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NNNきょうの出来事

『NNNきょうの出来事』(エヌエヌエヌ きょうのできごと)は、日本テレビ系列(NNN/NNS)で1954年10月4日から2006年9月29日(金曜日)まで、52年間に渡って放送されていた最終版のニュース番組。略称は「きょうの出来事」、「出来事」、「きょう出来」。開始日・放送回数ともに日本における民放テレビの最長寿番組であった。なお、土日版は1958年4月5日に開始した。日本初の民間放送テレビ局として開局してからまだ1年余りしか経っていなかった日本テレビで、一日のニュースを振り返る番組として1954年10月4日に放送開始された。当初は月曜日から金曜日で、1958年4月5日の土日版スタート以降は全日放送となる。出演当時同局のアナウンサーだった小林完吾や、女性アンカーパーソンの先駆けとなったジャーナリストの櫻井よしこなどがキャスターを務めたことでも知られる。終了時点における本番組はNNN加盟30局がネットする唯一の番組となっており、沖縄県を除く46都道府県で放送されていた。スポンサーは月曜日から金曜日まではテレビ宮崎を除く29局はスポンサードネット(全国ニュースのみ)になっていた。1990年代中期から2000年代中期にかけての金曜日はスポンサーのなかった時期もあった。なお、土曜と日曜については、一時マストバイ局や一部の非マストバイ局のみのスポンサードネットが実施されていた時期があった(当時はスポンサードネットでない地方局が提供クレジットを隠すためにオープニング映像を差し替えるということもあった)が、末期は全ネット局ともオールスポット扱いとなっているため、土曜と日曜は、全ネット局にスポンサーがなかった。音声多重放送が始まった1978年頃から2か国語放送が実施された。これは、同じく日本テレビの各報道番組でも実施され、1993年5月31日まで続いた。同年6月1日以降は各番組共にモノラル放送を実施している。また、2006年4月3日より最後の半年間は、リアルタイム字幕放送が実施されていた(土日版を除く)。最終回の2006年9月29日は放送時間を15分拡大した(後述)。※ここで記載されている放送時間は、月曜日から木曜日までのものを基準としている。開始当初は、21時台の10分間の番組であった。また、第1回の放送はその日の最後に放送された番組でもあった。なお、この当時は21時半前後をもって1日の放送を終了していた。番組開始からNNN発足前日の1966年3月31日までは東芝(当時の正式商号は東京芝浦電気)の一社提供番組として放送していた。2006年9月29日放送の最終回では、日本テレビが所蔵する中でもっとも古い1961年当時の映像が紹介された。オープニングは、はじめに東芝製のイメージオルシコンカメラが登場し、カメラの正面からレンズに向かってクローズアップすると、奥から国鉄の特急こだまが正面から頭上を走り抜けていく映像が円の中に光学合成で流れる。終わると引いてカメラを映す映像に戻り「東芝 提供(※通称:傘マーク)」が大写しになって提供バックが躍り、被写体カメラが画面左を向いて横腹を見せつつ、平仮名でなく漢字で「今日の出来事」のバックが現れる、というものであった。NNN発足を受けて、1966年4月にタイトルにNNNの冠を付けて再出発。4月18日(月)から23時台(23:00 - 23:10)に移行。NNN発足以降は、初期の一時期、三陽商会(クレジット名・サンヨーレインコート)が単独協賛した時期があったが、のちに最終回まで、複数社提供番組であった。1974年から小林完吾(当時日本テレビアナウンサー)がキャスターに着任。「あ、さて」ではじまる節回しや低音ボイスで知られるようになる。1979年からキャスターに久保晴生が加わり、小林・久保両名のシフト制になる。NNN発足後は、次番組が『11PM』(スタート当時は同番組への内包形式)であったため、新聞のテレビ欄の夜11時台には、『きょうの出来事』と1行書いてあるだけだったが、後に分離された。