LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

国鉄キハ183系気動車

国鉄キハ183系気動車(こくてつキハ183けいきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が開発し、北海道旅客鉄道(JR北海道)が継承し保有する特急形気動車である。本稿ではこの形式をベースにした九州旅客鉄道(JR九州)が保有する1000番台やリゾート編成についても述べる。従来の特急形気動車の仕様を再検討し、諸設備の機能向上と耐寒耐雪機能に留意した北海道専用車両として開発された系列である。北海道内各系統の特急列車は1961年以来キハ80系気動車を使用してきた。同系列は「北斗」「おおぞら」「おおとり」などの道内特急列車網を確立し長期にわたって使用されてきたが、1975年頃から接客設備の陳腐化と酷寒地運用ゆえの故障多発・損耗が顕在化し、取替えが喫緊の課題とされた。後継車両の計画に際しては北海道内での使用に留意し、厳しい気象条件に適合した「雪と寒さに強い」特急形気動車として開発が進められ、1979年にキハ183系先行試作車が完成した。1980年から1年半の試用の後、1981年10月から量産車の使用を開始した。1986年11月の国鉄最後のダイヤ改正で、各部の大規模な設計変更がなされた500番台(N183系)が投入され、キハ80系を完全に淘汰した。JR移行後の1988年には走行性能の向上に留意した550番台(NN183系)を投入し、道内特急列車の高速化と設備水準向上を実現した。2001年から経年の進んだ車両が順次淘汰されつつあるが、使用路線の実情を考慮した仕様変更や改造も多数なされ、現在に至るまで道内各路線の特急列車に使用されている。量産に先立って製造された試作車は900番台を付番され、1979年に12両が製作された。北海道内では長距離列車の運行体系を函館中心から札幌中心に転換する構想が具体化しつつあり、基本編成を7両、必要に応じ中間電源車を含む3両を挿入して最大10両編成とする運用方式が採られた。特急気動車としてはキハ181系以来11年ぶりの新形式だったが、保守の省力化と信頼性の確保に鑑み各部仕様は先行形式で実績のある構造を主軸に採用する方針が採られた。量産移行後は仕様を統一する量産化改造がなされて量産車と完全に混用されていたが、老朽化や余剰のため2001年9月までに全車が廃車となった。同時期に試作された781系電車の仕様を踏襲した耐寒耐雪設備を有し、客室窓の天地寸法は本州以南向け特急形車両に比べ小さい。客用扉は各車とも片側1か所に片開きのものを設けた。列車の分割併合を前提とせず、先頭車は特急形電車同様の高運転台式非貫通型で、着雪防止のため、直線と平面で構成され正面中位が前方に突出した「スラント形」と称される独特の前頭部形状をもつ。灯火類は正面下部左右に前照灯と標識灯を設けるほか、運転台直上部中央にも2灯の前照灯を設けた。外部塗色はクリーム4号+赤2号の国鉄特急形車両の標準配色である。車体側面には非常時脱出用の非常扉を設け、客室窓は冷房故障時換気用の内傾式窓を片側2か所に装備する。機器用のハロン消火装置は自動と手動の2系統を装備する。キハ183形・キハ184形は床上に最大4両分の給電能力を有する電源機関を設置し、客室床上に機器室を設けた。駆動機関として、各車に1基のディーゼル機関を搭載する。電源機関の搭載・非搭載で駆動系の仕様が異なり、2種の系統がある。電源機関をもつ形式(キハ183形・キハ184形)はキハ40系気動車の駆動系を基本とした直列6気筒機関を搭載し、動力台車は1軸駆動の DT47 形である。電源機関のない形式(キハ182形・キロ182形)にはキハ66系気動車の駆動系を基本とした大出力の水平対向12気筒機関を搭載し、動力台車は2軸駆動の DT48 形である。台車は車体直結(ダイレクトマウント)式の空気バネ台車で、軸箱支持方式は円筒案内式である。軸バネには雪の侵入を防ぐゴム被覆を設けるとともに、台車と車体の間にダンパを空気バネの横に装備している。動力台車は駆動軸数の異なる DT47 形・ DT48 形の2種があり、付随台車は各形式とも TR233 形である。最高速度は基本番台と共に新製時は100km/hだったが、後に対応工事がなされ110km/h運転を可能としている。