ヘヴィメタル(英語:heavy metal)は、音楽のジャンルの一つ。基本的な俗称はメタル。他にHM、ヘヴィメタ、ヘビメタなど。1960年代の終わりから1970年代の初頭にかけてイギリスやアメリカなどで広く発展したロックのスタイルのひとつである。両者を並べてHR/HM(HM/HR)と表現することもある。歌詞やパフォーマンスが男らしさや攻撃性、マチズモと結びつけられることもある。また、ファンはメタルヘッド(日本においてはメタラーとも)などと呼ばれる。ヘヴィメタルは比較的古くから、アリーナ向けの商業ロックとアンダーグラウンドにシーンが分かれていて、また時代が下るごとにシーンも細分化が進んできた。シーンの分化はすなわち音楽性の多様化といえ、ヘヴィメタルは様々なサブジャンルを内包している。とはいうものの、このジャンルに分類されるバンドのサウンドはハードロック同様、エレクトリック・ギターの歪んだ音を強調した、過激なものであるのが基本的である。それはヘヴィメタルが、ハードロックが限界点を迎えた後、パンク・ロックムーブメントの中で新たな音楽性を求め発展した末に生まれたジャンルであることによる。従って、ハードロックとヘヴィメタルの間に厳密な境界線は無く、ハードロックとヘヴィメタルとをひとくくりにしてHR/HM(HM/HR)と呼ぶこともある。ヘヴィメタル・ミュージシャンであるデーモン閣下は、ハードロックとヘヴィメタルの違いの一例として、「ハードロックに様式美を持ち込むと、ヘヴィメタルになる」と雑誌の対談で説明している。多くの音楽ジャンルの中でも、ヘヴィメタルは直感的でその解釈は非常に多岐にわたるため、これといった定義付けをすることが困難である。ジャンル名にもなっているように、一般的には音の「ヘヴィさ」「重量感」、が重視される。そのためにギターやベースのチューニングを下げて、通常より低い音が出せるようにしている場合がある。一般的なポピュラー音楽のテンポが概ね80-130bpmであるのに比して、ヘヴィメタルでは200bpm以上の速いテンポの曲または曲の一部が許容される傾向がある。機械に頼らずに人力で刻める速度の限界に挑戦するようなプレイヤーも多い。また硬質な、重量感を強調した音質になる傾向があるといえる。ヘヴィメタルではギターソロが重視される場合が多い。また、ドラムソロやベースソロも行われることも多く、歌よりも演奏で魅せるような曲も多い。こういった傾向から、速弾きなどのテクニカルな演奏を得意とするプレイヤーを多く生み出しており、エフェクターなど音楽機材の進化と多様化に多大な影響を与えたとも言われている。メンバー構成は、ロックバンド一般に見られるものとあまり変わらないことが多い。ギター、ドラム、ボーカル、ベースを主軸にし、これにキーボードが加わることもある。ギターギターの果たす役割は非常に大きく、一曲における音量の大部分を占める場合もある。通例、強いディストーションをかけ、リフはパワーコードを主体とした力強い音でミュートを効かせながら刻む場合が多い。ヘヴィメタルバンドにはギタリストが2人いることが多い。リズムギター担当とリードギター担当に分かれている場合と、2人が同じリフを弾いて重さを増している場合や、2人が交互にギターソロを弾くこともある。スケールにはペンタトニック、ハーモニックマイナー、クロマチックなどが用いられることが多い。パワーコードを比較的多く用いるので区別が曖昧だが、トニックを長調と考えた場合ハーモニックマイナーはフラメンコと同じくフリジアンスケールとなり、イングヴェイなどはフリジアンであると公言している。ヘヴィメタル全体の傾向としてIIbを意識するリフを用いることが多く、そういった場合スケールは自動的にフリジアンとなる。XjapanのBlueBloodのようにリフのトニックの長三度を意識した曲も頻繁にみられる。リフにおいてルートの5度の半音下を強調的に聴かせるなど、そのスケールに固定した場合はロクリアンスケールのリフとなる。