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北岡悟

北岡 悟(きたおか さとる、1980年2月4日 - )は、日本の男性総合格闘家。奈良県奈良市出身。ロータス世田谷/パンクラスイズム横浜所属。柔道弐段。ブラジリアン柔術黒帯。現DEEPライト級王者。元戦極ライト級王者。奈良県立登美ケ丘高等学校卒業。バックボーンは柔道とブラジリアン柔術。四肢が短く、さらに筋骨隆々であるという独特の体型を生かしたパワーのある寝技を武器とする。特にフロントチョークなどの絞め技と足関節技を得意とする。2008年に旗揚げされた戦極に参戦後、「キモいけど強い(キモ強)」キャラクターでブレイクし、五味隆典にも一本勝ちを収めて初代戦極ライト級王座を獲得した。光岡映二、横田一則、廣田瑞人との4人で「S4」と呼ばれる。格闘技を始めるまでは、漫画やガンダムなどのアニメを趣味とする少年だった。中学時代はいじめられており、仕返しするために高校進学後柔道を始めた。その後、格闘技全般に興味を持ちバス・ルッテン対船木誠勝の試合を観て衝撃を受け、大学進学を諦めプロ格闘家を目指す。卒業後はパレストラ東京(現・パラエストラ東京)に2年間所属し、ブラジリアン柔術を学びながら国内外の様々な大会に出場する。2000年4月にパンクラスに入門。同年10月31日、河崎義範戦にてプロデビュー。2002年7月28日、昼夜興行で開催されたネオブラッド・トーナメントに出場。1回戦で野沢洋之に判定勝ち、準決勝ではアライケンジのフットスタンプで左目上を負傷しながらもアンクルホールドで一本勝ち。負傷した左目上にバンテージを巻いて臨んだ決勝では門馬秀貴に開始5秒、顔面に右膝蹴りを受けKO負け。準優勝に終わった。2005年10月2日、パンクラスでカーロス・コンディットと対戦。リーチ差を技術で完封しヒールホールドで一本勝ちを収めた。2006年1月26日、暫定王者井上克也とウェルター級キング・オブ・パンクラスタイトルマッチで対戦。2Rにサミングを受け井上にイエローカードの減点1が課せられるも、寝技を封じられ1-0の判定ドローで王座獲得に失敗した。2006年5月2日、パンクラスで石毛大蔵とウェルター級タイトルマッチ次期挑戦者決定戦で対戦し、判定負け。2006年8月27日、パンクラスでポール・デイリーと対戦し、フロントチョークで一本勝ち。2007年2月28日、パンクラスが提携したBodogFightの刺客グスタボ・PCと対戦し、飛びつきからのフロントチョークを仕掛けるなどして判定勝ち。さらに勝利後のマイクアピールで「パンクラスはBodogと提携しました。でも、僕が上がりたいリングはPRIDEです」と2007年開催予定であったPRIDEライト級GPへの参戦をアピールする。2007年4月13日、DEEP初参戦となったDEEP 29 IMPACTでファブリシオ・"ピットブル"・モンテイロと「PRIDEライト級GP出場者決定戦」として対戦し、肩固めで一本勝ち。だが、PRIDEの活動停止によりライト級グランプリは中止された。2007年8月10日、P's LABで開かれた記者会見で、大晦日にHERO'Sで現役復帰することを表明した船木誠勝との対戦を希望したが、船木にまったく取り合ってもらえなかった。2007年9月5日、パンクラスでミルトン・ヴィエイラと対戦予定であったが、ビザ取得ができず来日できなくなったため、代替選手としてジェイソン・パラチオスと対戦し、2-1の判定勝ち。2007年9月8日、CAGE FORCE 04でケージに上がり、CAGE FORCE 05での出場をアピール。その後、参戦予定となっていたものの対戦相手が見つからず、CAGE FORCE参戦は消滅した。2008年1月30日、第3代ウェルター級キング・オブ・パンクラス決定戦で暫定王者井上克也と対戦し、判定負けを喫し王座獲得に失敗した。2008年3月23日、全日本コンバットレスリング選手権大会80kg級で優勝を果たし、全試合一本勝ちで大会MVPを受賞した。2008年5月18日、戦極初参戦となった戦極 〜第二陣〜でイアン・シャファーと対戦し、開始50秒フロントチョークで一本勝ち。試合後のマイクでは「戦極もパンクラスも、総合格闘技最高です。ありがとうございました! 」と叫んだ。この試合からライト級へ転向した。2008年8月24日、戦極 〜第四陣〜のライト級グランプリシリーズ1回戦でクレイ・フレンチと対戦し、開始31秒アキレス腱固めで一本勝ち。2008年11月1日、戦極 〜第六陣〜のライト級グランプリシリーズ準決勝で光岡映二に一本勝ち、決勝で横田一則に判定勝ちし、優勝を果たした。優勝決定後のリング上でリングサイド席にいた五味隆典(同日の試合でセルゲイ・ゴリアエフに判定負け)に対し、「五味選手、負けちゃったけど本当に僕と試合するんですか?」