普通車の座席はR51形2人掛けの回転リクライニングシートで、座席間隔は 940 mm である。座席の配色はモケットが薄茶色、肘掛・フレーム部はロームブラウン(濃い茶色)。グリーン車キロ182形の座席はR27形で座席間隔は 1,160 mm である。座席の配色はモケットがワインレッド、フレーム部は灰色。食堂車は製作されず、キロ182形の車販準備室で対応することとした。トイレ・洗面所はキハ183形以外の全形式に設置し、キハ183形には業務用室、キロ182形には車掌室を設置している。冷房装置は集中式の AU79X 形を屋根上に1基搭載し、通風・換気は各車の屋根上に2基設置された新鮮外気取入装置によって行う。量産車は1981年 - 1983年に4形式合計89両が製作された。消火装置は自動1系統のみに簡略化され、燃料タンクは使用距離を考慮して容量を削減した。1982年の増備車からはトイレに循環式汚物処理装置を搭載している。外観はキロ182形およびキハ184形に大幅な変更があった以外は試作車に準じたものとなる(詳細は後述)。キハ80系から特急気動車に装備されていた外開きの非常扉は廃止された。非常時の避難誘導方針改訂により非常扉から脱出する誘導法をやめて隣の車両へ誘導する方法に変更されたことや、氷雪の侵入による腐食の懸念があったためである。また、内傾式の換気用窓も腐食や結露の誘発などの問題があるため廃止された。また、車端ダンパも廃止される。石勝線の長大トンネル対策として新鮮外気取入装置の性能向上が行われ、外気導入ルーバーの形状が大型化された。戸閉め確認灯が縦長の形状となる。駆動系の変更はないが、台車は軽量化されたDT47A・DT48A・TR233Aに変更された。※形式毎の駆動系の仕様は下表のとおりである。座席は配色を変更し普通車はモケット・肘掛がロームブラウン(濃い茶色)、フレーム部がクリーム色に変更される。冷房装置は改良型の AU79 形を搭載する。国鉄分割民営化後のJR北海道の経営基盤整備を主目的とし、1986年に新潟鐵工所および富士重工業で36両が製作された。性能と内装設備の向上および製造コスト低減を図り各部の仕様が変更され、車両番号は500番台、1500番台を付番して区別する。新183系、N183系とも称される。道内特急の短編成化を実施するにあたって基本番台の中間電源車キハ184形の運用方が再検討され、本区分のキハ183形は2種類が製作された。電源機関付きのトイレ・洗面所なしキハ183形1500番台、電源機関をもたず大出力の走行用機関を搭載、トイレ・洗面所つきのキハ183形500番台である。電源装置のないキハ183形500番台はキハ184形との組で運用し、既存の電源装置を活用した。新製時の最高速度は 110 km/h とされたが、将来の速度向上に備えて機器類は最高速度 120 km/h に対応した設計とされている。基本番台では廃止した車端ダンパが取付可能だが、実際の運用には使用されず台座部分のみの設置としている。車体は従来と同じ鋼製であるが、外板は1.6mm鋼板を採用した。先頭車のキハ183形は高運転台非貫通構造をやめ、増結・切離しが臨機応変に行える貫通型の前頭部構造とされ、同時期に四国に導入されたキハ185系と酷似したデザインとなった。室内空間の 1/3 を占めていた発電装置は小型化して床下に移され、客室空間が拡大した。灯火類は正面中位左右に前照灯を、正面上部左右に保護ガラスで覆われた前照灯・標識灯を設けた。客用ドアの窓はHゴムから金属部品による固定に変更、各車両側面の確認灯は窓枠から離れた場所に設置された。また、それまで特急型車両の先頭車に設置されていた、特急シンボルマークおよびステンレス切抜きのJNRマークが廃止された。側窓は天地寸法が 80 mm 拡大され、連続窓風の外観処理がなされた。グリーン車は寝台車並みに天井高さを上げ、床面を嵩上げしたハイデッカー構造を採用、客室窓は眺望を重視し、上部を曲面とした大型ガラスを用いた。新鮮外気取入装置は使用頻度が低いことからキハ183形・キハ182形では装備せず、電動押込み換気扇と従来型の通風器に変更された。車端部の貫通扉は有効開口幅の大きい特殊な形状となった。普通車は後に交換。外部塗色は地色が白色、橙色と赤色の帯を正面と側面下部に配し、運転室窓周囲および側窓周囲を黒色とした配色に変更された。床下機器・台車は灰色で落成した。既存の基本番台も順次同色へ変更されていき、民営化後に変更が完了した。