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料理の鉄人

『料理の鉄人』(りょうりのてつじん)は、1993年10月10日から1999年9月24日までフジテレビで放送されていた料理をテーマとしたバラエティ番組。2012年10月よりタイトルを海外で使われている『(アイアンシェフ)』に改め、13年ぶりにレギュラーで復活した。それまでマンガという分野でしか描かれなかった料理人同士の対決を現実に行うというコンセプトで始まった。架空の団体「美食アカデミー」の主宰が美食への追及とそれを生み出すに相応しい料理人を求め、美食アカデミー所属の"料理人=鉄人"と挑戦者を対決させると言う設定で番組は構成されている。「鉄人」と呼ばれるレギュラー出演者のシェフ達と「挑戦者」として登場する毎回異なるゲストシェフが、特別キッチン・スタジオ内の器具や食材を使い調理した料理を、ゲストおよびレギュラーの審査員に試食して審査判定してもらい競う。撮影中、調理実況中継があり様々なコメントが流れる。なお、レギュラー・コメンテーターは、判定には加わらない。審査基準となるテーマ食材は調理開始の直前まで秘密になっている。調理が終わると審査員(当初3人、1995年10月より4人)による採点が行われる。また、主宰の鹿賀は試食には参加するが、採点は行わない。対戦成績対戦成績対戦成績対戦成績対戦成績対戦成績対戦成績元々はフジテレビ局内で「プライムタイム枠で、従来の料理番組(レシピ紹介)のスタイルとは全く異なる新しい料理番組を作ろう」というアイデアが持ち上がり、同時期に田中経一から本番組の企画が持ち込まれたことが番組誕生のきっかけとされている。当初はキッチンスタジアムのセットや鹿賀丈史の大袈裟な衣装など、ミシュランガイドなど既存の料理界の権威に対するパロディとしての要素を多分に含んだ企画となっていた。1993年10月放送開始。この当時は日曜日22時30分からの放送であった。その後、1994年4月、金曜23時放送の『ワーズワースの庭で』(後に『ワーズワースの冒険』として改題リニューアル)と放送枠を交換する形となった。1995年には23時台の放送でありながら20%弱の平均視聴率を稼ぎゴールデンタイムの番組にも勝る結果になった。最高視聴率は、1995年3月31日に放送されたスペシャル「完全なる料理の鉄人 香港決戦」で23.2%。同年にはATP賞グランプリを獲得したほか、海外での放映もスタートしエミー賞にもノミネートされるなど番組は絶頂期を迎える。当初「既存の権威のパロディ」として始まったはずの番組が、人気の高まりにつれ番組自体が権威と化し、多くの料理人が出演を希望するようになるという、番組スタッフにとっては皮肉な現象も起きた。しかし1996年の年明け早々、番組の看板の一人である和の鉄人・道場六三郎が降板。1999年にスポンサーの日産自動車が一社提供を降板(その後は筆頭提供)し、番組の制作費がシビアとなったことや出演者のスケジュール調整の問題もあり、番組継続に頭を抱えるようになった。視聴率的には以前と比較し落ち込んではいたものの二桁をキープしてきたが、1999年9月に6年にわたるレギュラー放送の終止符を打った。その後は特番という形で不定期放送することになった(後述)。そして2012年秋改編より金曜20時にて『奥の深道〜同類くんの旅〜』の後枠としてレギュラー番組としては13年ぶりに復活することとなった。番組名は『アイアンシェフ』で、解説の服部以外のメンバーは総入れ替えで行った。正月などには特番として「完全なる料理の鉄人」が放送された。その舞台は日本国内に留まらず、香港、フランス、北京、ニューヨークなど世界各地で開催された。「鹿賀主宰試食2000皿記念対決」では、対決一週間前にテーマ食材が発表された。