ドラム総じてテンポが速く、またBPMが高くなくても、手数が極めて多い傾向がある。逆に重圧感を出すために極端にテンポを落とす場合もある。バスドラムを2つセッティングしたドラムセット(ツーバス)や、左右の足で一つのバスドラムを連続的に叩ける器具(ツイン・ペダル)で、キックペダルを高速で踏み続けるプレイスタイルが採用されることがある。ボーカル1970年代のハードロックの頃から見られたように、高音域でシャウトするもの、デスメタルなどで顕著な、がなり立てたりうめくようなグラウル、グラントという歌唱法を用いるもの、オペラのように朗々と歌い上げるものなど様々である。ベースファンクなどのように縦横無尽に動き回るよりは、リズムギターのリフにユニゾンして中音域の密度を上げ、重厚感の増幅に努めていることが多い。他ジャンルに比べ、強烈なアタック音が特徴的なベーシストがしばしば見られる。攻撃的な音楽性に合わせ、歌詞もやはり攻撃的なものが目立つ。一般に邪悪、暗黒、憎悪といったキーワードに様式美を見出すこともヘヴィメタルの特徴といえる。一般社会(特に日本)では悪魔崇拝やオカルト、猟奇的な犯罪、麻薬についてなど、退廃的で過激な歌詞の印象、ないし偏見をもって語られることがあり、PTAなどから批判の矛先になることがある。これは、このジャンルの始祖的存在であるブラック・サバスとそのヴォーカルで放送禁止用語を多用するオジー・オズボーンなどのイメージから、ある程度は仕方の無いものと言える。しかしメタルのメインストリームはアイアン・メイデンに代表されるように、メロディの美しさやリズムの格好良さに重きを置いており、歌詞の過激さはあくまでもギミックとしてのものである。そうしたものだけではなくポピュラー音楽として普遍的なラヴソングも存在し、他にはスラッシュメタル以降に多く見られるよう政治・社会問題を訴えるもの、移民の歌のように歴史的事象を取り上げたもの、人生観や個人的感情について唄ったもの、ドラゴンフォースに代表されるようなファンタジーもの様々なものが歌詞のテーマにされている。過激な内容の歌詞も、単に注目を引くためのもので、作詞者の実生活や、メディアの取材やコンサートでのファンとの交流で見せるメンタリティとはかけ離れていることもままある。だが、ブラックメタルやマリリン・マンソンのように、本格的に反キリスト思想などの主張を歌詞に取り入れ、音楽活動全体の指針にしているバンドが存在するのも事実であるが、その一方でストライパーのようなクリスチャン・メタルという分野もある。これらも上記の政治・社会問題や歴史的事象を取り上げたものの派生とも取れる。ステレオタイプなヘヴィメタルファッションとして、長髪、バンドロゴやアルバムジャケットをプリントした黒系のTシャツ、ジューダス・プリーストのような皮のジャンパーや皮ブーツ、細身ジーンズとスケーターシューズの合わせ、迷彩柄のカーゴパンツ、衣類に打たれたスタッド(鋲)やスパイク、バンドロゴのワッペンや缶バッジを大量に付けたジャケット(パッチGジャン)などが挙げられる。反キリスト的なコンセプトのあるバンドでは、逆十字やペンタグラムをかたどったアクセサリーを身につけたり、白粉をベースにおどろおどろしい模様をつけた化粧(コープスペイント)などを施すこともある。マリリン・マンソンは全身をキャンパスにしてメイクと変装を施し、アンチクライスト・スーパースターと自称したことで知られる。しかし、例えば皮製のファッションは、ロブ・ハルフォードのSMファッションが由来であり、他の例として黒人音楽を取り入れたコーンのようなバンドではBボーイファッションを取り入れたり、スリップノットのようにマスクとユニフォームに身を包むなど、バンドやプレイヤー個人ごとのアイディアや音楽性、信条などから多様化しているのが実際である。