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名古屋高速都心環状線

名古屋高速都心環状線(なごやこうそくとしんかんじょうせん)は、愛知県名古屋市の、中区、東区、昭和区、中川区、中村区、西区を環状に回る名古屋高速道路の路線である。放射状になっている名古屋高速道路の各路線を接続する時計回りの一方通行路線である。また、都心部との流出入の役割も担うことから愛知県庁、名古屋市役所等の官公庁街をはじめ栄、金山、名古屋駅付近に出入口を設置している。車線は概ね3車線で、一部区間で4車線も存在する。ただし、ジャンクションのカーブ区間では山王JCTを除いて2車線に減少する。英語での表示はRing、路線番号は数字に替えて「R」となっている。ただし、上空から見た場合の路線形状はRing(輪)よりも四角に近く、これは都心環状線が直線と急カーブの両極端の組み合わせであることの反映である(後述)。また、日本における他の都市高速道路の環状線と異なり、すべて既存の平面街路の上部に施工されている。道路法上は、愛知県道高速名古屋朝日線(中村区名駅四丁目 - 清須市朝日)・愛知県道高速名古屋新宝線(中村区名駅四丁目 - 東海市新宝町)・名古屋市道高速2号(北区大我麻町 - 緑区大高町)の各一部と、名古屋市道高速分岐2号(西区那古野二丁目 - 東区泉二丁目)・名古屋市道高速分岐3号(中川区山王三丁目 - 昭和区御器所一丁目)のそれぞれ全部からなる。全て名古屋高速道路との接続である。都心環状線は時計回りの一方通行方式であることから、走行経路によっては各路線の接続距離に差異が生じる。一例を挙げると、1号楠線から3号大高線に接続する場合は短距離の直線連絡となるが、反対に3号大高線から1号楠線に接続する場合は、東別院、名駅を経て大きく迂回しなければならない。この場合、直線移動と比較すると約4kmの大回りである。特に3号大高線から2号東山線に直通する場合、鶴舞南JCT - 丸田町JCT間は直線距離にして1.2kmであるにもかかわらず、実際の走行は環状ルートの4分の3以上、9.1kmを走行しての連絡である。なお、都心環状線のほぼ中央を東西に貫通する2号東山線の新洲崎JCT - 丸田町JCT間(2.2km)は都心環状線の走行ルートとして使用することは出来ない。これは、ジャンクションの渡り線が環状ルートの外側に設けられ、内側には無いためである。従って、新洲崎JCTは5号万場線のみと連絡、丸田町JCTは2号東山線の吹上、高針方面のみの連絡であり、その内側の2.2km区間に直接乗り入れることは出来ない。逆も同様で、5号万場線から都心環状線に乗り入れできるのは新洲崎JCTのみで丸田町JCTで合流することはできない。また、2号東山線吹上方面から環状ルートに合流できるのは丸田町JCTのみで新洲崎JCTで合流することはできない。都心環状線は、原初計画案では双方向式の片側3車線(往復6車線)で考案された。その内訳は、高架2層式として、上層と下層で3車線ずつ、合わせて6車線という内容で、明道町JCT - 東片端JCT間(高速分岐2号)と浅間町交差点から清水口交差点との間で計画された高速分岐1号が高架1層の片側一方通行式2車線(高速分岐1号と高速分岐2号を合わせて双方向とした)、鶴舞南JCT - 山王JCT間(高速分岐3号)が高架2層式片側2車線(上下合わせて4車線)とされた。しかしながら、1970年代半ばに高まりを見せていた都市高速建設反対運動のうねりは都心部の環状ルートの在り方まで再検討を迫ることになった。もっとも、名古屋市の道路事情は年々交通渋滞が慢性化し、一刻も早い渋滞解消を望む高速道路建設促進派が多数を占めることで、名古屋市としては反対派と促進派の陳情を天秤にかけることになった。その結果、建設は続行とするが、地域住民に配慮して環境保全に万全を期する意図から可能な限り地下、半地下方式を採用することになった。また、交通量の将来予測を再検討した結果、当初予測の4分の3程度に下回ることが予見されたことに加え、環状部のダブルデッキによるジャンクションが複雑化して建設の難易度が高いことも加味され、これらを検討した結果、環状部の大幅な簡略化を断行することになった。環状部の構造変更案は2案出され、1つは都心ループの全面廃止(東西路線の2号東山線が南北2路線を連結するのみ)、もう1案が双方向式を止めて右回り一方通行方式として高速分岐1号を廃止する案であった。