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カンコンキンシアター

カンコンキンシアターは、関根勤が座長を務めるナンセンス軽演劇集団とその公演である。1989年6月3日旗揚げ。第4回以降は、毎年8月に上演される。「カンコンキン」という名称が「関根勤」をすべて音読みしたものであることからもうかがえるように、関根自らが構成・演出を行っており、男性出演者は関根の古くからの友人や所属事務所である浅井企画の後輩芸人、女性出演者は座長の娘である関根麻里を除き、オーディションの合格者で構成されている。当初は各回ごとにタイトルがつけられていたが、第6回公演からはタイトルが「クドい!」に統一され、各回ごとのサブタイトルがつけられている。「夏の公演の為に毎年春の企画会議〜千秋楽までの間に集まる軽演劇集団」であるため、基本的には各団員個人の活動は劇団内の範疇では規制されておらず、2001年のルー大柴のように別の舞台公演とのダブルブッキングも容認されている。ラジオ番組『コサキンDEワァオ!』にも通じる「意味ねぇ、くだらねぇ」の極致をいったナンセンスでマニアックなコントの連続であり、それに輪をかけたくだらなさ、お下劣さを醸し出しており、劇団パンフレット「軍人魂」において客に突っ込まれるスキのある、日本唯一の劇団と自虐している。テレビ・雑誌等では見られない「ウラ関根」ワールドが全開になった公演であり、かなり見る人を選ぶ公演であるため当初はチケットも余ることがあったが、2000年頃よりネット発売後30分足らずで完売するほどの人気を博し、ネットオークションでの法外な高額取引やそれを見越した転売目的での買い占めなどが起こっている。一般的にとしてどんな喜劇系劇団であっても公演内容が破綻しないためにもきちんとした脚本が存在し、またその脚本の中にはコメディであってもメッセージ性や途中しんみりとしたシーンなどを入れたりするものであるが、そういったものはこの劇団には一切存在しない。笑うための要素以外のものは、この劇団には必要の無いものなのである。上演中、観客や時には演者もただひたすら腹を抱えて笑い、終演後、劇場を去るとき心に何も残さずに帰路につく事が、この公演を観る際のスタンスである。関根がアドリブを団員に許しており、時間の延長もいとわないことに対しスーパー・エキセントリック・シアター座長でもある三宅裕司は、「時間を守らず(終了予定時刻の22:45を超え)毎年延長料金を払っている舞台は舞台じゃない」と批判している。一方、明石家さんまやタモリ等はどんなに忙しいスケジュールでも時間を割いて観に行っており、通称「有名人の羽休め」、「有名人の遊園地、オアシス」となる人気である。盟友である小堺一機は、毎年『おすましでSHOW』の公演初日がカンコンキンの千秋楽から5日後ということもあり、自身の舞台稽古の真っ最中であり、特にカンコンキンがシアターアプルで公演するようになってからは、自身が腫瘤摘出手術で公演を中止した2004年以外はまったく観ていない。逆に、公演が無事終了した関根は、毎年『おすまし』を観に行っている。前述のように上演時間の長さでも知られ、4時間を超えるのが当たり前になっており、千秋楽では出演者の意気込みによるアドリブなどの連発などからさらに延長され、時には5時間近くになることもある。千秋楽を含む日曜日の公演以外では開演は19時からなので終演は23時を過ぎ、ついには出演者である山中伊知郎が「終電が無くなるから」という理由で、途中で堂々と帰宅するようになる。この時の観客には大ウケであったが、観客にとっても終電問題はカンコンキン観劇時の切実な問題ではある。通し稽古の時には少し巻き気味にしているからでありこのことについて関根は、「どんなに短くしても4時間以上になる、これ以上は切れない(切るところがない)」と語っている。『小堺クンのおすましでSHOW』も、4時間越えの公演である。2008年の公演では、遂にマチネ(昼公演)となる日曜の回のみではあるが、開演時間を例年より1時間繰り上げる事になった。第4回から第22回公演では、東京都新宿区歌舞伎町にあるシアターアプルを会場としていた。カンコンキンシアターの後、『おすましでSHOW』が同所で上演されるため、当時の8月のシアターアプルは「コサキン月間」となっていた。関根がコサキンのラジオで度々告知していたことにより、コサキンリスナーの間ではシアターアプルのチケット予約電話番号は「サニオクオニニニ」という合言葉で知られていたが、2007年からコマプロダクションでの販売に統括されたため、アプルでの窓口販売は終了し、件の番号も問い合わせに使われるのみとなった。