外的に掲載している場合も有る。国立私立私立公立私立公立私立公立私立公立私立公立私立公立公共職業能力開発施設基町の広島バスセンターには多くの郊外路線、高速バスが乗り入れている。バスのりばも参照。また、市内の路線の多くは紙屋町・八丁堀を経由している。国道県道主な市道広島高速道路橋梁広島市の文化財(1) 有形文化財:建造物・広島市の文化財(10) 記念物:史跡・広島市の文化財(11) 記念物:名勝・広島市の文化財(12) 記念物:天然記念物・広島市の文化財(13) 登録文化財より。
出典:wikipedia
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