ウィリー・モデスト・ペーニャ(Wily Modesto Peña, 1982年1月23日 - )は、ドミニカ共和国のバルベルデ州ラグナ・サラダ出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投げ右打ち。に当時のドラフト外選手史上最高金額となる4年370万ドルのメジャー契約を結びニューヨーク・ヤンキースに入団した。に、トレードでシンシナティ・レッズに移籍した。9月10日の対ピッツバーグ・パイレーツ戦で、メジャーデビューを果たした。は、80試合に出場したが三振率が30パーセント近く、打率.218・5本塁打・OPS.641の成績に終わる。は、契約の都合でマイナー降格がなく前年を上回る110試合に出場し、ケン・グリフィー・ジュニアの故障によりレギュラーに定着した。前年と同じく30パーセント近い割合の三振率を喫するも336打数で25本塁打を記録した。は、4月下旬から6月上旬まで左大腿痛でDL入りする。99試合に出場し、三振率が35パーセント近い割合になったものの19本塁打を放つ。9月28日の対ミルウォーキー・ブルワーズ戦の守備でフェンスに激突してDL入りしシーズンを終了。開幕前の3月に第1回WBCのドミニカ共和国代表に選出された。シーズン開幕前にブロンソン・アローヨとのトレードでボストン・レッドソックスに移籍した。故障もあり84試合の出場に終わったが、打撃改造に着手して打率.301を記録した。8月17日に、トレードでワシントン・ナショナルズに移籍した。移籍後は左翼手のレギュラーに定着し、37試合で8本塁打を記録した。12月には1年200万ドルで契約を延長した。は、64試合の出場で打率.205・2本塁打・10打点・OPS.509に終わる。3月28日に、DFAとなった。2009年4月20日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。6月22日に解雇される。オフにはドミニカのウィンターリーグに参加した。5月30日にアトランティック・リーグのブリッジポート・ブルーフィッシュと契約を結んだ。2010年7月19日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ。2010年12月1日にはアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。、打者有利の球場を本拠地とする傘下のAAA級リノ・エーシズで63試合に出場し打率.363・21本塁打・OPS1.165を記録し、6月21日にメジャーに昇格したが、7月24日に解雇。2011年7月27日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶ。8月13日にメジャーに昇格し、指名打者として22試合に出場。オフの10月30日に、フリーエージェントとなった。また、ドミニカのウィンターリーグに参加している。2011年12月2日には福岡ソフトバンクホークスへの入団が決定した。東日本大震災復興支援財団にホームラン1本打つごとに25,000円寄付(40本以下の場合は100万円を寄付)することを公表した。は、130試合に出場し、40本塁打には遠く及ばなかったが、リーグ4位の21本塁打をマークした。1月9日に背番号が「8」から「55」に変更されることが発表された。シーズンでは、前年と打って変わり、開幕から不振が続き、5月9日に登録を抹消された。降格した二軍では打率.288、4本塁打と成績を残し、6月12日に再登録されたが、調子は上向かず7月1日に再び登録抹消。9月12日に一軍登録後はシーズン終了まで一軍に在籍したが、55試合の出場で本塁打1本、打率も.233の成績に終わり、シーズン終了後の10月15日に球団から退団が発表された。 2013年12月11日にオリックスが契約を発表した。背番号は「42」。は、移籍1年目からチームの主砲として君臨する。140試合に出場し、打率.255・32本塁打 (リーグ3位) ・90打点 (リーグ2位タイ) ・124三振という打撃成績を記録し、2013年の不振から脱却した。得点圏打率.297を記録し、アーチと打点を量産した。シーズン終了後、オリックス球団に残留を希望していたが、球団はペーニャの希望条件を受け入れることはなく、交渉は決裂に終わった。12月2日、自由契約公示された。3月9日に、東北楽天ゴールデンイーグルスと内野手として契約合意し、背番号が「42」となったことが発表された。3月29日の北海道日本ハムファイターズ戦で、審判員に侮辱行為を行い退場処分となった。翌日、厳重注意と制裁金10万円が科された。本塁打、打点ともに4番打者としては物足りない成績に終わったものの、多くの四死球を選んだこと、内野ゴロでも全力疾走したことが実を結び、4割近い出塁率をマークした。しかし、得点圏での打率が低く、チャンスに活躍することができなかった。10月31日、球団から戦力外通告を受けたことが報道された。かつては『サミー・ソーサ二世』と将来を期待され、マニー・アクタからは「35本塁打を打てるポテンシャルを備えている」と評された。アダム・ダンを上回ると評されたパワーを持ち、476フィート(約145メートル)の特大本塁打を放ったこともある長打力を持ち味とするが、打撃技術に欠け、速球や内角球に強い一方で外角へ逃げる変化球に弱い。メジャー通算で右投手に対しては打率.237と苦手にしているが、左投手に対しては打率.275と得意とする。選球眼が悪く、メジャー通算の三振率が30パーセントを越えるなど三振が多い。MLB時代は外野手としてプレーしたが、左翼守備ではメジャー通算UZR-10.6、DRS-1であり、平均を下回る。強肩で果敢にダイビングキャッチも試みるが、打球の軌道を読み違えることが多く、送球の正確さにも欠ける。日本では主に指名打者として起用されている。2014年には一塁手も務めた。2015年に入団した楽天では内野手登録となる。足も速い。走塁の意識が高く、一塁走者が一・二塁間で挟まれる間に本盗を成功させたり、レフトフライの間に一塁から二塁へとタッチアップを決めたりしている。
出典:wikipedia
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