2008年5月29日、2008年12月末をもって新宿コマ劇場が閉鎖される事が発表された。それに伴い、シアターアプルを含めた併設施設も同様に閉鎖される事になるため、2009年以降、東京グローブ座での上演が決定した。なお『小堺クンのおすましでSHOW』も、2009年よりグローブ座での公演を開始することになった。また、午後10時までしか劇場が使用できないため、今までのような公演ができないこともあわせて発表された。2009年には多くの団員が退団、特に旗揚げメンバーが関根とラッキィだけとなり、定番であったホモコント、漁火兄弟、あぁ剛州などが無くなった。2014年に製作のアトリエ・ダンカンが倒産し興行運営権は全栄に渡った。1984年に渋谷のスタジオDUGで、関根が自らの芸能生活9周年を記念して初の座長公演『回転海老家族』を行う。ラッキィ池田が自身のブログなどで回想している所によれば、1982年、当時小さな劇団に所属していたラッキィが鈴木晋介と共に観に行ったイベントで、小堺と関根のコントに遭遇し、特に関根の不条理なギャグに惹かれるものを感じた2人が、友人を介して関根とコンタクトを取ったことがきっかけだったとある。『回転海老家族』にはラッキィと鈴木の他、ルー大柴、剛州、山中伊知郎、そして森公美子など後のカンコンキン旗揚げメンバーの何人かが参加しており、内容面では「さらわれた家族を助けに行く」という現在の舞台に比べるときちんとしたストーリー仕立てにはなっているものの、そのくだらなさ加減はこの頃から既に確立されていた。関根は、小堺が1985年の夏より始めた公演『小堺クンのおすましでSHOW』に共に出演していたが、ここで舞台の面白さに目覚めたことから、自分も小堺同様に自分の美学を追求した舞台公演をしようと考えていた。また、その「くだらない」要素を盛り込んだ舞台が成功する自信も持っていた。1989年、バブル全盛期の様々な企業がこぞって文化活動への出資、いわゆるメセナが盛んに行われていた頃に、とある電機メーカーが関根にイベントのための出資話を持ちかけてきた事により、劇団の旗揚げを決断する。関根は、小堺とシリアスな話をしたのは長い交友の中でもたった1度、この劇団の旗揚げを決断し「小堺君の舞台への出演をやめたい」と切り出した時だけだとも述べている。しかし、その後電機メーカーからの出資が中止となり、企画が頓挫しかけるトラブルに見舞われた。最終的にはスポンサー無しでの旗揚げに踏みきり、1989年6月3日に浅草常盤座で記念すべき第一回公演が開演された。定期的に行われてはいないが、結婚・出産など何らかの理由により女性団員に欠員が出た場合に新人女優オーディションが行われる事がある。最近では'97年、'01年に実施され、'97年に中村・富田・西田、'01年に後川・林・竹野・さくらいが合格し入団した(竹野・さくらいは'05年公演を最後に退団)。'08年公演で20周年記念となるのをきっかけに7年ぶりにオーディションを開催し、現役女子大生の新人女優、赤塚恵理、増島綾子の2名が入団した。初期には公演タイトルがその都度決められていたが、第6回公演から『クドい!』に統一される。座長・関根やルー達団員のキャラクターと芸風のクドさからきている事は言う迄もない。また、メインタイトル『クドい!』も『新・クドい!』『新・クドい!A(エース)』と続くが突然その翌年「新」を外し、更にその翌年いきなり『クドい!5』ではなく『クドい!10』となるのは公演自体が10回目だったからとこれまたいいかげんな理由からきている。(パンフレットより)各公演のサブタイトルは毎年稽古に入る前の構成会議(と称した団員達の無駄話)の中で関根たちがその場での思いつきで決めたもので大した意味はない。それぞれの由来のいくつかが2005年7月28日のコサキンにメンバーが全員集合した際に明らかにされた。公演期間中、ロビーで販売されるパンフレット「軍人魂」は舞台のパンフレットであるにもかかわらず公演内容以上に意味がないもので、随所にカンコンキンワールドがちりばめられている。以上のように、どこを見ても公演の内容については全く触れられていない。これに加え裏表紙に『インチキ通販の広告』を配するなど、その徹底された意味のなさから地方在住故に公演を観に行けずともこのパンフレットだけは欲しいというマニアもいる。第18回公演分まではB5中綴じ約130ページ程度、以降はB5無線綴じ140ページ程度でカラー袋綴じ付録付き。