「フランス決戦」第2試合では、調味料を含めた食材を全て自分で購入してから開始。「北京決戦」では陳と坂井の2人で陳の祖先の墓参りに向かうシーンも。四川省・成都から奥地へバスで2~3時間、さらに30度を超す暑さの中、2時間歩くシーンが放映された。1996年12月31日から1997年1月1日にかけて放送された「大晦日お節決戦」(道場六三郎vs中村孝明)では、100人前を1時間40分で進行。助手は道場、中村双方の店より10名を選出。なおこの時は通常の審査員の他に、これまでの歴代の挑戦者も審査員として参加するなど、番組史上最大のスケールで行われた。坂井、陳は審査には参加せず、ゲスト解説者扱いとなる。ただ、試食時に箸が足りなかったのか、ゲスト審査員だった羽田孜は手で食べていたなど、ハプニングが絶えなかったようである。道場有利と言われていたが、結果は55-45で中村の勝利であった。テーマ素材はお台場フジテレビ前に設営されたやぶさめ会場にて決定。「肉」「魚介」「野菜」の三つの的にそれぞれ四つの食材が割り当てられていた。この放送自体はまだ正式な移転前のお台場のスタジオからの放送であり、(同年4月からお台場に移転)移転前の試験放送的な意味合いもあった。1995年から始まった海外ロケ特番企画。ワンマッチ形式1995年3月31日放送出場者…梁偉基(中)、周中(中)、道場六三郎(和)、陳建一(中)ジャッジ表ジャッジ表ワンマッチ形式1996年4月12日放送出場者…ベルナール・ルプランス(仏)、ピエール・ガニエール(仏)、坂井宏之(仏)、中村孝明(和)審査員…島田陽子、岸朝子、ジョエル・ロブション、ピエール・トロワグロジャッジ表ジャッジ表この大会では予選は1対1の対決ではなく4人対戦形式で行われた(決勝は従来通り1対1の対戦)。予選上位2名が決勝進出。1996年10月11日放送出場者…孫利平(北京)、蘇徳興(上海)、庄偉佳(広東)、陳建一(四川)審査員…谷村新司、斉藤由貴、蔡瀾、コン・リー、岸朝子ジャッジ表ジャッジ表1994年と1995年の2度にわたり開催された特番企画で、1994年は過去の勝利挑戦者から選抜で4名が出場し、優勝者が道場と対戦。1995年は道場引退試合を兼ねて当時の鉄人坂井と陳が道場への挑戦権をかけて対戦した。1994年12月23日・1995年1月2日放送出場者…程一彦(中)、山田宏巳(伊)清水忠明(仏)、神田川俊郎(和)、道場六三郎(和・シード選手)番組本によると、フレンチの出場者は、当初、ジャック・ボリーが選ばれたが、ボリーは辞退している。そして、アルトア・ルターが選ばれて参戦することになったが、「クリスマスで店の予約がいっぱい」との理由でドタキャンしたと、制作スタッフは、怒りを露わにしている。そして、清水忠明が急遽選ばれ、常連客の了承を得て、出場したという。1995年12月22日・1996年1月3日放送出場者…坂井宏之(仏)、陳建一(中)、道場六三郎(和・シード選手)ジャッジ表チャンピオンシップ大会とも言える特別企画。イタリアのジャンフランコ・ヴィッサーニ、フランスのピエール・ガニエール、アラン・パッサール、中国の許成ら、世界的にも著名なシェフが参戦し、鉄人と激闘を演じた。1995年10月6日放送出場者…ピエール・ガニエール(仏)、ジャンフランコ・ヴィッサーニ(伊)、許成(中)、道場六三郎(和)ジャッジ表ジャッジ表ジャッジ表放送中にオウム真理教幹部上祐史浩が逮捕されたため、一時その中継に差し替えられた。1997年10月10日放送出場者…アラン・パッサール(仏)、パトリック・クラーク(米)、劉錫坤(中)、中村孝明(和)審査員…北大路欣也、一色紗英、蔡瀾、岸朝子、ダニエル・バーマン、クリスチャン・ブサランクジャッジ表ジャッジ表ジャッジ表優勝者…中村孝明、アラン・パッサール(両者同点の為パッサールと中村の両者優勝)1999年9月10日から3週連続放送(レギュラー放送最終シリーズ)レギュラー放送最終回となった「最強鉄人決定戦」「世界最強シェフ決定戦」(共に1999年9月24日放送)には現役、名誉鉄人7人全員が一堂に会し(レギュラー放送では最初で最後)、更にキッチンスタジアム最終戦「世界最強シェフ決定戦」開始前には6年間の歴代挑戦者200人(全員ではない)が入場するなど、番組史上最大のスケールとなった。