前者は分岐線が無いぶん工費は安いが、南北路線2本を連結する2号東山線の新洲崎JCT - 丸田町JCT間が最低3層必要で構造が複雑、後者は工費は高いが高架構造やJCTをシンプルにできるうえに日照、排気ガス、テレビ障害等の克服に有利で、公社も当案を腹案として練っていた。結果的に後者が採用され、時計回りの3車線一方通行方式として、高速分岐2号とそれに接続する高速1号と高速3号の一部が地下構造に変更された。併せて構造変更に伴う建設費増大を抑制するために4号東海線と6号清須線は整備計画から除外され、これらは1976年11月に都市計画決定された。なお、一方通行方式採択の折には、東名高速道路名古屋ICと東名阪自動車道名古屋西JCT間の通過交通を都心から排除するために高速1号(5号万場線と2号東山線の道路法上の名称)の新洲崎JCTと丸田町JCT間を切断する案もあったが、こちらは構想倒れに終わっている。高架式に比べ半地下、地下(トンネル)方式は工事費が2倍以上になることは変更時点で既に判明していたことであるが、1982年にもなっていよいよ採算性が悪化することで将来の償還計画に影響することが認識され、地下鉄や河川を跨ぐことで工事の難易度が増し工期も長期化することが問題となった。特に外堀通は地表近くを市営地下鉄名城線が横断することから、この直上を半地下式で構築すれば付近の平面道路を300mに渡って約2mのかさ上げを要することで工期が長引くことが問題視された。そして、この半地下区間を挟む明道町と東片端の区間はトンネル式(地下構造)であることから排気ガスを外へ出すための換気所が必要となる。これは景雲橋と東片端の2か所に計画されたが、これによるさらなる事業費の増大が懸念された。公社は利用者が支払う通行料金で建設に係る借金を返済する償還方式を採用することから、利用台数が伸びなければ料金収入が減り、借金返済が厳しさを増すうえに、営業収支の赤字を賄うための新たな借金を背負う悪循環に陥る。さらに通行料金を値上げすれば利用台数が減少することから大幅な値上げは出来ない。よって、通行台数を上げるには建設が滞っている路線を一刻も早く開通させ、路線ネットワークを拡大することが急務となるが、この半地下、地下方式では工期の長期化と工事の停滞が相まってネットワーク構築の大きな障害となっていた。また、年数を重ねるごとに建設費用が高騰することと路線ネットワークが未構築のために通行台数が予定を下回ることは、建設工事に要する支出ばかりが増長して通行料金収入が伸び悩むことを意味し、結果、増大する借金のみならず利息さえ払うに難儀する状況にも置かれた。なお、この当時(1984年度)の公社の財務状況は通行料金収入36億円に対し、借金の返済は48億円で、日換算で600万円の赤字経営となっていた。このため、公社は環状部とそれに連結する道路を高架式に戻すことを名古屋市に持ち掛け、これを基に協議した結果、高架式に戻すことを決定、1987年8月に都市計画変更された。 これ以後、障害のなくなった都心環状線と1号楠線は全線開業に向けて工事のスピードを速め、1995年9月に全線の供用に漕ぎ着けた。都心環状線は5段階に分けた部分開通によって路線を延伸のうえ全線開通を見ている。第1期は東新町入口 - 鶴舞南JCT - 東別院出口、第2期は新洲崎JCT - 名駅出口(現・錦橋出口)、第3期は東別院出口 - 新洲崎JCT、第4期は名駅出口 - 丸の内出口、第5期が丸の内出口 - 東新町入口間開通による全線開通である。都心環状線の延伸はそのまま通行台数の向上となって現れ、放射道路が都心で繋がることの重要性が如実に示されることになった。放射道路の単体で開通した3号大高線の通行台数が長らく伸び悩んでいたものが、都心環状線の一部分にせよ接続したことでその利便性から利用台数が上昇に転じ、東名阪自動車道と接続する5号万場線が3号大高線と都心小ループで接続されるとさらに上昇した。公社の経営も赤字から黒字に転換し、1995年の都心環状線全線開業では1号楠線とも接続されたことで2万8千台増の15万4千台まで増加している。平日24時間交通量(平成17年度道路交通センサス)外堀通直上を通過する高速分岐2号(明道町JCT - 東片端JCT間)は半地下式で計画されたものを高架式に再変更したことで、名古屋城外堀の景観との融合が課題となった。