価格は一冊1,000円(税込)。(「 」内は表紙に記載されているサブタイトル)以下に記されたネタはここ20年近くの間、毎年ほぼ同じような形で演じられつづけて来た演目である。もちろん、全く同じという訳ではなく、その時々の世相を反映させてはいる。カンコンキンシアターの全体の進行の一例として、2007年に行われた第21回公演「男の乳首祭り」の概要を記す。※なお、この回の公演では、これまで多数の意見があったのか、あるいは前年度の「山中伊知郎途中帰宅事件」の影響があったのかは不明であるが、若干ではあるが公演時間の短縮が図られていた。ただし、客の反応を見ていくらでもネタを引き延ばそうとする団員たちの性格からか日を追うにつれ徐々に終演時間は延びていき、結局千秋楽には4時間40分と最長記録を更新してしまった。千秋楽はマチネ(昼公演)であったため、終電問題に関しては取り沙汰される事はなかった。2009年7月18日(土曜日)24時(7月19日〔日曜日〕0時)より座長関根と中村英香をパーソナリティにビクターエンタテインメントホームページよりネットラジオ『関根勤のカンコンキンラジオ〜とりあえずネットでやってみました。〜』の配信を開始。ゲストはカンコンキンの劇団員。フリートークやラジオコント、物まね新ネタ披露など。第2回以降は毎週金曜日更新。2009年10月9日より地上波AMラジオ局の文化放送で毎週金曜25時 - 25時30分に『関根勤のカンコンキンラジオ〜ポァ〜ンと聞いてネ!!〜』が放送開始。レギュラー出演者は関根、中村とイワイガワ、ずん、エネルギー、西田たか子ら。内容はネット版と同様に座長の新ネタモノマネ、座長の近況つぶやき、ショートコントなど。地上波での開始に伴い、ネットの配信日も変更。10月13日(火曜日)に地上波第1回(ネット版含め第13回)が配信。以降は毎週月曜日更新となる(休日・祝日及び年始の場合は、更新日が火曜日にずれる)。ビクターエンタテインメントの系列会社flying DOGが、番組制作・スポンサーを担当(地上波の放送開始以降、提供コールがなされている)。2010年1月8日(文化放送の放送分。ネットでは1月11日配信分)よりタイトルが『関根勤のカンコンキンラジオ〜オスのラプソディ〜』に変更された。毎回呼んでいたゲストが登場しなくなり、関根・中村の二人しゃべりになった。2010年4月8日より、文化放送での放送時間は、木曜日21:30に移動。ネットでの配信日は引き続き月曜となる。文化放送4月29日放送分については翌4月30日(金曜日)に配信された(5月3日から5月5日にかけて休日・祝日だった)。2010年10月からは毎週金曜深夜26:30に変更される。2011年4月10日から日曜21:00に移動となり、プロ野球公式戦がある場合は放送と更新を中止していたが、ナイターがほぼ毎週行なわれる7月以降は、土曜深夜28:30の『ザ・ステージ』枠に移動させて対応した。ただし、週によっては『ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB』の振替放送に充てられるなど、コサキン同様に放送時間がころころと変わった。2011年10月をもって終了し、関根・中村のコンビで『関根勤のスポパラ』が土曜日18:00にスタート。スポーツトーク番組ということでスポーツ選手をゲストに迎えたトークなどはあるが、それ以外の基本的な構成は『カンコンキンラジオ』を引き継いだものとなっている。2012年春の改編で日曜日21:00に移動し、同年秋の改編では月曜日19:00に再び移動した。2013年9月30日よりアシスタントが曽田茉莉江に交代。2014年9月29日よりアシスタントが梶原麻莉子に交代。2015年10月5日よりアシスタントが稲村亜美に交代。2013年10月改編より地方局ネットも開始。北日本放送では2014年10月〜2015年3月まで、当番組の前の日曜18:00〜18:30に『小堺一機と渡辺美里のスーパーオフショット』が放送されており、奇しくも“コサキン”が番組として並んだ形となっていた。聴取率調査(2010年4月か?)で、10代女子の聴取率が一番高いという結果が出た。その理由として、後番組がレコメン!だから聴いているという10代女子からのお便りが紹介された。flying DOGレーベルより、ラジオコントやレギュラーコーナーネタ等を収録したアルバムCDが発売されている。

出典:wikipedia

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