出場者…神戸勝彦(伊)、陳建一(中)、森本正治(和)、坂井宏行(仏)、アラン・パッサール(仏・シード選手)ジャッジ表ジャッジ表ジャッジ表ジャッジ表1996年12月31日放送(放送は翌年1月1日までまたいだ)出場者…中村孝明(和)、道場六三郎(和) テーマ素材…豚、サツマイモ、タコ(この三つの食材は流鏑馬で決めた)今大会は中華、フレンチから各ジャンル3名の料理人がチームを組んでの団体戦となった。1998年8月28日、9月4日放送出場者(太字は各チームリーダー)…オールフレンチチーム(坂井宏之、石鍋裕、城悦男)、オールチャイニーズチーム(陳建一、脇屋友詞、宮本荘三)テーマ素材…豚肉、すっぽん、バナナ(いずれも鹿賀の好物である)ジャッジ表両チーム同点だが鹿賀の独断でオールフレンチチームの勝利。1999年5月28日・6月4日放送「主宰の古くからの友人、インドネシア国王、ハメンクブウォノ10世から「鉄人の料理を披露してもらいたい」という手紙が届いた。主宰はすぐさま2人の鉄人を手配した」という設定の元、実際にハメンクブウォノ10世を初めとした、インドネシア王室の方々に晩餐会にて、和の鉄人、道場六三郎と森本正治がその腕を披露した。ジャッジ表ジャッジ表ジャッジ表ジャッジ表ジャッジ表本格的なレギュラー復活を視野に入れた演出で制作された。本木の登場に際し、番組の冒頭でブラックジョークさながらに鹿賀を偲ぶ追悼シーンが放送されたことが(全員起立で黙祷など)、後に一部視聴者からの批判を受け、物議をかもした。日本料理パートのみ、道場から該当者なしの判定が下されたため、後日日本料理パートのみ再予選を行った。ジャッジ表ジャッジ表CS放送・フジテレビ739やBSフジにて幾度か再放送された(2008年より休止していたが、2012年11月よりフジテレビONEで再開)。BSフジでは放送時間を1時間半に拡大し、従来の放送では放送されなかった未公開シーンも含めた『料理の鉄人 完全版』として放送された。下記の通り、多くの国で放送され話題を呼び、1995年にはエミー賞ポピュラーアーツ部門にノミネートされた。北米でも本番組のフォーマットを使用した“USA版”が制作されており、その内のひとつである『Iron Chef America』が2006年初頭よりフジテレビ739・BSフジにて放送中。料理の鉄人は、アメリカでもケーブルTV専門局FOOD NETWORKで放送され大好評となった。吹替えで放送されたが、主宰の鹿賀丈史が喋る部分のみ字幕となっていた。また、レポーターの太田真一郎が福井謙二に呼びかける際の「福井さん!」という部分はそのまま "Fukui-san!" とされた。陳建一の苗字は、中国語読みが採用され "Chen Kenichi" となった。その後、フジテレビより版権を購入した他局(UPN)が、アメリカ版 " を制作・放送したが、再放送されていた本家『料理の鉄人』とのあまりの違いのため不評で、わずか1クールで終了の憂き目をみた。2005年2月より、吹替版を放送していたFOOD NETWORKが "Iron Chef America"(アイアン・シェフ・アメリカ) の放送を開始。これは同局が、フジテレビ版の制作プロダクションである日本テレワークよりスタッフの派遣を受け、日本側の綿密な監修のもとに製作した、正真正銘のアメリカ版料理の鉄人である。正規の米国版の証拠として「Original Format Produced by 」の字幕と共に、フジテレビのロゴが番組最後に大きく表示される。