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ねらわれた学園 (1981年の映画)

『ねらわれた学園』(ねらわれたがくえん)は、1981年7月11日に公開された薬師丸ひろ子主演・大林宣彦監督による日本映画。(旧)角川春樹事務所製作、東宝配給。眉村卓の少年少女向け小説『ねらわれた学園』が原作。同時上映は『ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY』。角川映画のアイドル路線および、大林宣彦の“大林ワールド”と呼ばれる独自の映像スタイルを確立させた作品。薬師丸ひろ子も本作でアイドルとしての地位を確立させた。「キャンペーンの最中に行く先々でファンが増えてくる、アイドルが誕生する過程を体験した」と大林は話している。このため『ねらわれた学園』は「アイドル映画」時代の開幕を告げる作品と評される。『日経エンタテインメント!』2015年3月号の特集「アイドル&女優が輝く映画」では、その系譜の始まりに本映画が据えられた。また本作はSFのジャンルに入れられるが、アイドルが恐怖に巻き込まれるスリリングな展開と独特の陰のある映像は、その後の「アイドル・ホラー」に大きな影響を与えたとも評され、その嚆矢とも評される。原作からは、舞台を中学校から高校へと変更している。また、薬師丸演じるヒロインの名前が「三田村由香」であること、峰岸演じる京極の設定など、他にも変更点が多い。ほか角川春樹が薬師丸ひろ子の主演で「アイドル映画」を撮ろうと眉村卓の『ねらわれた学園』を原作として選び、脚本と実質的な映画製作を「オフィス・ヘンミ」に依頼した。脚本としてクレジットされている「葉村彰子」は、逸見稔を中心とした創作集団のもつ共同ペンネームで、本作公開の前年1980年に設立され、逸見は本作の製作プロダクション「オフィス・ヘンミ」の社長であった。脚本が完成した時点で、角川から大林宣彦に「うちに薬師丸ひろ子という子がいます。女優としてスタートしたのだけど、まだアイドルになっていない。大林さん、彼女をアイドルにしてしてやってくれませんか」と本作監督の依頼があった。この後、多くの「アイドル映画」を撮る大林であるが、全て女優として撮ったと述べており、戦略的に「アイドル映画」として撮ったのは本作一本のみと話している。1979年の『金田一耕助の冒険』で意気投合した角川と大林は、再び「誰もやらないような映画を作ってやろう」という目論見から、薬師丸ひろ子の「アイドル映画」を構想した。薬師丸ひろ子の「アイドル映画」であるため、その相手役は重要となる。関耕児役は「薬師丸ひろ子の相手役募集」として一般からのオーディションで選ぶこととなり、応募者1万8000人の中から当時慶應義塾高等学校在学中の高柳良一が選ばれて映画デビューを果たした。1978年の『野性の証明』のヒロイン公募は約1200人の応募だったので、その後の角川映画の躍進と薬師丸人気によって15倍に達した。このとき、最終オーディションまで残った一人に中川勝彦がおり、同級生役で出演している。クリス松村は書類審査で落ちたという。また、。有川正彦役で現在ヴィジュアリストの手塚眞が出演。また、乳母車の赤ん坊の役で、大林宣彦の姪の大林万里江が出演している。薬師丸やその同級生役がみな高校生だったため、春休みの三月中旬から四月中旬にかけて行われた。薬師丸が高校二年に上がる春休み期間となる。子供がダンプカーに轢かれそうになるシーンでは、交差点に巨大な鏡を設置し、文字を逆に書いたダンプカーを鏡に映して撮影している。薬師丸は前作『翔んだカップル』の相米慎二監督との相性が非常に良かったので、大林監督の現場に慣れるのに時間が掛かってしまった。これは「相米病」になっていたためと薬師丸は説明している。相米監督からは「ゴミ」・「クズ」・「ガキ」と怒鳴られていたのに、大林監督から「ひろこちゃん」と呼ばれることに当初違和感があった。大林組の現場は優しさの中に厳しさがあり、子供だった薬師丸にとっては厳しさの中に優しさのある相米の方が自分には合っていると考えていた。また、同年代の役者たちと共演するのは、学校の延長線上のように思われた。薬師丸らが通う第一学園の建物は、のちに東京都庁舎(1991年)が建てられた場所で当時は空き地だった。西新宿の高層ビル群に別のところにある学校の写真をマットペイントで合成した。他のシーンも新宿中央公園など、西新宿近辺で撮影している。松任谷由実作詞・作曲・歌唱による「守ってあげたい」は69万枚のセールスを記録し、オリコンシングル週間チャートで最高位2位となり、ユーミンのシングルセールスではそれまで最大のヒットとなった。この時期のユーミンは低迷期で、シングルのセールスは数万枚程度が続いていた。この年11月にシングル「守ってあげたい」を含むオリジナルアルバム『昨晩お会いしましょう』がオリコンアルバムチャートで1位を獲得し、この後、1997年の『Cowgirl Dreamin'』まで、17年間、17枚連続で、オリジナルアルバムが最高位1位を獲得した。本作及び、角川映画は「ユーミンの時代」の本格的なスタートにも貢献している。また本作品中には荒井由実時代のアルバム「MISSLIM」収録曲の「生まれた街で」がBGM曲として効果的に使われているシーンがある。併映の『ブルージーンズメモリー』は製作が東宝映画で、『ねらわれた学園』は角川映画の製作、配給する東宝としては『ねらわれた学園』は何もしなくても角川書店が文庫と一緒に宣伝してくれるので、『ブルージーンズメモリー』の宣伝に力を入れ、『ブルージーンズメモリー』に8割、『ねらわれた学園』に2割という宣伝費を充てた。また一部の映画館で『ブルージーンズメモリー』のみの1本立て興行を行ったりしたため、角川春樹事務所が立腹し次作『セーラー服と機関銃』の配給を東宝から東映に変更している。

出典:wikipedia

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