長髪は、基本的にヘッドバンギングした際の見栄えを良くするためのものであり、1990年代後半以降のジェイムズ・ヘットフィールドのように短髪の場合もある。ミュージシャンの高齢化により長髪を維持できずに短髪もしくは坊主頭にせざるを得ない事情もある。音楽面では、例えば速弾きや特殊な奏法などを用いた各演奏者のテクニックを誇張するためにスタジオ版よりも長時間に及ぶギター、ドラム、ベース各パートのソロタイムが設けられることが多く、曲中にギター同士やギターとキーボードで競い合うようにソロを弾いたりといったものがしばしばある。ステージ下手・中央・上手のメンバーがフォーメーションを取りリズムに合わせてヘッドバンギングしながら演奏をするのも、メタルらしい演出のひとつである。バンドごとに見られる演出としては、といったようにバンドコンセプトにそった独自のものがみられ、他にも火吹きパフォーマンス、花火やパイロテクニクス、巨大な舞台装置など、特にビッグネームのライブでは派手で過激なものが広く見られる。ファンもこうしたパフォーマンスや演奏に応えてヘッドバンギングをしたり、指でメロイック・サインを組みながら腕を振ったりする(フィストバンギング)。更には激しく身体をぶつけ合う者(モッシュピット)、ステージからダイブする者、集団でアリーナを輪になって駆け抜ける者(サークルピット)など、ヘヴィメタルバンドのコンサートではしばしば会場全体に激しい興奮と狂乱状態が見られ、時折それが原因で事故が発生することもある。スラッシュメタルのカバーアートではエド・レプカ、メロディックデスメタルやブラックメタルの作品ではクリスティアン・ヴォーリンなどのように、著名なアーティストも存在している。また、セプティックフレッシュのSethやバロネスのJohn Baizleyのように自身もメタルミュージシャンでありながら、アートワークを手がけるものもいる。バンドロゴでは、7000以上のバンドのロゴをデザインしてきたクリストフ・シュパイデルが著名なアーティストとして挙げられる。名詞であるヘヴィメタルが使用されたのは、ビートニク作家であるウィリアム・S・バロウズの著作『ソフト・マシーン(1961)』の中であり、彼はのちの作品『ノヴァ急報』でこのテーマを追求し、ヘヴィメタルという単語を依存性の強い薬物のメタファーとして用いている。また、ローリング・ストーン誌の音楽ジャーナリスト、は1970年代の初頭にレッド・ツェッペリンやブラック・サバスに対する論評でこのヘヴィメタルという言葉を使い、この言葉が広まるきっかけとなったという。ただし、バンドの音楽性としてヘヴィメタルという形容を明示的に使ったのは、音楽プロデューサー、が、自らプロデュースしていたブルー・オイスター・カルトに対してである。また、これには、バロウズと親交が深く、かつ、ブルー・オイスター・カルトのメンバー、アラン・レイニアの恋人でもあったパティ・スミスの影響もあったとされる。他に、「ロック(岩)よりもハード(硬い)」もしくは「ロック(岩)よりもヘヴィ(重い)」だからヘヴィメタルと言う説など、諸説ある。今日ヘヴィメタルと形容される音を最初に取り扱ったバンドについては諸説ある。イギリスの批評家はブラック・サバスが元祖だとし、アメリカの批評家はレッド・ツェッペリンこそが元祖だと主張することが多いが、多くの批評家はその両者を対等に扱っている。ステッペンウルフやアイアン・バタフライ、ブルー・チアーなどを挙げる批評家も少数ながら存在する。ヘヴィメタルの由来となったものとしては、キンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」などビートルズ「ヘルター・スケルター - "Helter Skelter"」(『ザ・ビートルズ』収録、1968年発表)がある。