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宝塚古墳 (松阪市)

宝塚古墳(たからづかこふん)は三重県松阪市にある古墳。1号墳と2号墳の2基が現存している。1928年(昭和3年)の鈴木敏雄による調査でほぼ1キロメートル四方の丘陵上に墳丘の確かな古墳が26基、不確かなものを含めれば88基の古墳の存在が確認され、花岡古墳群と呼ばれた。1965年(昭和40年)ころまでに宅地開発などで81基が失われ7基だけになり、中部台公園(総合運動公園)などの開発が行なわれたのちの昭和60年ころには4基を残すのみとなった。2006年に現存しているのは、1号墳と、道路を挟んでその北側に隣接する2号墳のみである。いずれも前方後円墳で、1932年(昭和7年)4月25日に国の史跡に指定された。また、1号墳から出土した船形埴輪をはじめとする埴輪群は、他の出土品と併せて2006年(平成18年)6月9日に「三重県宝塚一号墳出土品」の名称で国の重要文化財に指定された。この地の豪族であった飯高氏の祖先の乙加豆知命(おとかずちのみこと)の墓とする説がある。墓の北西約1キロメートルにある阿形を本拠地とした飯高氏は、大和朝廷に接近することで繁栄したと考えられている。平安時代には衰退したものの、松阪市飯高町にその名を残している。松阪市と松阪市教育委員会を主体として1999年(平成11年)6月 - 2000年(平成12年)3月に発掘調査が行われた。調査結果を以下に列記する。対岸にあたる三河湾岸愛知県西尾市の正法寺古墳も本古墳と類似した形状をしており、両古墳は、伊勢湾、三河湾などの水上交通で覇権を得て、強大な勢力を有した関西系豪族により作られたものとみられる。この調査で土橋の西側から出土した船形埴輪は、全長140センチメートル、高さ90センチメートルとそれまでに出土した中では日本最大であると同時に独特の装飾がなされていたため第1級の埴輪資料であるとされ、2006年(平成18年)6月9日に他の1号墳からの出土品と併せて国の重要文化財に指定された。指定対象は造り出し付近出土の埴輪120点(船形埴輪を含む)と墳丘出土の埴輪50点であり、包含層出土の埴輪90点と土器11点が附(つけたり)指定となっている。この発掘調査ののち、当時を想定し埴輪の模型を並べるなどの整備が行われ、2005年(平成17年)4月27日に「宝塚古墳公園」となり一般に公開されている。1号墳の北に位置する全長90メートルの前方後円墳である。前方部が極端に小さいため帆立貝式古墳と呼ばれる。1号墳より後に築造されたと考えられている。当初は円墳とみなされていたが、のちに帆立貝式の前方後円墳であることが判明した。1号墳と同様、1932年に国の史跡に指定されたが、墳丘が史跡指定範囲外にも広がっていることが判明したため、1978年に指定範囲を拡大して国の史跡に追加指定された。後円部は径89メートル、高さ10.5メートルで、前方部は幅約40メートル、長さ17メートル、高さ2.9メートルである。2号墳も周囲に埴輪が並べられていたことが確認された。墳丘の一部が当初史跡として指定した範囲外に及んでいたため、1969年(昭和44年)に一部が宅地として造成されたり、前方部が道路になってしまうなどの損傷を受けている。

出典:wikipedia

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