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国鉄457系電車

国鉄457系電車(こくてつ457けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交直両用急行形電車。本項では、同じ用途で設計・製造された451系・453系・455系・471系・473系・475系の各形式についても解説する。1958年に運用開始された153系電車は、車体の両端に出入台を設け全席をボックスシートとしたことで客車を上回る居住性を実現し、利用者からは好評であった。また、1950年代半ば以降は変電所など地上設備の数が少なく済み、初期コストが少なくなる交流電化を地方線区中心に推進した結果、直流電化区間との直通車両が要求され、交直流いずれの電化区間も走行できる急行形電車が必要となった。このため153系をベースとした交直両用電車として開発されたのが、本グループの第1弾となる451・471系である。本グループは、増備過程での主電動機出力の変更や勾配抑速ブレーキの有無やさらに対応する交流電源周波数により細かいグループに分類されている(右表を参照)。分割民営化時には、JR東日本・JR西日本・JR九州に継承され普通列車として運用されていたが、2000年代以降は車両老朽化ならびにドア数や座席配置などサービス水準を向上させた新型車両が投入された結果、運用に適さなくなったことや断熱材にアスベストが使われていることなどから急速に廃車が進行。編成単位では最後まで運用されたJR西日本でも2015年3月14日のダイヤ改正で営業運転を終了しており、2016年現在では一部の保留車と413系と編成を組成するクハ455-701・702の2両が車籍を有する。車体は軽量鋼(外板は1.0mm厚、屋根板は1.2mm厚)と鋼板形押材を使用し、高運転台構造が採用された点はクハ153形500番台と同じであるが、正面貫通扉付近のデザインは幌枠が突き出ているなど若干異なっており、翌1963年に登場する165系先頭車も本系列に準じたほか、客用扉にはステップを設置した。走行機器は、2両8基の主電動機を制御する1C8M構成のMM'ユニット方式を採用し、Mc車にノッチ戻し制御可能なCS15形電動カム軸多段主制御器・抵抗器・補助電源用電動発電機(MG)・電動空気圧縮機(CP)などの直流機器を、M'車に主変圧器・整流装置などの交流機器と架線との絶縁確保のために低屋根構造とした部分にPS16B形菱形パンタグラフ1基を搭載する。台車は、枕バネにダイアフラム式空気バネを装備したインダイレクトマウント式のDT32・TR69系列を初採用。以後の国鉄特急・急行形電車の標準となった。401系・421系と同時に設計され1962年に竣工した系列である。451系が仙台地区の、471系が金沢地区の急行・準急行客車列車置換え・増発用として製造された。当初は特急形電車として検討されていたが、当時は交直流電車が誕生間もない頃で技術上の課題が若干残されていたため、急行形電車として計画が進められた。商用電源周波数の相違により電動車に搭載される送油風冷式主変圧器・主整流器が異なることから、50Hz用車両が451系、60Hz用車両が471系の系列番号とされた。ただし、商用周波数の影響を受けない制御車・付随車は共用できるため451形とした。制御器は電動カム軸式CS15。MGはMH97-DM61(容量20kVA)、CPはMH80A-C1000、電動送風機はMH2019-FK42を搭載する点は両形式共通である。Mc+M'ユニットは奇数(東海道本線基準で東京方)・偶数(同神戸方)のどちらを向けても運用可能な両渡り構造とし、落成当初は中間のサロ・サハシ451形を境にユニットを背中合せに連結することで編成を組成した。その後、冷房化により三相交流電源を引き通すためにKE5形ジャンパ連結器を追加したため片渡り構造となり奇数向きで統一され、偶数方をクハ451形とした。 運用線区の関係でホーム高さの低い線区が多いためにレール面上970mmの高さにステップが取付けられた。ただし1次車のうち制御電動車となるクモハ451-1 - 9・クモハ471-1 - 11・13は、乗務員室側客用扉の戸袋部分で台枠の台車取付部分枕梁と長手方向側梁の結合が実施できなくなり車体強度に問題が発生したため外吊方式とした。