これらのサウンド、激しいリフの上にシャウトするコーラス部などの音楽的な要素と、ヘルター・スケルターに影響されてシャロン・テートらを惨殺し当時大きな話題となった狂信的な悪魔崇拝者カルト集団首領チャールズ・マンソンによる米国での殺人事件と結びついたイメージも後のパンク・ロックやヘヴィメタルに影響を与えた。その他にも1960年代後半からクリーム、ヴァニラ・ファッジ、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルを始めとするラウドなロックが多数現れた。また、ステッペンウルフが1968年に出した「ワイルドで行こう(ボーン・トゥ・ビー・ワイルド)」の歌詞には、オートバイ(のエンジン音)を"Heavy Metal"に例える箇所がある 。これらのバンドも音的にヘヴィメタルな要素を多分に含んでいるが、いずれもハードロックの範疇に留まると見なすことが多い。以上のようにヘヴィメタルの源流は様々挙げられるが、いずれも後から見てヘヴィメタルを構成する一要素というレベルである。より現在のヘヴィメタルシーンにまで直接的な影響をもたらしているバンドとして、1970年デビューのブラック・サバスがある。同年発表のファーストアルバム『黒い安息日』やサードアルバム『マスター・オブ・リアリティ』などで彼らが提示した、重々しくおどろおどろしい楽曲やダークな歌詞、奇抜なパフォーマンスは、当時のロックシーンにおいてセンセーショナルであった。英国のハードロックは 1970年代初頭に一時代を築き上げるが、複雑で難解になっていく演奏技術への反動などから、1970年代半ばにパンク・ロック・ムーヴメントが起きる。かつてのハードロックは「オールド・ウェイヴ」と呼ばれるようになり、ブリティッシュ・ハードロック・シーンはその勢いを失っていった。しかしながらアンダーグラウンドシーンでは様々な若手バンドが、一部ではパンクの過激さをも取り入れながら、新しい時代のハードロックを模索するようになっていた。サウンズ誌の記者ジェフ・バートンにより『NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)』と名付けられたこのムーヴメントは、パンクの収束と入れ替わるようにやがてイギリス全土に広がった。1980年にはアイアン・メイデン、デフ・レパードがメジャーデビューし、シーンは一気に活性化していく。それらのバンドと比べると商業的な成功は大きくなかったものの、ヴェノムやダイアモンド・ヘッドものちのメタルシーンに影響を与えた。NWOBHM勢に結成は先立ちながら、同時期のヘヴィメタルの立役者として強烈な存在感を放つのが、同じくイギリス出身のジューダス・プリーストである。ブルースの影響を捨て去ることで、ジャンルの隆盛に寄与したのである。1969年の結成当初は比較的オーソドックスなハードロックをプレイしていた彼らであるが、やがて硬質で疾走感のあるギターリフを用い、金属的な高音ボーカルでシャウトするなどの音楽様式を作り出した。さらに1970年代後半からはレザー・ファッションを取り入れるなど、ステージ・パフォーマンスの面でも後々までステレオタイプ化されるような「ヘヴィメタル」のイメージを作り上げた。またモーターヘッドは、ロックンロールにパンク・ロック的な要素やスピード感のあるリズムを導入し、後のハードコア・パンクやスラッシュメタルの先駆けにもなった。さらにディープ・パープルのコンピレーション・アルバムが大ヒットするなど、かつてのハードロックバンドの再評価、活躍も見られた。イギリス国外のバンドについては、ドイツのスコーピオンズ、アクセプト、フランスのトラスト、オランダのヴァンデンバーグ、デンマークのプリティ・メイズやマーシフル・フェイト、スペインのバロン・ロッホなどが注目された。日本では、1976年にBOWWOW、1981年にLOUDNESSがデビューし、共に日本国外においても人気を博した。1978年にヴァン・ヘイレンがデビューアルバム「炎の導火線」でブレイクしたのを皮切りに、ヘヴィメタル・シーンはアメリカにも広がっていく。