ジッドゥ・クリシュナムルティ(英語:Jiddu Krishnamurti, 1895年5月12日 - 1986年2月17日)は、インド生まれの宗教的哲人、教育者。既存の宗教や哲学によらず、生を通しての十全な気付きにより、精神をあらゆる条件付けから解放することを説いた。洞察による脳細胞の変容などを指摘した彼の教えは、その現代的なアプローチから宗教という枠にとどまらず、幅広い支持者を獲得した。クリシュナムルティは1895年5月12日、南インドのマドラス(現在のチェンナイ)近郊に位置するマダナパルという小さな町でバラモンの家系に生まれた。第8子であったため、慣習に従い8番目の神、クリシュナ神からその名をもらい、「クリシュナムルティ」と名づけられた。14歳の頃、神智学協会の幹部に見出され、後に同協会に引き取られることとなる。その後、ヨーロッパの神智学協会に連れて行かれたクリシュナムルティは手厚い保護の下で英才教育を受けることになった。1911年、神智学協会の会長であったアニー・ベサントは、クリシュナムルティを長とする教団を設立したが、崇拝者に囲まれたクリシュナムルティはその状態を喜んでいなかった。彼の真意は宗教的教義のようなものとは縁がなく、「真理は権威者を必要とするものではなく、まして集団に属するものではありえない」というものであった。初めのうちこそ教団の長をしていたクリシュナムルティだったが、徐々に協会構成員の幻惑・錯覚や、教団追従者の盲信に幻滅し始め、これを正すべく、いかなる宗教的教義や権威も信じていないとはっきり宣言するに至る。そしてついに1929年8月2日、3,000人あまりの団員がいた自らの教団を解散した。この解散にあたりクリシュナムルティは「宗教組織や組織的な活動によって真理に到達することは不可能である。自分は追随者は望まない。永遠を見つめ、真に生き、何の束縛も受けない自由な人間がいてくれれば充分である」という旨の宣言を行っている。この折の、「真理はそこへ至る道のない土地である(Truth is pathless land)」というフレーズはあまりにも有名である。教団と決別したクリシュナムルティは一自由人としてインドやイギリス、アメリカ、スイスを拠点として世界各地を回り、公開講話、各界著名人との討論会などを行う。講演は大きな反響を呼び、彼は以前にも増す名声を轟かせる。もともと宗教的指導者であった人物が宗教の組織を真っ向から否定し、宗教から、そして神からも自由であれと言うのはインパクトが大きかった。教団の解散以後、56年間に渡って彼は説き続けた。クリシュナムルティの最期については、『クリシュナムルティ・開かれた扉』によると1985年の暮れより発熱、体重減少などの体調不良が続き、なかなか原因が判明しなかった。翌1986年1月23日、精密な検査の結果、末期の膵臓癌が発見され、死期が迫っていることが明らかになった。このころ以降、苦痛が耐えがたくなることがしばしばあり、栄養以外にモルヒネや睡眠薬の点滴、時には輸血も受けるようになった。しかし、それにも負けず、クリシュナムルティ学校や出版の死後の体制等、死ぬまでに整理しておくべき課題を議論し、解決していった。そして遺言も済ませ、必要と思われることをなし終えた後、衰弱が著しい中、2月16日午後7時に睡眠薬を通常通り服用し、最初は苦痛のためなかなか眠れなかったが徐々に苦痛が減退するにつれ、意識を失い始め、2人の医師を含む5人の友人が見守る中、1986年2月17日の午前0時10分に死去した。
出典:wikipedia
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