しかし雪の付着やトンネル入出時にかかる圧力からドアが開くなどのトラブルが生じたことにより、2次車以降は通常の戸袋方式が採用され1次車についても同様の改造を施工。重量が約900kg増加した。基本的に451・471系の主電動機を100kWのMT46形から120kWのMT54形へ変更したための形式区分である。このためMcM'電動車ユニットのみの系列で制御車・付随車については引き続き451形とした。50Hz用453系は東北本線急行電車および常磐線準急列車増発のために1963年から21ユニット42両が製造された。60Hz用473系は、程なくして475系の製造に移行することが決定していたため、1965年に予備車補充目的で1ユニット2両のみが製造されたが、1986年に413系への改造により形式消滅した。主電動機以外には以下の搭載機器と床下機器配置に若干の変更を実施した。東北本線盛岡・鹿児島本線熊本電化開業用・北陸地区増発用として1965年から製造された基本的に165系の交直両用タイプに相当する形式グループで、453・473系からは以下の変更を実施した。製造開始時に優等列車冷房化計画が発動されていたこともあり、サロ455形は全車が新造冷房車。普通車はサハシ455形ビュフェ部を除き後期製造分から冷房装置搭載準備工事施工で落成もしくは新造時から搭載となった。また451・453・471・473系の増備車という一面もあったことから、抑速ブレーキを使用停止してそれらの系列との併結を可能にすることも考慮され、抑速ブレーキ回路は引き通しを別途新設する方法が採用された。主変圧器を50・60Hz対応のTM14形に変更し3電源対応とした形式で制御車・付随車は引き続き455形とされた。全車新製時から冷房装置を搭載する。1969年から1971年にかけてMc+M'ユニット19組38両が製造され、東北・北陸・九州地区に配置された。冷房化改造をのぞいた大きな改造工事について解説を行う。系列内での形式改造車ならびに他系列から編入改造が施工された車両について解説を行う。サロ451形のうちCP装備車は100番台に区分されるが、新製時から装備していた101 - 105とは別に1965年から1979年にかけて大井工場(現・東京総合車両センター)で0番台13両にCP搭載改造を施工した。なお106は欠番である。1973年に仙山線での踏切事故により廃車となったクハ455-45の補充として、1975年3月26日に余剰車となっていた金沢運転所所属のサハシ455-18に郡山工場(現・郡山総合車両センター)で先頭車化改造を施工。クハ455形最終増備車同様の車体であり、車体長も新製車とまったく同一である。AU13E形5基および冷房電源用110kVAのMGが搭載された。1993年に廃車。451・453系の455系化改造グループ。当初は1969年にサロ451形3両をサロ455形に改造する工事が施工された。1978年10月ダイヤ改正を機に仙台運転所(現・仙台車両センター)の急行形車両形式統一が図られ、453系の455系編入改造工事が郡山工場で施工された。改造対象はクモハ453形・モハ452形・クハ・サロ451形(0番台)でMc車の主制御器・主抵抗器の交換(これに伴い床下水タンクが撤去されたためトイレ・洗面所も同時に撤去)、Mc・Tc車の主幹制御器の交換、各車両に抑速ブレーキ引通線増設などの改造が1978年 - 1979年に施工された。このグループはオリジナルの455系と異なり、CPの大容量化とM'車への移設は施工されておらず、CPの配置は元車両のままとなった。以上15両の改造が計画されたが、この4両は車両需給上計画番号にとどまり、実際には改造工事が行われず欠番となった。クハ455-201とともに仙台運転所に配置され、主に東北本線などで運用されていたが、719系や701系の投入に伴い、クヤ455-1に再改造されたクハ455-203以外は1994年に廃車された。普通列車への転用・短編成化では制御車が不足することとなった。本区分番台は1984年 - 1985年にクハ165・169形900番台24両へ本系列編入やドアステップ設置などの改造施工をしたグループである。特徴として架線電圧検知アンテナの台座がオリジナル車では角錐形状でホイッスルが埋め込まれているのに対し、改造車は台座が円錐形状でホイッスルが独立して取付られた。300番台と同じくクモハ165・169形900番台を電装解除の上編入したもので、1984年 - 1985年に5両が改造された。