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実存主義

実存主義(じつぞんしゅぎ、、)とは、人間の実存を哲学の中心におく思想的立場。あるいは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想。実存(existenz)の元の邦訳は「現実存在」であったが、九鬼周造がそれを短縮して「実存」とした。語源はex-sistere(続けて外に立つの意)。実存主義は、普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を主張、もしくは優越となっている現実の世界を肯定してそれとのかかわりについて考察する思想である、とされる(「実存は本質に先立つ」)。本質をないがしろにするような思想的なものから、本質はこうだが現実はこうであり、本質優位を積極的に肯定せずに、現在の現実をもってそれをどう解決していくべきなのかを思索的に考えたもの。本質を積極的に認めない傾向があるため、唯物的、もしくは即物的になり、本質がみえなくなってしまう極端な思想も生まれる土壌にもなる。また悲観的な発想にもなりがちとなっている。分かりやすい例えとしてスプーンは食べ物をすくう為の物という目的(本質)が先にあり、そこから人の手によって作られる(実存)することによって存在する。しかし人間は実存が先にあり、本質は自分の手で選びとっていかなければならないとした思想である。古代哲学では、ヘラクレイトスのロゴスの思想の影響下に、イデア論を構想したプラトンを批判的に継承したアリストテレスが、第二実体 (普遍者) と第一実体 (個物に対応) との区別を提唱し、これが継承される形で、中世哲学で、"可能態"と"現実態"との区別が説かれるようになった。近代哲学では、ヘーゲルが、理念と現実との不可分性(理念的・必然的、あるいは合目的的ではない、一回的な、あるいは偶発的な個物は永続性や普遍性を欠く、という意味で現実性を欠く、という意味合い)を説いて「"理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的"」(法の哲学序文)であるとした。これに対抗して、神の前に立つ単独者としての、自己自身の「実存」("existenz" )を問題としたキルケゴールは、実存哲学の嚆矢ともいわれる。第一次世界大戦終結後間もなく、詩人ポール・ヴァレリーはテュービンゲン大学における講演で言った。ダーウィンの『種の起源』以降、ヨーロッパは古代以来の聖書的世界から輝かしい科学と進歩の時代へと向かった。しかし、国民国家という新しい世界体制は第一次世界大戦の国家総力戦による大量破壊へ繋がり、19世紀以来続いた西欧の進歩主義への信仰は大きく揺らぐこととなった。とりわけ国土が直接、戦場となった独仏、わけても敗戦国としての重い負債を背負わされたドイツにとって、進歩主義への信頼の崩壊は強い衝撃を与えた。大陸ヨーロッパの知識人はキリスト教の精神的伝統を進歩主義によって破棄した後の、進歩主義の無残な残骸を前に途方にくれることとなった。このようなドイツにおいてまず、一時代前の人物であるキルケゴールなどが注目を浴びるようになる。「主体性が真理である」として神から与えられた可能性を実現することに生の意義を見出したキルケゴールに対して、しかし、第一次世界大戦において、そのような個人を置き去りにした近代思想の惨禍を目の当たりにして、個人を哲学的考察の対象にしようという機運が盛り上がり、神の死(「神は死んだ」)を宣言し、能動的なニヒリズム (運命愛) の思想を展開したニーチェを、神を否定する実存主義の系譜の先駆者として、1930年代、ドイツのマルティン・ハイデッガーやカール・ヤスパースらによって「実存」の導入が図られ、こうした考え方は第二次世界大戦後、世界的に広がりをみせることになった。第二次大戦後、フランスに輸入され、サルトルらによって広まった実存主義は、サルトルのアンガージュマン(他の実存と共に生きるための自己拘束)の思想に見られるように社会参加色が強く、1960年代の学生運動の思想的バックボーンとなった。サルトルの『実存主義とは何か』は実存主義のマニフェストであり入門書ともいわれ、1945年10月、パリのクラブ・マントナンで行われた講演が元になっており、多数の聴衆が押しかけたため、入りきれない人々が入口に座り込むほどで、翌日の新聞に大見出しで「文化的な事件」として伝えられ、時ならぬサルトルブームを巻き起こした。第二次世界大戦直後のヨーロッパでは、巨大な歴史の流れの中での人間存在の小ささが意識され、戦前までの近代思想や既存の価値観が崩壊し、人々の多くが心のよりどころを喪失しかかっていた。サルトルの思想は、実存に新たな光を当て当時の人々の根源的な不安を直視しそれに立ち向かい、自由に生きることの意味を追求し、人間の尊厳を取り戻す術として人々に受け入れられることになった。この、支配制度に対する被支配的個人の重視は、サルトルの思想が1970年代に入ると、 構造主義などから批判を受け、低調になっていくものの、広く受け入れられている。他者を支配管理する実存はあり得ない。また、同じく「私」に焦点を当てる芸術や文学、心理療法との相性も良く、特にカール・ロジャースらが始めた"心理療法"には「"今、現にここに存在している私"」を問題とする"実存主義"の強い影響が見られる。実存主義を哲学のみならず、"文学"、"芸術"などにも拡大解釈する場合(オットー・フリードリッヒ・ボルノウなど) 、パスカルやドストエフスキー等も実存主義者だと解される場合もある。第一次世界大戦の敗者であるドイツや戦勝国であっても大きな痛手を受けたフランスなどとは異なり、勝利者である英米にとって、第一次世界大戦の惨事は進歩主義への信仰を決定的に揺るがすことはなかった。しかし、スペイン内戦に参加するなどヨーロッパの情勢に積極的にコミットしたアーネスト・ヘミングウェイを代表とする一群のアメリカ知識人もまた、自らを失われた世代と見なした。日本では当時、文学者として国際的な評価も受けていた芥川龍之介が第一次大戦後に「ぼんやりとした不安」という言葉を残して自殺している。「実存主義」の名称は元々は第二次大戦後、治安、政情の不安定であったパリで、職に就かず、その日暮らしをしながらカフェやナイトクラブにたむろする若者を指して使われていた。人生に目的を持たず不条理にただそこに現実存在している状態を批判する呼び方であり、いうなれば蔑称であった。実存主義を自ら名乗った哲学者サルトルも、初期はこの名称で呼ばれることを嫌っていた。

出典:wikipedia

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