サブタイトル付きの『The Day NNNきょうの出来事』(ザ・デイ - )となる。この頃は23:00から20分間の番組であったが、1985年4月改編で月曜から木曜は30分に拡大、金曜は23:30からの15分番組となった。これ以降、後番組の『NEWS ZERO』を含め金曜の放送は月 - 木曜とは別編成となる。1980年4月より「1980年代は女性の時代」という触れ込みのもとで女性キャスターが起用され、男女1ペアのキャスター制が敷かれた。当初の女性キャスターは片倉もとこ(アラブ問題評論家)と馬場恭子(所沢市立所沢中学校教師)の2人であったが、両名とも読み手としての技能が不足し視聴者受けが悪く、片倉は早々に体調不良を理由に降板。同時期に馬場も降板し、ベテランアナウンサーの小坂美保子や青尾幸が後任決定までサブキャスターを務めた。その後、片倉・馬場の正式な後任として白羽の矢が立ったのが、番組スタッフと外国人記者クラブの席などで面識のあったジャーナリスト・櫻井良子だった。急きょ抜擢された櫻井だが、1996年3月まで16年近くキャスターを務め、自身の出世作ともなった。久保が月-金曜の担当から外れ、小林・櫻井コンビに固定してからは地味ながら徐々に根強い支持を集めるようになる。オープニング映像はCGを使用していたものの、エンディング映像はブルーバックで提供クレジットとタイトルが出ているだけだった。1983年4月頃から1年ほどの男性メインキャスターは、小林ではなく、後にCS日本会長となる舛方勝宏(当時アナウンサー)や高雄孝昭が担当していた。これは小林が夕方の『NNN JUST NEWS』を担当したことによるもので、後に小林が復帰して1988年3月までキャスターを担当した。同じころ『NNN JUST NEWS』を担当していた國弘正雄が小林と入れ替わる形で週後半のキャスターとなり、小林の復帰後も舛方に再度バトンタッチするまで約2年間担当した。この時代、ローカル枠の前に、海外ニュースを電報風に紹介するコーナーや、比較的軟らかめのニュースをフラッシュ形式で伝えるTHE DAY フラッシュというコーナーがあった時期もあった。よみうりテレビはこれらのコーナーから飛び降りることもあった。1988年4月から男性メインキャスターが、アメリカ特派員から転じた真山勇一に変わり(真山はこれ以前にも当番組「特派員レポート」でアメリカの支局から出演していた)、同時に『スポーツニュース』を内包(当初は月-金曜で、1990年4月から土日も)。それに伴い放送時間を1時間と大幅延長(金曜は30分放送)して、『NNNきょうの出来事 Sports & News』( - スポーツ・アンド・ニュース)と改題。この形態は、1994年3月まで継続されたが、タイトルロゴの「Sports & News」の表記は1990年10月のタイトルロゴのデザイン変更時に削除。このリニューアルの2年半前に民放の最終版ニュースとしては初めて10時台に放送を開始したテレビ朝日の『ニュースステーション』から始まった「夜のニュース戦争」の影響とも言える。これに伴い、新聞のテレビ欄表記は『出来事・スポーツ&[N]』となった。これに伴いスポーツニュースの内容を拡充、プロ野球全試合詳細速報や各種スポーツニュース、特に日本テレビ系列が力を入れるスポーツイベントの特集企画も行えるようになった。真山は1990年3月に降板。それ以降は、櫻井が単独でメインキャスターを担当することになり、新聞のテレビ欄には、『桜井良子の[N]出来事』とタイトルが記載されるようになった。また、1989年4月からフジテレビの月-金曜最終版ニュースのメインキャスターに木村太郎が登用されたことや、同年10月からTBSで『筑紫哲也 NEWS23』がスタートされたこともあり、どちらかというとジャーナリズムに突出した内容に変わっていった。真山降板後は櫻井一人で立ってニュースを伝えていたが、1991年10月に、報道センターから専用スタジオセットに移り、座ってニュースを伝えるスタイルに戻ると同時に、保坂昌宏(当時アナウンサー)が櫻井のパートナー役として加入した。