300番台と同じくドアステップや架線電圧検知アンテナの設置、台車のTR69系への振替が行われたが、種車の関係で前部デッキ屋根上の通風器の形状が異なり、種車の主電動機冷却風取入用通風器が存置されるなど僅かな差異が見られるが、後に401と405ではこれを撤去した。普通列車転用で不足する制御車化改造の皮切りとしてサハ165形を先頭車化し455系に編入したもので、1983年に5両が改造された。300・400番台と異なり、新設された運転台はクハ411形500番台に準じたものであるため、外観および運転台の交直切替スイッチ周りにわずかな差異がある。501のみ種車同様AU13E形6基が搭載されたが、それ以外は前位寄の1基が新設した前位デッキと競合するために撤去された。サロ455・165形を制御車化と同時に普通車格下げした改造で、1984年 - 1985年に11両が施工された。外観・車内設備を含めて種車のものがそのまま活かされているが、前位デッキと競合する冷房装置は撤去された。シートは近郊形改造した車両のロングシート部分を除き種車のグリーン車用リクライニングシートがそのまま残されたが、後に更新工事の際に一般のボックス式クロスシートに交換された車両では、窓と座席間隔は合わない。471・473系の更新改造車である413系と編成を組成するためサハ455形を松任工場で先頭車化改造した車両。701が1986年に、702が1987年に施工された。他の455系改造車と異なり種車が経年30年未満であったため車体更新は未施工である。外見の変更点は、車体中央部の側窓間にMG風道吸気口を合計4箇所新設・側面窓の一部を固定化ならびに上部へ電動行先表示器を装備。また413系に準拠させる運転台や戸閉機械を廃車発生品ののTK4(発生品)へ取替た上で半自動扱いが可能で側引戸には取手が追加された。引通線も413系に合わせて変更されており、ジャンパ連結器も413系用のKE96形を装備するため475系の制御車としては使用できない。また種車の冷房用110kVA-MGはクハ412形に合せて制御電源兼用に改造済である。車内はデッキを撤去。座席はボックスシートを中央8組のみとし、両端はロングシート化した上で端部に風防の取付を施工。1990年に磐越西線快速「ばんだい」へグリーン車組成が要求されたことからクハ455-44を種車に郡山工場が施工したグリーン・普通合造車への改造である。当初は仙台色で緑色帯を二重の塗装にされたが、その後は磐越西線専用塗装に変更。1999年の磐越西線専従運用終了後は、グリーン客室をそのまま普通車扱いとして運用。車体は2005年6月まで「BAN-ETSU LINE 455」のロゴを消していたが、同年7月以降は再度「あいづデスティネーションキャンペーン」により磐越西線運用に復帰。ただしキャンペーンキャラクター「あかべぇ」のステッカー貼付は未実施とされた。JR東日本では、1991年から乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練に保留車を活用することになった。455系ではクハ455形をベースとし、室内は座席を一部撤去、テーブルとパイプ椅子を持込みミーティングルームとし、備品収納用ロッカーや視聴覚教育用モニタ、ビデオを搭載したクヤ455形に改造。クモハ455・モハ454-1と編成を組み、塗装は交直流急行色に白帯と「訓練車」の表記が入れられていた。2006年11月14日、編成に組まれていたクモハ455-1が鉄道博物館に収蔵されるため、郡山総合車両センターへ廃車回送されて形式消滅した。2010年に金沢総合車両所所属の3両編成x8本を6両固定編成x4本へ組成変更する際に、中間封じ込みとなるクモハ457・クモハ471・クモハ475・クハ451・クハ455各形式の運転台機器使用停止措置を松任本所で実施。その際に形式変更を行い以下の編成が組成された。外観に変化はなく表記上ATS-SWも整備状態とされた。521系の導入進行により系列消滅となった。1995年に鹿児島所属のクモハ457・モハ456-14の2両に施工された近郊形化改造。車体中央部に両開きドアの増設・電気機器の変更・モハ456に運転室を設置して2両編成に短縮するなどの工事を行い717系に編入された(前述)。2009年9月限りで運用を離脱。