同番組には、Iron Chef Japaneseとして本家の3代目「和の鉄人」森本正治がレギュラー出演、スポット参戦的に本家の2代目「フレンチの鉄人」坂井宏行も出演している。司会者は「本家・初代主宰(鹿賀丈史)の甥」という設定になっているが、なぜか第1クールの番組オープニングでカンフーを披露していた。また、オープニングでは鹿賀と同じく左手にパプリカを持っているが、それを放り投げ右手に持っている青リンゴをかじるという本家へのオマージュも。独立した解説者は、Food Networkで個人のショーを持っているAlton Brownが、実況兼解説者という立場で試合中の放送を進行する。放送開始当初は、冷蔵庫前レポーターがおらず、フロアスタッフのメモをMCが読み上げていたが、途中から本家と同じ形でケビンという冷蔵庫前レポーター(米国版ではフロアレポーターと呼ぶ)が登場している。同番組のキッチンスタジアムは2005年製と言うこともあり、ディープフライヤーやスモーカーの設置など、本家のものよりハイテク化・高機能化している。また、本家が宮殿の中をイメージしたセットになのに対し、アメリカ版は近未来を意識したセットになっている。この「アメリカ版」は、日本でもフジテレビワンツーネクスト(スカパー!SD/HD、スカパー!e2、IP放送、ケーブルテレビ向け放送)でも日本語字幕入りで随時放映されている。「料理の鉄人」はオーストラリアでも、SBSで放送されている。SBSはオーストラリアの多民族・多文化主義にのっとり、海外のテレビ番組を主に放送するテレビ局で、アメリカで放送されたものをSBSが輸入した形となっている。放送時間は毎週土曜日20:30 - 21:15。CMをカットしているためノンストップで45分間放送される。オーストラリアでも「料理の鉄人」の知名度は高く、Iron Chef公式ブックも発売されている。2010年10月19日から、毎週火曜日チャンネル7にてIron Chef Australiaを放映開始。タイでは2012年1月25日からBBTV CH7にて"Iron Chef Thailand"が、ベトナムでは2012年6月6日からベトナムテレビジョン VTV4にて"Iron Chef Vietnam"が、イギリスでは2010年4月26日からチャンネル4で"Iron Chef UK"として現地製作されている。この番組の放送枠は、金曜夜11時枠に移行してからは長きに渡り日産自動車の一社提供枠であった。そのため、番組中に放映される日産自動車のCMでは鹿賀主宰や鉄人達が出演していた。1999年4月以降からは日産自動車を含む複数スポンサーとなり、一社提供時代のオープニングでは「私の記憶が確かならば、この番組は日産自動車の提供でお送りします」という鹿賀主宰の提供読みが流れていた時期もあった。また、放映される日産自動車のCMにも、鹿賀が主演する同番組専用版がいくつか存在し(例えば、BCNR33系スカイラインGT-RやC34系ローレル等)、やはり「私の記憶が確かならば~」のくだりを使用している。ただし、最後のCMパートでは日清製粉(当番組では粉類は同社のものを使用していた)や花王のCMを放送していたこともある。また、『世界の恋人』も一社提供時代に流れていた。なお、放送枠が拡大された場合は一社提供のオープニングが「ここからの番組は~」と提供読みが異なったこともあった。(金曜夜9時、夜10時枠は当時の『金曜エンタテイメント』のスポンサー各社が提供していた。)当番組終了後も金曜夜11時枠における日産自動車の一社提供は2001年4月から半年間放送していた『プレゼンタイガー』まで続いた。

出典:wikipedia

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