この時期のスクープ報道として、1988年9月19日の深夜に昭和天皇の主治医であった高木顕侍医長が皇居に向かった事を報じた。これはたまたま夜回り取材として侍医長の自宅に向かった記者が皇居方面に向かう侍医長の車とすれ違ったことに起因する。一報の約3時間半後、宮内庁が昭和天皇の吐血を伝えた。Sports & News時代の月 - 木曜版最後の放送となった1994年3月31日は、日本テレビ系列とフジテレビ系列のクロスネット局であった鹿児島テレビがNNNのニュースをネットする最後の放送でもあった。その当日、櫻井がその趣旨をアナウンスしていた。1994年4月、番組を大幅にリニューアル。22:55(同年10月から22:54)からのフライングスタートとし、スポーツコーナーを切り離して23:25までニュースのみ伝える『NNNきょうの出来事』として再スタート。メインキャスターは引き続き櫻井が務め、パートナー役の保坂と、天気予報担当の片平夏貴(フリーアナウンサー)が就任し、キャスター3人体制となった。放送時間が短くなった為に重大ニュースや災害が発生した時は時間拡大での特別編を随時編成した。 1996年3月、長年にわたりこの番組の顔だった櫻井が勇退し、同年4月より、金曜から日曜のメインを担当していた井田由美(当時アナウンサー)が月-金曜キャスターへ昇格。併せて女性サブキャスターは薮本雅子(当時アナウンサー)に交代した。薮本が1998年6月に報道局へ異動したことにより一時空席となったが、10月に豊田順子が後任に就任した。特に1995年には、オウム事件や阪神大震災などで放映時間を拡大することが多く、オウム事件に関してはかなり重点的に特集を組むなどし、また1996年には薬害エイズ事件関連の報道については同年3月に勇退した櫻井が時折コメンテーターとして出演し、特集を組むことも多かった。この時期が最大の絶頂期だったといえる。当初は冒頭部分からストレートニュース方式だったが、フライングスタートを活かし、1995年からは冒頭はテーマ音楽にあわせてその日のニュースを短く伝える「フラッシュニュース」方式にした。その上で改めてニュースを幾つか詳報し、特集、フラッシュニュースを伝えてローカルニュースへ繋いだ。この時代のオープニングとテーマ音楽「file」及びBGMは、2002年4月の番組リニューアルまで一貫して使われた。ネットCMに関しては月曜 - 木曜分は3分に縮小された。この時期からは天気予報は月曜から木曜は各局差し替えで30秒、金曜のみ一部地域は1分間全国の天気を伝えた後、後半30秒は各局差し替えとなっていた。天気予報については、1994年以前は全国の天気のみで差し替え枠も無かったが、1994年以降からは全国の天気とローカル天気に変更されている。また、関東ローカルの天気予報では、一時期、関東一円の立体画像(東は茨城から西は静岡まで、富士山や稜線などもリアルに描かれた予報画面)が使用されていた事があった(ただし、静岡の予報は表示されていない)。この番組のリニューアルと共に櫻井が櫻井良子から櫻井よしこに改名(後述)。これに伴い、新聞ラ・テ欄の表記は櫻井が勇退するまで『桜井よしこの[N]出来事』となった。また、井田が月-金曜キャスターとなってからは『井田由美の[N]出来事』と表記されるようになったが、番組表にGコードが記載されるようになり、文字のスペースが限られてからは、新聞ラ・テ欄の表記はキャスター名を冠さない『[N]出来事』となった。『出来事』が好調であった為、日本テレビはスポーツニュースとバラエティー番組の底上げを期待する編成を行い、『出来事』もリニューアルや放送時間の変更を繰り返した。2002年4月より、月-金曜については『SPORTS MAX』を番組の後半に挿入し、タイトルを『NNNきょうの出来事 & SPORTS MAX』( - スポーツ・マックス)と改める。