機器類・車体の更新を除いた改造について解説を行う。1969年から普通車の冷房化改造が開始されたが、主整流器がモハ450形のRS5 (A) 形、モハ470形のRS7 (A) 形のままでは整流能力が不足するため、モハ402・422形に使用されていたRS22・RS22A形と振替る改造工事が冷房化改造と同時に施工された。運転時省力化ならびに保守時合理化を目的にクモハ473・モハ472形とほぼ同一動力性能とするため、クモハ471・モハ470形の主電動機をMT46形から他系列車廃車発生品のMT54形に交換する改造工事。1991年3月から12月にかけて松任工場で1・2・9の3ユニット6両へ施工した。仙山線用は1985年3月まで通票閉塞を施行していたためタブレットキャリアを走行中に授受するために運転台後位の客扉を締切り窓部に保護枠を設置した。1982年11月15日国鉄ダイヤ改正では九州地方の、1985年3月14日国鉄ダイヤ改正では東北・北陸地方の電車急行が全廃となった。捻出された本系列は普通列車に転用されることになり、1984年から一部車両に以下の近郊形対応改造を施工した。なお、走行性能には手が加えられていないため、近郊形対応改造後も営業最高速度110km/hは変わっていない。このため、それまで100km/hであった近郊形普通列車の最高速度が引き上げられるという効果もあった。他系列からのクハ455形改造車では近郊化改造と同時施工したケースのほか、地方都市圏の輸送改善を目的に車体更新によって近郊形電車に改造した例もある。詳細は国鉄413系・717系電車を参照。JR東日本では1992年に発生した成田線大菅踏切事故後、踏切事故で乗務員保護のために前面を補強する工事を積極的に進め、本系列も対象となった。時期によってステンレス板での補強のところ鉄板で施工した例やアンチクライマーを装備・未装備などの差異がある。413系・717系0・100番台との併結運用対策で客扉の冬季半自動扱いに対応する改造を一部車両に施工した。本系列は東北や北陸・九州といった交流電化地域を中心に配備され、主に東京や大阪とを結ぶ急行列車の運用に就いていた。しかし、その後特急格上げや快速格下げなどで急行列車自体が減少していったことから、ローカル運用を担うようになった。本節では、急行列車として運用された時期について解説する。1962年の451系落成当初は勝田電車区(現・勝田車両センター)に配置され、翌1963年からは仙台運転所(現・仙台車両センター)にも配置された。定期列車では東北本線上野(一時期は東京) - 青森を中心に常磐線・奥羽本線山形・磐越西線喜多方まで、臨時列車では万座・鹿沢口のほか私鉄である伊豆急行伊豆急行線伊豆急下田・伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺までの乗入れ実績がある。主として東北本線系統は仙台車が、常磐線系統は勝田車が運用を担当。仙台車には、郡山・福島などで編成の分割・併合や夜行の運用も存在した。詳細は東北本線優等列車沿革、常磐線昼行優等列車沿革、奥羽本線昼行優等列車沿革、磐越西線喜多方以東優等列車沿革も参照。投入直後は準急「ときわ」と急行「みやぎの」に以下の2種類の編成が充当された。翌1963年にはクハ451形が配置され10月1日から「みやぎの」を仙台運転所に移管。同時にサハ451形・サハシ451形も全車仙台に転出。以後は次の編成で常磐線中心の運用に投入された。1968年10月のダイヤ改正では1等車(後のグリーン車)1両を減車され、一部基本編成では中間閉じ込みのクハ451形がサハ451形に置換えられた。さらに1972年3月15日のダイヤ改正で編成が変更となり、1985年の運用終了まで以下の編成で運用。1963年10月に「みやぎの」運用を勝田電車区から移管されたのと同時に「松島」「青葉」の電車化のために新たな配置区となり以下の編成が組成された。しかし、東北本線に介在する勾配区間や1968年以降に乗り入れる奥羽本線に対応するために455系が集中配置されるようになり、1967年7月の磐越西線喜多方電化により以下の編成に変更された。また「ざおう」・「ばんだい」の多層建て列車では付属編成2本連結による運用も存在した。付属編成単独で運転されていた「あぶくま」「くりこま」「つくばね」や上記の編成とは別に増結用ならびに「仙山」をはじめとするローカル運用や臨時運用に投入されるTc-M'-Mcのみの編成も存在した。