これについては名古屋市の専門委員のほか、建築家の黒川紀章のアドバイスを取り入れながらデザインを決定した。このため、都心環状線においてこの区間のみ外観が異なり、色彩はオフホワイトで統一され、張出し桁部は化粧板で覆い、柱も威圧感低減の意図から大きく面取りされた八角形の1本柱を特徴とする。そして橋脚は梁を省略して橋桁と剛結した。また、後述のパイプ照明とは別に名古屋城外堀区間以外では従来仕様の柱式道路照明を用いたが、一般的なポールタイプでは都市景観に向かないことから四角柱によるシンプルな照明とした。中央分離帯については周辺環境との調和を図るために円形に盛り土して、そこに地被植物(フッキソウ)を植樹した。東新町入口 - 高辻出入口間における建設では地域住民の理解を得るために都市景観に配慮したデザインを行った。特に高架が与える無機質な印象を払拭するためにルーバーを設置のうえ、沿道にはカラータイルを貼るなどして対応した。また、住民側は高架による地域分断イメージの払拭、商店街はシンボルタワーを制作するための空間の確保のためピア(橋脚)の高さを13mから18mに上げるよう要望したが、現実問題として全線18mに変更するには再度の都市計画変更を要し、ジャンクションにおける合流ランプの構成上の問題、および原則的に立体構造によって鉄道や道路を超える場合など公共的な理由によらず13mを超えて建設することはできないとされた。このため、商店街振興という名目で都市計画変更の必要がない15mという条件で変更することになり、東新町交差点では着工後であったにもかかわらず高架のかさ上げを実施した。そのほか、道路高欄上に取り付ける遮音壁は、大高線では吸音タイプを全面に取り付けたが、日照遮断の問題があることから高速分岐3号の鶴舞南JCT - 東別院出口間の北側に透光性タイプを試験的に取り付けた。このタイプの遮音壁は住民要望によって東新町入口においても取り付けを行った。透光性パネルはこれ以後に建設された路線では改良を加えて採用している。外堀通の上部を通る高速分岐2号は名古屋城外堀跡に生息するヒメボタルの生態系保護のため、ヒメボタル生息区域を照射しない照明を要された。このため、パイプ照明器具を採用することとし、併せてドライバーへのグレア対策も満足させるために防音壁上端に連続設置した。環状ルートが全線開業していなかった時代、環状線が時計回りの一方通行方式である制約から5号万場線から3号大高線へ直通することは不可能であった。そこで、吹上まで延伸した2号東山線を吹上にてUターンさせたうえで丸田町JCT経由で3号大高線に直通させることとして、吹上暫定連絡路が開設された。これが都心環状線における最初の環状形態であり、都心小ループと称された。その後、吹上暫定連絡路は環状ルート全通により廃止された。都心環状線は既設の直線状の大通りに建設されたこともあって直線区間が多勢となっている。このことは用地の制約から既設の道路上しか建設できない都市高速道路特有の問題をも浮き彫りにしている。つまり、高速道路の向きを変える場合に十字に交わる既設の道路上をカーブすることから、勢いカーブ半径も小さくなり、半径90mの急カーブとならざるを得ないことである。1985年に東新町入口 - 東別院出口が都心環状線として初めて開通して以降、3号大高線と高速分岐3号を繋ぐ鶴舞南JCTでスピード超過によりカーブを曲がり切れずに側壁に激突する利用者が続出したことから、公社としては路面の表示変更やカーブ部分の点滅灯を黄色から赤色にするなど様々な対策を取ってきた。現状では都心環状線に存在する6つのジャンクション全てに急カーブが存在し、この区間の最高速度は50km/hに規制されている。なお、その後も同様の事故が頻発し、材木および金属を積載したトラックが激突のうえ材料落下によって民家に甚大な被害を与えて以降はカーブ箇所に落下防止用フェンスが設置され、ジャンクションカーブに特有の印象を付与している。都心環状線直線区間の基本3車線に対して、ジャンクションカーブ区間は2車線に減少する。このことから、かつて山王JCTでは渋滞が多発し、それを先頭として3号大高線全線に渡って渋滞が発生していた。この対策として、4号東海線が接続する直前に都市計画変更のうえ、当該ジャンクションを3車線に拡幅、併せてカーブ最小半径も拡大された。

出典:wikipedia

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