1980年代に入ると、1970年代初頭のヘヴィメタルに影響を受けたクワイエット・ライオット、モトリー・クルー、ラット、W.A.S.P.らの成功によりロサンゼルスのサンセット・ストリップにあったクラブを中心としたシーンが活性化する。LAメタル、またはグラム・メタルと呼ばれるジャンルが誕生する。ドッケン、ナイト・レンジャー、ポイズン、L.A.ガンズの他、東海岸ではボン・ジョヴィ、スキッド・ロウ、シンデレラなどのバンドが次々とメジャーデビューを果たした。こうしたバンドはグラム・メタルの名に違わず、グラム・ロックの影響を受けた派手でグラマラスでなルックスと、過激ながらも基本的に陽気でノリのよいサウンドと歌詞が特徴で、広く若者の支持を集めることができたのである。MTVはヘヴィメタルバンドを大々的にバックアップし、産業化が進んでいくこととなる。こうしてヘヴィメタルの巨大マーケットがアメリカに生まれると、それは旧来の英国市場とは比較にならない規模であり、欧州のバンドの多くがアメリカ進出を目指すようになった。ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンといった英国の古参はもとより、英米以外の国からも多数のヘヴィメタルバンドがアメリカでも受け入れられ、特にオーストラリアのAC/DC、西ドイツ(当時)のスコーピオンズ、カナダのラッシュやトライアンフ等の活動が目立った。1980年代後半にはボン・ジョヴィ、デフ・レパード、ホワイトスネイクといったグループがアメリカを中心に爆発的なセールスをあげ、ドイツのハロウィン、日本のLOUDNESSなどもビルボードのアルバムチャートに顔を出すなど、全盛期を迎えた。80年代中頃には、アイアン・メイデンに影響を受けた音楽性で活動を開始したフェイツ・ウォーニングがアルバムAwaken the Guardianをリリースし、今でいうプログレッシブ・メタルの原型となるスタイルを提示した。このスタイルは後にドリーム・シアターやクイーンズライクらによって商業的な成功を収めることとなる。1980年代中期のヨーロッパでは英国の伝統的ハードロックの影響下に、スピードを重視したアップテンポのリズムとメロディックで分かりやすい歌で人気を得たアクセプト、透明感のあるサウンドや幻想的で叙情性のある歌で人気を得るヨーロッパらの活躍があった。またスウェーデン出身のイングヴェイ・マルムスティーンは、クラシック音楽のバイオリニストパガニーニの影響を受け、ネオクラシカルメタルと呼ばれるスタイルを確立。彼の速弾きは世界のギタリストたちに衝撃を与える。1980年代の後期になると、デスメタルやブラックメタルの荒々しいサウンドに対するリアクションとして、パワーメタルシーンができあがった。このジャンルの先駆けとしては、ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンのようなハイトーンヴォーカルとスラッシュメタル由来のスピードを組み合わせることで、メロディアスで疾走感みなぎる新たな形式を生み出したドイツのハロウィンがいる。また、スウェーデンのハンマーフォール、イギリスのドラゴンフォース、フロリダのアイスド・アースなどは明らかに伝統的なNWOBHMのスタイルに影響を受けたサウンドを展開している。日本や南アメリカなどではこのジャンルの人気が根強く、ブラジルのアングラなどがポピュラーなバンドとして知られている。NWOBHMそのものは1980年代半ばにその勢いを失ってしまうが、世界各地で「NWOBHMに続け」と若者達がバンドを結成するきっかけとなった。アメリカのアンダーグラウンドシーンでは、メタリカ、メガデス、スレイヤー、アンスラックスなどのバンドが、ヴェノムをはじめとするNWOBHMやハードコア・パンクの影響を受けながら、よりヘヴィで過激な音楽形態であるスラッシュメタルを確立。