1973年10月のダイヤ改正で特急増発に伴い食堂要員を特急に転用させるためビュフェが営業休止。1977年にはTbが編成から外され基本・付属共に共通の6両編成となった。さらに1984年2月からは基本編成と付属編成の位置が逆転した以下の形態となった。1985年に東北本線系統の電車急行が全廃となり、以後はローカル運用に転用された。仙台車で運転された主な列車を以下に示す。1962年7月から敦賀第二機関区(現・敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室)に配置され、同年年末年始輸送の臨時急行「越前」と名古屋 - 大阪間の準急「比叡」に投入。翌1963年4月から定期急行列車での運用が開始され、1964年の北陸本線富山電化以降は金沢運転所(現・金沢総合車両所)への転属・集中配置となった。北陸本線糸魚川と東海道本線・名古屋大阪までの運用を担当。1970年7月15日から富山地方鉄道本線宇奈月温泉・立山線立山まで交直流急行形電車の私鉄乗入れという珍しい運用も1982年まで行われた。投入当初は以下の編成を組成した。臨時列車などに投入される場合はサハシ451形2両減車の8両編成が組成されるケースもあったが、1964年1月にクハ451形が新造され4月以降は以下の編成に順次変更。1967年にはサハシ451形1両減車の上で次の編成に変更。1973年11月30日をもって利用者の減少と食堂要員を特急列車へ集中させるためにビュフェ営業休止。1975年より、冬期のみ基本編成からサロ1両とサハシを抜いた減車編成で運用された。1978年4月より12両編成に復帰せずに同年10月改正で冬期減車編成が基本となり、ヘッドマークも小型化された。1982年11月の改正で「くずりゅう」を除き特急列車に格上げもしくは廃止。「くずりゅう」も1985年3月の改正で廃止となり、北陸地区での本系列の急行運用が終了した。投入された主な列車を以下に示す。1965年に南福岡電車区(現・南福岡車両区)に配置開始。同年10月のダイヤ改正から東海道本線・山陽本線・鹿児島本線・日豊本線系統の急行列車として運用が開始。東は名古屋、南は西鹿児島までの運用を担当。名古屋 - 博多間のロングランや小倉で列車編成の分割・併合が行われる運用も組まれた。鹿児島電化が完成した1970年10月1日に鹿児島運転所(現・鹿児島車両センター)に一部車両が転属したのを皮切りに、1973年10月1日には鹿児島の他に大分電車区(現・大分車両センター)にも転属となり南福岡の配置がなくなった。山陽新幹線博多開業によるダイヤ改正で本州内での急行運用がなくなり全車大分電車区集中配置となった。その後の運用見直しで1980年から一部車両が鹿児島に再転出しているが、1982年11月のダイヤ改正をもって九州地区での急行運用が消滅した。1965年投入当初は以下の編成が組成された。1968年10月1日改正以降は、編成数増加のために基本編成のサロ455形1両と付属編成のサハシ455形を減車した以下の編成に変更となった。1970年以降増備された電動車ユニットはクモハ457形+モハ456形に変更されたが、1973年11月30日をもってビュフェ営業休止。1978年10月改正でサハシ455形が外され基本編成が6両となった。また一部列車や臨時列車には、他地区と同様にTc-M'-Mcの3両を組み合わせた6両・9両編成での運用も行われた。投入された主な列車を以下に示す。1987年4月1日の国鉄分割民営化の時点では、東日本旅客鉄道(JR東日本)に234両が、西日本旅客鉄道(JR西日本)に90両が、九州旅客鉄道(JR九州)に123両が承継された。JR東日本在籍車は2008年度内で、JR九州在籍車は2009年度内に全廃。JR西日本在籍車のみが定期運用に充当されていたが、2015年3月14日のダイヤ改正で521系に置換えられて413系に組み込まれているクハ455形700番台2両を除いて運用を終了した。1985年に東北本線系統の電車急行は廃止となったが、仙台運転所(→仙台電車区→現・仙台車両センター)に所属していた本系列は、以前より運用範囲は狭くなったものの普通列車や快速列車として引き続き東北本線・常磐線・仙山線・磐越西線で運用された。