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坂本堤弁護士一家殺害事件

坂本堤弁護士一家殺害事件(さかもとつつみべんごしいっかさつがいじけん)は、1989年(平成元年)11月4日に旧オウム真理教の幹部6人が、オウム真理教問題に取り組んでいた弁護士、坂本堤(当時33歳)と家族の3人を殺害した事件である。遺体が容疑者によって隠匿されたため、1995年9月に遺体が発見されるまでは失踪事件として扱われていた。現場にオウム真理教のバッジが落ちていたが、神奈川県警察は「事件性なし」として、捜査を行わなかった。犯行が明るみに出たのは、1995年(平成7年)9月、実行犯の一人、岡﨑一明(後に宮前に改姓)が自供したことによる。毎日新聞では松本サリン事件、地下鉄サリン事件と並んでオウム「3大事件」(-さんだいじけん)と表現している。1995年(平成7年)地下鉄サリン事件が発生したのち、警察はオウム真理教の捜査を本格的に開始。その中、岡﨑一明の自供により坂本の一家が殺害されていたことがわかり、同年9月6日警察による山中の捜索が行われた。同日、坂本と妻の遺体が白骨化した状態で発見された。一方、長男の捜索は難航を極めたが、4日後の9月10日発見された(『死体を科学する』では死蝋化していたとするが不詳)。一家の墓所は鎌倉・円覚寺「松嶺院」にある。坂本の死体は歯型から身元がわからぬようにと歯をツルハシで粉々に砕き、遺棄現場で景気付けに食べたタラバガニの殻と一緒にゴミ同然に埋められたと早川らは証言している。発見された坂本の頭蓋骨には大きな穴が開いていたという。刺殺された村井を除き、実行犯全員に死刑判決が出た。坂本の妻が遺体で発見された場所は、1995年(平成7年)9月6日、新潟県と富山県の県境付近である林道別又僧ヶ岳線の魚津市別又谷の上り口から数キロの地点の山中であった。発見場所には遺族が木製の慰霊碑を建て、慰霊登山も執り行われている。失踪当初、坂本が所属していた「横浜法律事務所」等の関係者からは、オウム真理教の関与を指摘する声があったが、神奈川県警察は事件性は不明であるとの認識であった。これは、横浜法律事務所が労働問題(国労横浜人活弾圧事件で県警が誤認逮捕)や日本共産党幹部宅盗聴事件において、警察側と対立していたため、横浜法律事務所の弁護士の訴えに対して必要以上に慎重な姿勢をとっていたのではないかとの疑念も残る。特に「国労横浜人活弾圧事件」は坂本が主に担当していた。ただでさえ反権力志向とされる在野法曹の中でも、特に日本共産党系とされる弁護士らは警察と対立する立場にあり、反共主義的な意識(これは日本の警察全てに共通する)が初動捜査の失敗につながったとされる論調があった。一方、宗教団体が政治的に力を持つようになったことが警察を萎縮させたという指摘もあり、特にジャーナリストの溝口敦は、創価学会の政界進出のころから、宗教法人の不祥事があった際、それが明らかに違法行為となっても、司直の手が入らなくなったと指摘している。そのため記者クラブにおいて、県警は「坂本は借金を抱えて失踪した」とか「(仕事で得た)大金を持ったまま逃げた」「(学生時代からか関わりのある)共産主義過激派の内ゲバに巻き込まれた」などの事実無根の噂を新聞社数社に流している。しかも、それと同時に県警は「任意の失踪の可能性は五分五分」とリークしている。1990年(平成2年)2月に神奈川県警察に「長男は長野県大町市日向山の山中に埋めてある」と書かれた内容の手紙と埋められている場所を示す手書きの地図の入った差出人不明の封書が届き、神奈川県警察は長野県警察と合同で示した場所を捜索するものの発見できなかった。結局「再捜索」は1995年(平成7年)9月の坂本弁護士一家の遺体発見まで行われなかった。実行犯の一人である岡﨑が自首をしたことで、事件の真相が明らかになった。坂本が労働運動弁護を行っていたり、所属事務所が日本共産党に近いとみられていたことから、神奈川県警察が坂本を快く思っておらず、捜査も「手抜き」をしているという批判があった。一方で、事件当時に横浜地検検事正であった佐藤道夫は「この批判は的外れ」とし、県警はオウムの関与は間違いないだろうと判断しており、事の性質上、捜査の方向や進捗状況を明らかにするわけにいかなかった。あの時点では家宅捜索なりを行うことも無理であったとしている1989年(平成元年)10月26日に東京放送(TBS)のテレビワイドショー番組『3時にあいましょう』が、当時社会問題化し始めていたオウム真理教問題について坂本堤へインタビューを行ったが、その情報を察知したオウム真理教幹部らが、TBSの千代田分室を訪れて抗議したことにより、坂本のインタビューの放送が中止された。さらに、この時にTBS側がオウム真理教幹部に収録したインタビューのビデオを見せ、この後、同年11月4日に坂本弁護士一家殺害事件が発生した。こうした経緯から、TBSは取材源の秘匿というジャーナリズムの原則に反しただけでなく、結果的に殺人幇助となり、一家失踪後もビデオをオウム真理教に見せたことを警察や弁護士会に伝えずにオウム真理教をかばい続けたと批判された。この影響により、『3時にあいましょう』の後継番組『スーパーワイド』の放送が打ち切られた。この事件には多くの不明点がある。被害者の遺族の中には、「本当の命日を知りたい」という声がある。

出典:wikipedia

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