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棋戦 (将棋)

棋戦(きせん)は将棋のタイトルや優勝を争う争奪戦のこと。プロ(棋士、女流棋士)のものを指すことが多く、女流棋士のものは特に「女流棋戦」という。プロ棋戦のうち対局結果が記録(棋士や女流棋士の成績等)として残るものを「公式戦」あるいは「公式棋戦」と言う。公式戦はタイトル戦と一般棋戦とに分かれていて、現在プロ将棋界には7つのタイトル戦と6つの女流タイトル戦がある。他に記録として残らないプロ棋戦を「非公式戦」と言う。達人戦が主な例である。タイトル戦は将棋界では非常に重んじられていて、一般棋戦とは明確に差別化がされている。タイトル戦と一般棋戦とを分ける基準は公表されていないが、特徴として、前回のタイトル獲得者(現在のタイトル在位者)に挑戦者が挑戦する挑戦手合制と言う形式で行われ、またその勝負が番勝負(「シリーズ」と表現する)である。更に優勝者には称号があり、タイトル在位者にはタイトル称号が与えられ、在位中は段位ではなく称号を付して、あるいは称号そのもので呼称される。しかし、王座戦はこれらの特徴を満たしていながら1982年まではタイトル戦ではなかった。2006年まで行われていた「朝日オープン将棋選手権」もこれらを満たしていながらタイトル戦ではなかった。アマチュアのものは「将棋大会」「アマチュア大会」と呼ばれ、規模の大きいものは「アマチュア棋戦」と呼ばれることがある。江戸時代から名人は家元制の終身名人として続いていたが、1935年(昭和10年)、関根金次郎十三世名人が名人位を退位し、実力名人制に改められた。第1期名人戦は「名人決定大棋戦」と呼ばれた八段リーグ戦で2年にわたって行われ、1937年(昭和12年)に木村義雄が初代名人となった。これが将棋のタイトル戦の始まりである。1946年(昭和21年)からは、名人戦の予選として「順位戦」のシステムが始まった。(※以下の年度は、予選開始年ではなく番勝負が実施された年度である)1948年(昭和23年)創設の「全日本選手権戦」(読売新聞社主催)に1950年(昭和25年)から九段のタイトル贈与がされることとなり、「九段戦」の呼び名もついた。これが史上2つ目のタイトル戦である。また、1950年度創設の「王将戦」(毎日新聞社主催)が翌年の1951年度(昭和26年度)にタイトル戦となり、以降、タイトル戦の数が3つという時代が約10年続く。1960年(昭和35年)に「王位戦」(ブロック紙3社連合主催)が始まり、タイトル戦は4つとなる。1962年(昭和37年)に九段戦(全日本選手権戦)が「十段戦」に改称される。同年、史上初の1年度2期(前期・後期)のタイトル戦として棋聖戦(産経新聞社主催)が開始。以降、タイトル戦の数が5つ、年間のタイトル戦の回数が6回という時代が十余年続く。1974年度(昭和49年度)創設の「棋王戦」(共同通信社主催)が翌年の1975年度(昭和50年度)にタイトル戦となり、タイトル戦は6つとなる。そして、1983年(昭和58年)には、「王座戦」(日本経済新聞社主催、1953年(昭和28年)に創設)がタイトル戦に昇格し、タイトル戦の数は7つとなり、年8回のタイトル戦が開催された。1988年(昭和63年)には十段戦が発展解消して、賞金額トップの「竜王戦」(読売新聞社主催)が誕生。棋戦としての序列で名人戦を上回る初のタイトル戦となった。竜王のタイトルと名人のタイトルは同格である。1995年度(平成7年度)から棋聖戦が他のタイトル戦と同じく1年度1期となり、7つのタイトル戦の開催は現在の形となる。日本将棋連盟の「棋士」(将棋棋士)の棋戦である。女流棋士や奨励会員、アマチュア選手の出場枠が設けられているものもある。ただし、女流棋士と奨励会の重籍者は、女流棋士枠からの参加はできない(新人棋戦への奨励会三段枠からの参加は可能)。棋士のタイトル戦は、2014年現在7つある。上記の表の持ち時間は番勝負での持ち時間について示している。予選や本戦などでの持ち時間については「持ち時間」の項目を参照。