東北本線では急行から格下げされた快速「くりこま」の運用で盛岡まで運用されていたが、「くりこま」廃止後は主に黒磯 - 一ノ関間で普通列車運用を中心に快速「仙台シティラビット」の一部にも投入されたほか、第三セクター鉄道の阿武隈急行線へ入線する運用も存在した。常磐線では仙台 - 水戸間で普通列車に投入されたが、E531系導入に伴い2005年にいわき - 水戸間の運用が終了。2007年の車両置換え直前まで9両編成での運用も存在した。仙山線では普通列車や快速「仙山」で全線運用された。奥羽本線福島 - 新庄間が標準軌に改軌される以前は上ノ山や新庄まで運用された。磐越西線では郡山 - 喜多方間で普通列車ならびに快速「ばんだい」に投入された。車内の一部をロングシート化していたもののラッシュ時の混雑などに対応しきれなかった事も重なり、2001年に仙山線運用が終了。車両老朽化の進行からE721系の投入が開始され417系・717系と共に2007年から2008年にかけ他線でも置換えが行われた結果、2008年3月14日に定期運用が終了した。さよなら運転は同月22日に仙山線仙台 - 山形間、23日に東北本線仙台 - 郡山間で行われ、すべての営業運転を終了した。その後は郡山総合車両センターへ順次回送された後に廃車・解体。2008年度内で全車が廃車となりJR東日本から本形式は消滅した。仙台車両センターの本系列は、車体更新編成と未施工編成が混在しており、更新車は先頭車が前照灯標識灯の一体化などの外観上特徴を持つ。また末期には東北色車とS-40編成は正面の種別・行先表示器が幕式からLED式への換装が行われたほか、仙台地区でのATS-Ps導入ならびにいわき駅構内のATS-P導入に対応した表示器の設置・機器の交換などが施工された。編成番号は、455系がS+電動車ユニットの車両番号で、457系の場合はユニット車両番号の若い順から車号に関係なくS71 - 73とされた。413系への改造が始まる前である1985年4月1日現在で112両が、国鉄分割民営化直前の1986年11月1日現在で98両が配置されていたが、413系改造の進展によりJR西日本には90両が継承された。外観的特徴としてつららによる破損を防ぐために先頭車前頭部の列車種別表示器が塞がれているほか、雪の浸入によるMGの故障を防ぐためにクモハ前頭部箱型通風器のうち運転士側のMG冷却風用が撤去され、室内デッキから採風する方式に変更などの施工がされている。また修繕により現存する471系全車と475系の一部は側窓のサッシが交換されオリジナルと形状が異なり、MG用以外の屋上通風器の撤去やLED式側面行先表示機の設置などの改造も進行中である。Mc-M'車のトイレ・洗面台は閉鎖あるいは撤去された。3両編成のうち475系・457系で編成を組む17本と増結用であるクハ455-19は近郊化改造が施工されており、未改造6両編成の一部が413系改造種車となった。改造が終了した1990年4月1日時点で3両編成22本・増結3両編成4本・余剰車2両の計80両配置となった。その後余剰車のサハ455形2両が1993年度に廃車となったほか、1992年から1997年にかけて近郊化改造未施工車を対象に延命NB工事が施工され、客室内一部セミクロス化やデッキ仕切り扉の撤去などが行われた。運用面では、分割民営化直後には北陸本線・湖西線近江今津以北・富山港線で定期列車に充当されたほか、415系の代走や臨時列車で七尾線への入線実績がある。2000年代に入り運用縮小が行われ以下の状況で運用が終了した。続いて419系・475系老朽化取替え用として2010年3月までに521系10編成20両が投入され、同年10月までに8編成24両が廃車となった。さらに2011年3月までに521系20編成40両が投入され、敦賀 - 金沢間の運用を終了した。この結果同年6月までに4編成12両が廃車となった。2013年3月16日ダイヤ改正では、北陸本線金沢 - 直江津間でA05 - A07・A10・A12・A13・A15・A18・A19・A21・A22・A24 - A26編成の計14編成42両が運用された。本系列のみもしくは413系と連結した6両編成を組成し、基本的に普通列車のほか、土休日には臨時運用として快速「ホリデーライナーかなざわ」にも充当された。2014年3月15日ダイヤ改正では、定期運用の大幅減小ならびに金沢 - 糸魚川間へ短縮を実施。平日は運用列車全てが6両編成で運転。土休日運転の快速「ホリデーライナーかなざわ」運用は残存したが、昼間は大幅に削減され、朝夕ラッシュ時中心で運用された。