戸畑祇園大山笠(とばたぎおんおおやまがさ)は、福岡県北九州市戸畑区にて毎年7月第4土曜日を挟む3日間で行われる祭り。博多祇園山笠、小倉祇園太鼓とともに福岡県夏の三大祭りの一つとされ、競演会には毎年10数万人の観衆が訪れる。国の重要無形民俗文化財に指定されている。江戸時代後期の1802年(享和2年)、戸畑地区に疫病が蔓延した際に、神社に祈祷したところ成功を収め、このことを喜んだ村人たちが翌1803年(享和3年)に須賀大神(スサノオノミコト)に対し感謝の意を表した祝い山笠を作り奉納した行事が始まりといわれている。太平洋戦争のため、1938年(昭和13年)から1946年(昭和21年)までの間大山笠行事は中断されたが、1947年(昭和22年)に再開された。戸畑区内の4地区(東大山笠…中本町周辺から高峰、浅生地区、西大山笠…西戸畑(戸畑駅北側)・東戸畑(幸町、千防)地区、中原大山笠…沢見、中原地区、天籟寺大山笠…天籟寺、大谷、鞘ヶ谷地区)の氏神様(飛幡八幡宮、恵美須神社、中原八幡宮、菅原神社)を中心に展開し、高校生以上の大人が担ぐ「大山笠」と中学生が担ぐ「小若山笠」の全8基による山笠行事の総称である。女人禁制の祭りであり、7月に入ると各地区の神社に設置される拠点「宿」も全て男性のみで運営される。昼山から夜山へと姿を変える祭りは全国にも例がなく、戸畑祇園大山笠の見どころの一つとなっている。山笠の土台に幕類(水引幕・前掛幕・切幕)と勾欄・幟で装飾され、山笠前面には前花(菊の花をあしらった飾り)、背面には見送り(直径約1.5メートルの円型の台に取り付けられた幕)が飾られている。幕類・見送りはそれぞれの山笠で刺繍の模様が異なる。見送りの模様はそれぞれ西大山笠・・・布袋東大山笠・・・鷲天籟寺大山笠・・・唐獅子中原大山笠・・・虎となっている。昼の姿である幟山の装飾を全て取り外し、台座の上に高さ4メートルのやぐらを組み、この上に5段、57個の提灯をつけた高さ約3メートルの角錐型の先端部を一気に担ぎ上げる。(通称:五段上げ)。続いて6段目、7段目と順次12段目まで組み上げ、高さ約10メートル、重さ2.5トン、309個で出来たピラミッド型の提灯大山笠が完成する。(提灯には各地区の「東」、「西」、「中」、「天」の文字が書かれている)なお、一つ一つの提灯は全てロウソクで灯されているため、激しい動きの中で山が傾いて提灯に火がつくことがあれば山方がたたき落として消し、あとを補充する。60~100人で山笠を担ぎ、各山笠が地区の威厳をかけて競う。それぞれの地区で奉納の儀が異なるので、毎年違う地区を見に行くと面白い。例えば、最終日の天籟寺大山笠の奉納(大上り)は天籟寺通り~菅原神社までの坂道を一気に駆け上がっていくので、スリリングであり男たちの勇壮さを間近に見ることが出来る。なお、区内の主な町内に幟山笠や人形山笠の「子供山笠」があり、小学生が参加する。子供山笠には車輪が付いており、綱を付けて子供たちが引っ張る形で(実際は大人が直接山笠を押してコントロールしている)運行される。大山笠同様に、小学生が太鼓・鉦などで祇園囃子を演奏する。太鼓、鉦、合わせ鉦(チャンプク)、横笛を使った祭囃子があり、山笠運行の際などに奏でられる。お囃子には数種類あり、最も有名なものは山笠運行時の「おおたろう囃子」で、太鼓・鉦・合わせ鉦によって一定のリズムを刻みながら奏でられ、「ヨイトサ、ヨイトサ」の掛け声と共に、かきこ(担ぎ手)の歩みのテンポを合わせる目的も併せ持つ。各地区によって祇園囃子は若干違いがあり、その地区にしかないものもある。また、鉦などの音色も地区により若干異なっている。毎年7月第4週の金・土・日曜日に行われる。
出典:wikipedia
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