永世称号の条件および該当者は「永世称号」の項目を参照。タイトル戦の結果およびタイトル在位者は次の項目を参照。女流タイトル戦は、日本将棋連盟が運営し、所属(日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会)にかかわらず、全ての女流棋士が参加する。奨励会に在籍する女流棋士も参加できる(2011年より)。女性アマチュア選手などの出場枠が設けられているものもある。2011年に女流王座戦が創設され、女流タイトル戦は6つとなった。番勝負は全て1日制。「将棋のタイトル在位者一覧 (女流棋戦)」も参照。日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属の女流棋士とツアー女子プロが参加し、女性アマチュア選手なども出場する。永世称号は、同一タイトルを一定の期数獲得、あるいは同一棋戦で一定回数優勝した者に与えられる称号であり、全7タイトル戦とNHK杯戦に設けられている。各棋戦には永世称号獲得のために必要な、連続または通算タイトル獲得期数あるいは優勝回数が規定されている。永世棋王だけが連続獲得のみの規定である。永世称号の名称はタイトル名に「永世」または「名誉」を冠したものである。「名誉」を冠するのはタイトル戦では王座戦(日本経済新聞社主催)のみである。また、永世名人の場合は資格を得た順に番号が付き「○○世名人」と呼称される(名人 (将棋)を参照)。そのほかにNHK杯戦で「名誉NHK杯」の称号の規定がある。タイトル永世称号を呼称され始めることを「永世(または名誉)○○に就位する」あるいは「永世(または名誉)○○を名乗る」と言う。ただし、永世名人の場合は「○○世名人を襲位する」と言う。なお、タイトルの実績とは無関係に贈られた名誉称号(例:名誉名人、名誉九段)も存在する。塚田正夫が贈られた名誉十段は、塚田は十段を獲得したことはないが十段戦の前身棋戦である九段戦で永世九段を贈られている。棋士のタイトル永世称号は引退後に名乗るのが原則とされているが、実際には、塚田正夫が永世九段を獲得した後に八段と呼ばれることがなくなり、また、大山康晴(永世王将、のちに十五世名人も)、中原誠(永世十段、のちに名誉王座・十六世名人・永世棋聖・永世王位も)、米長邦雄(永世棋聖)と、いずれも現役のまま永世称号を名乗っており、木村義雄が引退と同時に十四世名人を襲位した1952年以降、引退してから初めてタイトル永世称号を名乗った例は一つもない。なお名誉王座については、囲碁の名誉称号と同じく現役でも満60歳に達すると名乗ることができる。太字は現役のまま名乗った棋士(かっこ内は名乗り始めた年)。女流棋戦で永世称号に相当するものは、「女流○○」であるタイトル名を「クィーン○○」とする「クィーン称号」である。ただし大山名人杯倉敷藤花戦のクィーン称号はクィーン倉敷藤花である。なお、「イ」を小さくせず「クイーン」とする表記も見られ、2011年4月現在、日本将棋連盟公式サイトの清水市代の紹介ページでは「クィーン」と「クイーン」の表記が混在している。クィーン称号については、棋士の永世称号のような「原則として引退後に就位」という規定は発表されていない。また、2007年に創設されたマイナビ女子オープン(女王)、および、2011年に創設された女流王座戦(女流王座)については、クィーン称号名および条件が発表されていない。カッコ内は登場回数。タイトル数の黄色は永世称号資格。太字は在位中のタイトル。(2016年10月4日王座戦終了現在)カッコ内は登場回数。タイトル数の黄色は永世称号(クィーン称号)資格。太字は在位中のタイトル。(2016年10月11日女流王将戦終了現在)竜王および名人は、他のタイトルに同時に在位しているか否かによらず、以下のように呼称する。「竜王・名人」で呼称された棋士は、羽生善治(1994竜王獲得 - 1996竜王失冠、2003名人獲得 - 2003竜王失冠)、谷川浩司(1997名人獲得 - 1998名人失冠)、森内俊之(2004名人獲得 - 2004竜王失冠、2013竜王獲得 - 2014名人失冠)の3人である。