岐阜県第4区(ぎふけんだい4く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区。1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置。本区単独で、長野県を除く全隣接県(愛知県、福井県、石川県、富山県の4県)よりも面積が広いという広大な選挙区(岩手2区に次いで本州で2番目に広い)であるため、北部の飛騨地方と中濃地方では政治事情が後述のとおり大きく異なっている。1993年の第40回衆議院議員総選挙の旧岐阜2区では、自民党議員のうち、高山市など飛騨地方を地盤とする金子一義と美濃加茂市など中濃地方東部を地盤とする藤井孝男の2人が当選したが両候補の獲得票が僅差であったため、日本新党が擁立した元参議院議員の高井和伸が善戦したこともあり、共倒れの可能性もあった。なお、旧2区から立候補していた同じ自民党議員の古屋圭司は岐阜5区に移っている。選挙方式が小選挙区制となる1996年の第41回衆議院議員総選挙から、自民党岐阜県連はコスタリカ方式により2人が小選挙区と比例区を交互に立候補することを決めた。移行後初の選挙では、藤井が小選挙区、金子が比例東海ブロックの単独候補に回った。これが功を奏し、藤井が新進党から公認を得た高井を破り、金子も比例代表で当選を果たした。両陣営の協力体制は第43回衆議院議員総選挙まで続き、全国のモデルケースとなった。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、藤井が郵政民営化法案に反対票を投じたため党の公認が得られず、本来は比例代表で立候補する順番であったが無所属で小選挙区に立候補した。これによりコスタリカ方式が解消され、大臣経験者である両者が直接対決をすることになり、小泉純一郎首相ら大物政治家らが応援に来るなど全国的な注目区となった。いわゆる「小泉旋風」の影響もあり、金子が藤井を下す結果となり、藤井は議席を失った。自民党が強い保守王国であったが、2009年の第45回衆議院議員総選挙では下呂市出身のファイナンシャルプランナー・今井雅人が民主党から立候補し善戦。結果として小選挙区は金子が死守したが、今井は重複立候補していた比例東海ブロックで比例復活当選し、初めて議席を獲得とした。2012年の第46回衆議院議員総選挙では金子が9選。民主党を除籍され日本維新の会に移った今井は、同じく日本維新の会に合流し参議院議員を退職して比例東海ブロックから立候補した藤井との協調体制で臨み、得票数を前回の半分以下に減らしたこともあり小選挙区では敗れたが、比例での名簿登載順位が1位であった藤井に次ぐ2位で優遇されていたこともあり、比例復活当選となった。2014年の第46回衆議院議員総選挙では金子が連続で10選を果たした。今井と藤井は日本維新の会の分党に伴い、今井は維新の党から小選挙区で、藤井は次世代の党から比例東海ブロックに単独立候補した。今井は金子に敗れたが、民主党が候補を立てず実質的な選挙協力もあって前回減らした票を回復し、金子の約1万6千票差まで迫る善戦を見せ、重複立候補していた比例東海ブロックで比例復活当選した。一方、藤井は次世代の党が比例での議席を獲得することが出来ず、再び議席を失った。
出典:wikipedia
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