舞踏会の手帖(Un carnet de bal)は、1937年のフランス映画。ジュリアン・デュヴィヴィエ監督。日本では翌年封切られ、戦後にも上映された。マリー・ベルの相手役に、当時の名優たちが次々と出演する。未亡人になった若いクリスティーヌが、16歳の時の初めての舞踏会の手帖を頼りに、昔の踊り相手を訪ねて回る。ジョルジュの家では、母親が迎えた。クリスティーヌに恋していた彼は、彼女の結婚を知って自殺し、母親は狂っていた。文学少年だったピエールはキャバレーのあるじ兼泥棒に崩れていた。クリスティーヌがむかし通りに唱える詩に付き合ううち、警察の手が回って引かれて行く。作曲家志望だったアランは神父になっていた。恋人に捧げる曲をピアノで弾いたが、恋人は耳もかさず、ほかの男と笑い興じていたと、当の相手のクリスティーヌに、三人称で語る。詩人気取りだったエリックはアルプスのガイドである。久し振りのクリスティーヌと意気投合して、無人の山小屋に同宿しようと決めた時、遭難事件発生をふれる鐘が響き、山男は直ちに雪の斜面を滑りくだる。政治家を目指したフランソワは、田舎町の大立者の町長で、その再婚の挙式に町じゅうが湧いていた。ちょうどいい、式に出てくれとクリスティーヌを迎え、自作自演のワンマン挙式を陽気に進めるが、その裏で彼はならず者の養子に手を焼いていた。ティエリーは医者にはなっていた。しかし、堕胎で稼ぐ陰の医者で、精神障害の発作に悩んでもいる。クリスティーヌと貧しい食卓を囲むうちにそれが出て、彼女は妻女に、二度とくるなと追い出される。生まれ故郷の町では、ファビヤンが美容師を愛想よくやっている。むかしの会場で舞踏会があるからと誘う。16歳という少女は、初めての舞踏会に興奮しているが、今の目には安手で、クリスティーヌに残る20年前の、夢のような思い出との落差にがっかりするのであった。旅から帰ると、むかし恋したジェラールの住所が知れた、すぐ近くだという。行ってみる。彼は直前に世を去っていた。遺した豪邸が今日人手に渡ると、残された子供が言う。クリスティーヌは彼を引き取り、母親の愛を注ぐ気になった。初めての舞踏会に送り出す時にいう。「少し緊張するでしょう。初めての煙草の時くらいに。」日本での公開は、1938年6月で、日中戦争のさなかの重苦しい「非常時」に、人生のはかなさを歌い上げる感じのこの映画は、好評であった。しかし、太平洋戦争勃発の翌年、享楽的、退廃的であるとして軍部によって上映を禁止された。なお、クリスティーヌがキャバレーでピエールと唱え合う詩は、ポール・ヴェルレーヌの「感傷的な対話」である。長谷川修に同名の『舞踏会の手帖』(人文書院)という短編がある(北村薫・宮部みゆき編『教えたくなる名短編』ちくま文庫 2014年に再録)他、日本の音楽ユニットであるALI PROJECTにも同名の『舞踏会の手帖』という楽曲がある。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。