また、竜王と名人以外のタイトルのうち2つ以上に在位した場合には肩書きが長くなりすぎるため、「五冠」「四冠」「三冠」「二冠」と呼称することがある。羽生善治は1993年度の竜王失冠から1994年度の名人獲得まで棋聖・王位・王座・棋王の四冠であったが、肩書は「棋聖」であった。1997年度の名人失冠後は同じ4つのタイトルに在位していたが、肩書は「四冠」であった。二冠の場合、「二冠」と呼称することが多いが、NHK杯では羽生善治「王座・王将」(2008年の名人獲得前)の表現も見られる。竜王と名人については、タイトル喪失後1年間(次の竜王戦・名人戦の七番勝負終了まで)は「前竜王」「前名人」の称号を名乗ることができる。ただし他のタイトルに在位する場合はその称号で呼ばれる。しかし、谷川浩司が1998年に名人と竜王を失冠した際に「前竜王・前名人」の称号を辞退して以来、「前竜王」「前名人」を名乗った例はない。七大タイトル全てを1期以上獲得すること。中原誠、谷川浩司、羽生善治の3人が達成。2016年10月4日現在。年は年度で記載。すでに上述した記録は記さない。先後(先手・後手)は振り駒によって決定される。ただし、順位戦・王位戦・王将戦・女流名人戦・女流王位戦のリーグでは、対局順決定時に先後も決定するため振り駒は行われない。ただし、挑戦者決定プレーオフや残留決定戦などの同率戦では振り駒が行われる。最強戦や女流最強戦などのネット棋戦では、コンピュータがランダムに先後を決定する。タイトル戦などの番勝負では1局目にのみ振り駒を行い、2局目以降は毎局先後を入れ替えるが、最終局については再度振り駒を行い先後を決定する。棋王戦の挑戦者決定戦(変則二番勝負)は厳密な意味での番勝負ではないため、2局目も振り駒を行う。千日手や持将棋になると先後を入れ替えて即日指し直しとなる。タイトル戦での千日手・持将棋は後日指し直しとなることもある。番勝負において、千日手・持将棋となり即日指し直しで勝負がついた場合の次局の先後については、千日手・持将棋となった緒局から先後を入れ替える。つまり、指し直し局を手番上1局と見ず、千日手・持将棋による先後の入れ替えは後続局に持ち越されない(一局完結方式)。正式な規定ではないが、タイトル戦の番勝負では両対局者は和服を着用するのが慣例である。あくまで慣例ではあるので、タイトル戦で対局者が洋服を着用した例も加藤一二三・森けい二・島朗・谷川浩司・羽生善治・佐藤康光など少なからずある。竜王戦・名人戦では、記録係も和服を着ることになっている。女流タイトル戦の番勝負では洋服着用での対局が普通だが、矢内理絵子は常に和服(振袖・袴)である。矢内が甲斐智美を下して初代女王となったマイナビ女子オープンでは、2008年の第1期では4局とも矢内が和服、甲斐が洋服であったが、第2期以降に矢内に挑戦した岩根忍(第2期、0-3で敗退、第1局は洋服)と甲斐智美(第3期、3-0で奪取)が、いずれも矢内に合せて和服を着用した。矢内の失冠後の第4期(甲斐智美女王に上田初美が挑戦、3-0で奪取)でも引き続き両対局者が和服であった。マイナビ女子オープンでは和服の着用が定着している様子である。プロの棋戦において、多くは、対局者のほか記録係・立会人等の関係者のみが対局室に入室し対局が行われるが、観覧席を設けて対局者の様子を一般のファンに公開する公開対局の形式によることもある。対局開始時やその直後等のごく短時間の公開、インターネット・TV中継での公開だけのものは公開対局にあてはまらはない。タイトル戦で実施される場合は、午前は対局室(非公開)で午後から終局までが舞台上で公開対局となるケースが多い。棋士の側においても基本的に公開対局は奨励されるものとしての見解が多いが、タイトル戦のような長時間の対局においては疑問を呈する棋士もいる。下記6大会(個人戦)は主要アマ6棋戦と呼ばれる。そのいずれかにおける優勝は奨励会三段リーグ編入試験の受験資格となる。

出典:wikipedia

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