ジャック・トーマス・スノー(Jack Thomas Snow, 1968年2月26日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロングビーチ出身の元プロ野球選手(一塁手)。左投左打(までは両打)。父のは元NFL選手で、屈指のワイドレシーバーだった。ロス・アラミトス高校時代は後に再び同僚となるロブ・ネンと一緒にプレーした。アリゾナ大学在学時ののMLBドラフトでニューヨーク・ヤンキースから5巡目(全体127位)指名され、プロ入り。9月20日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビュー。1992年12月6日にジム・アボットとのトレードで、ラス・スプリンガー他1選手と共にカリフォルニア・エンゼルスへ移籍。移籍1年目のはレギュラーに定着し、開幕戦のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャー初本塁打を放つなど、4月は打率.343・6本塁打を記録。その後調子を落とし途中にマイナー降格もあったが、打率.241・16本塁打・57打点の成績を残す。はエドゥアルド・ペレス(後阪神)にポジションを奪われ、開幕をマイナーで迎えるものの、ペレスの不振に伴いメジャーに昇格。しかし1994年から1995年のMLBストライキによるシーズン打ち切りもあって打率.220・8本塁打・30打点に終わった。は打率.289・24本塁打・102打点を記録。チームは途中2位に最大11ゲーム差を付けたが終盤に失速し、シアトル・マリナーズとのワンゲーム・プレイオフで敗れ、9年ぶりの地区優勝を逃した。オフに初のゴールドグラブ賞を受賞。は打率.257・17本塁打・67打点と成績を落としたが、2年連続でゴールドグラブ賞を受賞する。11月26日に2選手との交換トレードでサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍。は打率.281・28本塁打・104打点・96四球を記録し、チームの8年ぶりの地区優勝に貢献する。フロリダ・マーリンズとのディビジョンシリーズは3連敗で敗退。ジャイアンツの組織内で最も大きな影響を与えた人物を、選手・球団スタッフ・コーチが選ぶ「ウィリー・マック賞」を受賞した。は24本塁打・98打点。新球場パシフィックベル・パークが開場したは19本塁打・96打点を記録し、チームは3年ぶりの地区優勝。ニューヨーク・メッツとのディビジョンシリーズ第2戦で、9回にクローザーのアーマンド・ベニテスから同点3点本塁打を放つが延長10回の末敗れ、チームは1勝3敗で敗退した。は故障もあって打率.246・8本塁打と不本意な成績に終わる。も6本塁打と振るわなかったが、チームはワイルドカードを獲得。ポストシーズンを勝ち上がり、13年ぶりのリーグ優勝を果たす。史上初めてワイルドカード同士の対戦となった古巣・エンゼルスとのワールドシリーズでは、第1戦で本塁打を放つなど打率.407の活躍を見せるが、チームは3勝4敗で惜しくも敗退し、移転後初のシリーズ制覇はならなかった。は6月5日のミネソタ・ツインズ戦で球団史上3人目のスプラッシュ・ヒット(本拠地SBCパークの右翼フェンス後方のサンフランシスコ湾に飛び込む本塁打)を放つ。は、規定打席不足ながら打率.327・出塁率.429・長打率.529を記録。オフには2度目のウィリー・マック賞を受賞。当時の監督フェリペ・アルーは「彼の存在感は、このクラブハウスでとても大きい。彼の練習に取り組む姿勢から、プロの姿勢を学んでいるチームメイトも多い。」と語っている。はランス・ニークロとのツープラトン起用ながら117試合に出場。堅実な守備を披露する一方で、若手にアドバイスを送るなど、ベテランらしい一面ものぞかせた。オフにFAとなった。1月9日にボストン・レッドソックスと契約。ケビン・ユーキリスの控えとして起用されたが、打率.205と結果を残せず、6月19日に解雇された。9月24日に古巣・ジャイアンツと契約。9月27日のロサンゼルス・ドジャース戦で先発メンバーに名を連ねたが出場はせず、現役引退。引退後はジャイアンツでスペシャルアシスタントを務めた。
出典:wikipedia
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