これらはテンポの速さ、リフに重きを置いたサウンド、ダークな世界観を特徴とし、当時隆盛を極めていたグラム・メタルとは一線を画するものであった。80年代後半のメタルシーンを席巻したスラッシュメタルも似通ったスタイルのバンドの乱立などで衰退していくが、フロリダではスラッシュメタルの凶暴性を突き詰めたデスメタルが、北欧ノルウェーでは、デスメタルを否定し80年代スラッシュメタルへの回帰を唱えて、反キリスト教のコンセプトを強調したブラックメタルが誕生するなど、その後のエクストリーム・メタルシーンの成立に大きな影響を与えるとともに、シーンの細分化が進んだ。ヘヴィメタルは1980年代後半に商業的なピークを迎えるが、ガンズ・アンド・ローゼズのヒットを最後に、メジャーのロックシーンでは衰退の一途を辿ることになる。というのも、ポップ・ミュージック化したロックへの反発から生まれた、グランジやオルタナティヴ・ロックバンドがより若者たちの支持を集めるようになり、やがて爆発的なムーブメントになったからである。この変化に対応できなかったバンド、あるいは変化の過程でファンの支持を得られなかったバンドはやがて表舞台から消えていった。この状況に楔を打ち込んだのがスラッシュ・メタルの代表と目されていたメタリカであった。彼らはアルバム『メタリカ』(1991年)でスラッシュ的なスピード性を放棄し、オルタナティヴ・サウンドと通じるような重厚な音楽性を導入してヘヴィメタルの新しい方向性を示し、2200万枚という大ヒットを飛ばす。また、メタリカ同様パンテラが『俗悪』で、ヘルメットが『ミーンタイム』で提示したグルーヴ・メタルというスタイルは数々のバンドが手本にした。パンテラに強く触発されたロブ・ハルフォードがジューダス・プリーストを脱退してFIGHTを結成したことは、この時期の流れを象徴するものといえる。また、インダストリアル・ロックバンド、ミニストリーは『詩編69』に見られるように、従来の彼らの音楽にスラッシュメタル的な要素を加えるようになっていったが、この頃からフィア・ファクトリーをはじめとするメタル勢からも電子音楽にアプローチする動きが現れ始める。こうした動きに呼応するようにしてヘヴィメタルシーンは若手ミュージシャンを中心にオルタナティヴ・メタルとして変容を始める。それは、シンプルなリフに重いギターサウンド、冷徹に現代社会を見つめる歌詞のテーマ、ラップの導入など、時代に求められた様々な要素を注ぎ込んだ新しいメタル像(ニュー・メタル)であった。しかし、日本ではこの動きをモダン・ヘヴィネスやヘヴィ・ロックと呼称して区分し、旧来のヘヴィメタルとは違うことを強調したマーケティングが行われた。このような流れの中、シャロン・オズボーンは、夫オジー・オズボーンが時代の半歩先を行く音楽性で常にヘヴィメタルの象徴であり続けたことを活かし、若手ニューメタル・バンドとオジー・オズボーン擁するブラック・サバスという組み合わせで全米をツアーするオズフェストというツアーに打って出る。これは見事に成功し、マリリン・マンソンやスリップノット、コーンなどのプロモーションに大きく貢献し、メタルコアなど後続のムーブメントに大きな影響を与えた。さらに結果的にはオジー・オズボーンそしてブラック・サバスを伝説的な存在へと昇華させることにも成功した。1990年代初頭には、グレイヴやエントゥームドがイヤーエイク・レコードから1stアルバムをリリースし、デビュー。後にメロディックデスメタルシーンへ多大な影響を与えることとなるスウェディッシュ・デスメタルシーンが全盛を迎えた。他方で、ノルウェーではデスメタルを"ライフメタル"と揶揄し、バソリーやセルティック・フロストをはじめとする80年代スラッシュメタルの復権を唱えたブラックメタルシーンが大きな動きを見せていた。