これにより『きょうの出来事』は『SPORTS MAX』を挿んだ3部構成となり、第1部がニュースとローカルニュース・天気予報、第2部がスポーツ、第3部がフラッシュニュースと全国の天気となった。ニュースティッカーを導入し、画面上部に常時スクロール表示していた(2003年9月まで、スポーツMAXでは表示なし)。2002年10月、フジテレビの23時台バラエティー番組に対抗するため『夜は別バラ22:54』を編成。これに伴い30分繰り下がり23:24スタートになった。同時に2部構成を廃止し、事実上スポーツコーナーを切り離している。2003年4月から9月までの間の月-木曜には、『NNNきょうの出来事 & SPORTS MAX INDEX』( - インデックス)という、きょうの番組内容を紹介するミニ番組が本編開始前に放送されていた。番組内容としてこの後の「出来事」のニュースと「MAX」のスポーツ情報を少し放送するものであった。これはサブキャスターである菅谷大介が、曜日毎の女性アナウンサー(それぞれ佐藤良子、山本舞衣子、杉上佐智枝、小野寺麻衣(当時)が担当。ただし、これらの4人は番組本編に登場しない)とともに担当。これにより本編は23:29スタートとなる。2003年9月に7年半にわたり月-金曜のメインを務めた井田が勇退し、キャスターを一新したほか、ニュースティッカーの廃止やスタジオセットや映像デザインを入れ替えた。リニューアル後の月-金曜の放送はメインに小栗泉を起用、イラク戦争の際に日本テレビ向けにリポートを送り活躍したジャパンプレスの記者山本美香をフィールドキャスター(番組専属リポーター)として起用したが、山本は半年で降板している。2004年4月に、『SPORTS MAX』(後の『スポんちゅ』)を分離、再びニュースオンリー番組となった。また『別バラ』の放送時間と入れ替えて再び22:54から(金曜日はこれまで通り23:30から)となった。2006年4月より、月曜から木曜までの放送では著名人をコメンテーターに迎えて放送する形となった。又、放送終了後に小栗とコメンテーターがきょうのニュースについて語る『トークの泉』もスタートした(『トークの泉』はホームページにて無料で動画配信された)。なお、ネットCMは2004年4月からは隔日交代制となり、当初から9月までは1分30秒だったが、10月には2分、2006年4月には2分30秒へとそれぞれ拡大された。土日は24時台の放送(月-金曜も番組編成によっては放送時間が00:00を過ぎることも)のため『きのうの出来事』と揶揄されることもあった。2006年9月29日(土日版は9月24日深夜まで)、日本テレビの、そして民放テレビの最長寿番組として続いたニュース番組『きょうの出来事シリーズ』は52年の歴史に幕を閉じることとなった。最終回は23:45 - 0:29までの45分間特別編成となり、後半のうち15分ほどを番組の52年間の歴史を報道面から振り返る特集に充てた。スポーツニュース番組『スポんちゅ』も同日に終了し、同年10月2日からは2番組を統合した後継番組となる『NEWS ZERO』がスタートした。『きょうの出来事』で放送された特集、シリーズ企画は日テレNEWS24の『ウォッチ・ザ・にっぽん列島』の再放送(日テレNEWS24番組表では『ふるさと&特集!』)でも放送されていた。放送終了時は以下の放送局でネットされていた。クロスネット局のテレビ大分(TOS)とテレビ宮崎(UMK)では、フジテレビ系列(FNN/FNS)のネット受け該当日(テレビ大分は火曜日、木曜日、金曜日、テレビ宮崎は火曜日-木曜日、土曜日(一部除く))に日本テレビが野球中継を放送して延長オプションが行使された場合、時間調整のフィラーとして『巨人戦ハイライト』が放送された。フジテレビの野球中継が放映され、延長が行使された場合はそれぞれの局で日本テレビ配給のネットワーク受けの素材を録画して放送した(『スポんちゅ(大スポんちゅ含む)』、『SPORTS うるぐす』も基本的には同じ)。

出典:wikipedia

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