と挑発した。2009年1月4日、戦極の乱2009の戦極ライト級チャンピオンシップで五味隆典と対戦し、アキレス腱固めで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。2009年6月7日、1年4か月ぶりの参戦となったパンクラスで坂口征夫と対戦し、アキレス腱固めで一本勝ち。この試合はショートスパッツで登場し、試合後のリング上で「ショートスパッツでの足関節も極まります」と発言し、ロングスパッツ批判に反論した。2009年8月2日、戦極 〜第九陣〜の戦極ライト級チャンピオンシップで挑戦者廣田瑞人と対戦し、TKO負けを喫し王座から陥落した。2009年11月7日、戦極 〜第十一陣〜でホルヘ・マスヴィダルと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。2010年6月5日、パンクラスでジョージ・ホドリゲスと対戦し、判定勝ちを収めた。2010年10月3日、パンクラスのメインイベントでCAGE FORCEライト級王者の弘中邦佳と対戦し、フロントチョークで一本勝ち。試合後のリング上で「今日で自分のパンクラスismは終わりになります」とパンクラス退団を発表した。翌10月4日からは八隅孝平の主宰する「ロータス パラエストラ 世田谷」へ移籍した。2011年4月22日、DEEP 53 IMPACTで中尾受太郎と対戦し、判定勝ちを収めるが、自身のブログで1R中盤に放った右フックで右手を骨折したことを発表した。2011年9月24日 DREAM初参戦となったDREAM.17でヴィラミー・シケリムと対戦し、シケリムのイエローカードの提示などもあり2-1の判定勝ちを収めた。2011年12月31日、元気ですか!! 大晦日!! 2011で練習仲間の青木真也の持つDREAMライト級王座に挑戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。2012年6月15日、DEEP 58 IMPACTで菊野克紀と対戦し、判定勝ち。試合後のマイクアピールでは「俺はさいたまスーパーアリーナで青木真也や五味隆典と闘ってきた男だ、ナメんじゃねぇぞ!」「DREAMもDEEPもパンクラスも終わりません!日本の総合格闘技は最高です!」と叫んだ。2012年12月31日、DREAM.18 & GLORY 4でウィル・ブルックスと対戦し、2RTKO負けを喫した。2013年4月26日、DEEP 62 IMPACTで中村大介の持つDEEPライト級王座に挑戦し、5-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。試合後のマイクアピールでは「青木(真也)がアジアNo.1なら、日本一は俺だ!」と叫ぶも、場内では北岡が終盤とった自ら寝転ぶ戦法に対しブーイングが起こっていた。2013年9月29日、PANCRASE 252のワールドスラムトーナメント1回戦でドム・オーグラディと対戦し、フロントチョークで一本勝ち。この試合はオーグラディが計量で4.4㎏オーバーしていた。2013年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2013でラマザン・エセンバエフと対戦し、KO負け。2014年4月29日、DEEP 66 IMPACTのライト級タイトルマッチで宮崎直人と対戦し、5-0の判定勝ちを収め初防衛に成功。試合後、リング上でマイクを握ると、観戦に来ていた恋人とのプロポーズを敢行。その後、「俺は青木に負けてるし、UFC行けないし、大晦日三連敗だし、そんな大した事無いって思ってる人は思ってるかもしれないけど、僕の中で僕はNo.1だから。誰が何と言おうと俺は真剣勝負のプロレスラーです。」と語った。2014年12月31日、DEEP DREAM IMPACT 2014のライト級タイトルマッチで吉田善行と対戦し、5-0の判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した。2015年3月15日、PANCRASE 265のワールドスラムトーナメント決勝でアキラと対戦し、3-0の判定勝ちを収め優勝を果たした。2015年11月1日、PANCRASE 271での第6代ライト級キング・オブ・パンクラス王座決定戦で徳留一樹と対戦し、1Rにダウンを奪われるなど劣勢となり4R左ストレートからのパウンドによりKO負けを喫し王座獲得に失敗した。2016年6月26日、DEEP 76 IMPACTのライト級タイトルマッチで下石康太と対戦し、5-0の判定勝ちを収め4度目の防衛に成功した。

出典:wikipedia

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