2014年10月18日に521系ダイヤ修正を実施。充当営業列車は9本に減少。2015年3月14日ダイヤ改正で営業運転を終了。同年4月時点でA05・A07・A10・A15・A18・A19・A21・A22・A25・A26編成の計10編成30両が車籍を有していたが、以後は以下の日付で廃車を実施。この結果、2016年4月1日時点の在籍車両は以下の9両である。JR九州では、以下の路線で運用されていた。それまで717系への改造で余剰となったクハ455形の廃車はあったが、1999年のワンマン運転開始に伴い815系が投入されると八代以北への入線が減少するとともに廃車が本格化した。2003年10月には鹿児島地区・宮崎地区での817系投入・ワンマン運転が開始。さらに翌2004年3月13日の九州新幹線開業に伴う八代 - 川内間の肥薩おれんじ鉄道移管により運用が大幅に減少した結果、老朽化も考慮され順次廃車となった。鹿児島地区415系転入に伴い2007年3月18日をもって全車が定期運用を終了。長らく保留車となっていたが、2010年3月までに全車が廃車された。国鉄時代も含めて九州管内配置車は475・457系のみであるが、国鉄末期のサロ455形先頭車化改造時に先頭車が不足した際に金沢運転所からクハ451形を2両を借り受けた例がある。鹿児島車は鹿児島本線上で、大分車は日豊本線上で、ともに鹿児島中央方がクハ455形となっている。したがって両車は鹿児島中央駅でクハ455形同士が向い合う形となることから、両区所間での車両の転属や貸し出しは方向転換を伴っていた。オリジナルの車両塗装は、地色を赤13号(ローズピンク)として窓周りにクリーム4号の帯をまとった「交直流急行色」と称される配色であった。60Hz電源用の車両は、当初識別用のクリーム色の細帯を電動車のみに、後に編成全車の下部に巻いていたが、457系登場後に塗装工程省略の見地からこの細帯は廃止された。これらのオリジナル塗装は、国鉄時代末期になると地域ごとに独自のカラーリングへと塗り替えられていった。仙台地区に在籍する車両は、1985年9月より1988年にかけて715系1000番台に準じたクリーム10号(アイボリー)の地色に緑14号の帯の配色に変更された。前面に回り込んでいる帯の部分が菱形になっているのが特徴で、仙台都市圏の列車愛称にちなみ「グリーンライナー色」とも呼ばれる。1996年には磐越西線向けの、1997年には仙山線向けの専用塗装がそれぞれ登場している。共にデザインは同じで、配色とロゴが異なっている。1985年に落成した419系が赤2号を地色とし帯クリーム10号とした「旧北陸色」を採用した後に本系列にも採用されたが、分割民営化後の1988年にイメージチェンジでオイスターホワイトを地色としてコバルトブルーの帯を配した新北陸地域色へ変更が決定し、1991年に全車塗装変更が完了した。また2005年 - 2006年にはA16・19編成が交直流急行色に復元された上で2006年9月23日には「リバイバルくずりゅう」での運用を行った。A19編成では全車に60Hz電源識別用の細帯が再現されているのに対し、A16編成のクハ455-18は細帯が省略されているなどの細部に違いがある。A16編成は2010年10月に廃車となったが、2013年9月にA13編成が交直流急行色に復元された。2010年には人件費および塗装費用削減のため青色一色に変更されると報道され、同年2月8日には第一陣となるA18編成が北陸地域色である青一色塗装で出場した。その後A07・A22編成も青一色塗装で出場したが、2012年7月現在で青一色塗装はこの3編成のみへの施工とされた。2015年4月にはクハ455-701を含む413系A04編成が七尾線転用により同線カラーである茜色塗装に塗り替えられた。同年7月にはクハ455-702を組み込むA11編成も同じ茜色へ塗り替えられ運用中の本系列から新北陸色が消滅した。クリーム10号の地色に青23号の帯が入った九州標準色であるが、GK-5編成は2000年のミレニアム記念として交直流急行色に変更された。こちらも60Hz電源識別用の細帯が再現されているが、北陸地区とは異なりクハに帯が入らない初期の仕様である。

出典:wikipedia

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