1992年には、それまでテクニカル・デスメタルとして活動をしていたダークスローンが2ndアルバムを発表してブラックメタルへの転向を見せ、世界中のエクストリームファンを驚愕させたともいわれる。また、1993年にはイギリスのケラング!誌がブラックメタル特集を大々的に行い、多くの聴衆の目をひくこととなった。同じく1990年代初頭にはトラブルがドゥームメタルにアシッドロックの音楽性を融合させ、カテドラルがイヤーエイク・レコードからデビューを果たしている。つづく1992年にはカイアスとスリープが重要なアルバムをリリースし、後でいうストーナーロックシーンをつくりあげることに寄与している。こうして1990年代は、新しい時代にふさわしい姿に成長したバンド、消えていった旧世代のバンド、時代に応じて現れた若手のバンドと、世代交代が急速に進んでいった時代であったといえる。1990年代後半のヨーロッパでは、デスメタルに叙情的なメロディを取り入れたメロディックデスメタル、ゴシック・ロックのサウンドやゴスファッションを取り入れたゴシックメタル、ヘヴィメタル的な要素を守りつつもニュースクール・ハードコアに接近したメタルコア、など、新たな動きが生み出されていった。
また、ヘヴィメタルと電子音楽との融合は90年代初頭のインダストリアル・メタルなど過去から行われていたが、2000年代に入ってパソコンの普及が進んだことから、テクノ、エレクトロニカ、トランス、ダブステップなどの要素を取り入れたメタルバンドも現れるようになっている。このようなサブジャンル化(後述)は現在も止まることなく進んでいる。
この流れから、2000年代はスリップノットによるニュー・メタルと呼ばれるモダンヘヴィネスの動きの台頭や、リンキンパークやインキュバスなどによるDJを含めた新しいスタイルの演奏に影響を与えた。これにより10〜20代の若者を中心に圧倒的な注目を集め、伝統的なヘヴィメタルと一線を画していった。また、1980年代のヘヴィメタルを支えたクラシック・メタルの王者であるジューダス・プリーストやアイアン・メイデンらも活躍した。黄金期のラインナップで再興した彼らは新たなアルバムの発売やツアーなど精力的な活動を行い、メタルシーンの活性化に貢献した。シャロン・オズボーンもまたこうした動きを見逃さず、これらの大御所バンドはもちろん、新旧問わず活躍しているバンドが多数参加する一大イベント「オズフェスト」を毎年の定例イベントとして仕上げていった。折から音楽業界全体に「再結成ブーム」が到来していることもあり、多くのベテランバンドも再結成した。特にモトリー・クルーやヨーロッパ、ホワイトスネイクなどは反響を呼び、再結成ツアーが成功を収めた。ジャパニーズ・メタルにおいてもラウドネスがオリジナルメンバーに戻ったり、アースシェイカーやANTHEM、BOWWOWにSHOW-YA等が再結成したりするなど、同じような現象が起きている。
一方でスリップノットが「Knotfest」を主催して親交のあるメタルバンドと世界規模のツアーを実現するなど、新しい世代による業界活動も精力的に行われている。アメリカの調査会社NPDによると、2006年に前年と比較して最も市場が成長したロック系音楽ジャンルはハードロック/ヘヴィメタルとなっている。ジャパニーズ・メタルを参照。主に1990年代以降、時代に合わせてサウンドを変更し生き延びるバンドもあれば衰退の波に飲み込まれて消えていくバンドもあった。その一方で、新しいサウンドや他ジャンルのサウンドを貪欲に消化し、様々なスタイルでプレイするヘヴィメタル・バンドが誕生した。尚、下記のジャンルは定義が非常に曖昧でもある。地域ごとに特有の音楽性が認められる場合、地域別サブジャンルが出来る場合がある。ヘヴィメタル・アーティストの一覧を参照。ジャパニーズ・メタルアーティスト一覧を参照。
出典:wikipedia
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