駆動系も仕様変更され、大出力の12気筒機関は直噴化された DML30HSJ形、6気筒機関は新仕様のDMF13HS 形を搭載した。液体変速機はダイナミックブレーキの装備空間を確保するため小型軽量化され、形式は DW12・DW13 に変更された。台車は積層ゴム支持構造の軸箱装置をもつボルスタレス台車で、動力台車は DT53 形(1軸駆動、6気筒機関用) DT54 形(2軸駆動、12気筒機関用)の2種を駆動系に合わせて装備し、付随台車は各車共通の TR239 形である。将来の速度向上に備えてヨーダンパ(台車の蛇行動防止用ダンパ)が取付可能である。ブレーキ装置は従来車と同様の CLE 方式(応荷重式電磁自動空気ブレーキ)を装備し、高速運転に対応するためダイナミックブレーキの準備工事がなされた。これは高速域から踏面ブレーキを使用する場合の踏面への熱影響とフラット防止のため、電子制御によりコンバーターブレーキやエンジンブレーキを併用するものである。現在はN183系全車がダイナミックブレーキの本工事を施工され、120 km/h 運転対応になった。※形式毎の駆動系の仕様は下表のとおりである。座席は、普通車はR55A形でモケットは薄茶色の地にオレンジと黒の帯を配する。グリーン車の座席はR36形でモケットは緑色となった。内装は明るめの色になり、客室と出入口を仕切る自動ドアは床の段差をなくした光電管式である。仕切ドアの色は先頭車は青色、普通車は黄色、グリーン車は緑色である。N183系の改良型でJR移行後の1988年3月改正から函館本線で最高速度 120 km/h 運転を行うため1988年 - 1990年に28両が富士重工業で製作された。NN183系とも称する。キハ183形・キハ182形のみで、グリーン車の製作はない。内装はN183系と大きな差異はないが客室仕切り扉の窓を大型化している。車体構造はN183系とほぼ同様であるが、N183系普通車で設置を見送っていた新鮮外気取入装置を再び屋根上に設置した。これはトンネル通過時の客室内への煤煙侵入防止のためである。これに伴い妻面の貫通路上方の通気口が設置されたが、トンネル通過時の気圧変動の問題のため早期に塞がれている。外部塗色はN183系と同一の配色であるが、台車・床下機器は当初より黒色である。車端部の貫通扉は基本番台と同じタイプに戻る。N183系同様車端ダンパの台座が存在する。駆動機関は6気筒・12気筒とも過給器のインタークーラー追設などで出力を増大し、変速機は減速比を変更した DW12A・DW13A を搭載した。台車は基本構造に変更ないが、高速走行のためヨーダンパ・滑走検知装置が追設された。またブレーキ装置もN183系と同様だが、当初から120km/h運転を実施するためダイナミックブレーキは新製時より取付けられている。※形式毎の駆動系の仕様は下表のとおりである。「長崎オランダ村」(ハウステンボスのルーツとなったテーマパーク)方面へのアクセス輸送および PR に用いる専用車両として、JR九州が1988年に製作した区分である。電化の有無によらず広汎に使用できるよう気動車として計画され、北海道で使用するN183系の主要構造を基本に設計したことから本系列の一区分として付番された。本区分は、「オランダ村特急」運行開始当時の運転区間の一部(小倉・門司港 - 鳥栖間)の列車の運転頻度が高く、電車特急に併結する運用形態をとる必要が生じたため、485系電車との協調運転が可能な設計とされた。先頭部の連結器は双頭連結器を装備した。前頭部は運転台を2階に配し、大型の曲面ガラスを配した展望室をもつ(排障器を除いた全体的な形状は国鉄165系「パノラマエクスプレス アルプス」→富士急2000形の展望車に類似するが、窓割が異なる)。側窓枠と窓柱を黒色とした連続窓風処理など、車体各部の基本構造はN183系とほぼ同一である。外部塗色はオランダ国旗をモチーフにした、窓上部が赤色、窓周囲が白色、車体下部が青色の「トリコロール塗装」で、青色地の上下に白色の帯を2本配する。当初「線路があればどこまでも」のキャッチフレーズが付され、「オランダ村特急」として485系特急電車との協調運転による直通運用に使用されたが、運用区間や使用目的の変更による数度の改装を経て、2011年6月4日からは豊肥本線の観光列車「あそぼーい!」に使用されている。転用の詳細は「改造」節を参照されたい。駆動系はN183系の駆動機関・変速機の構成をそのまま踏襲し、電源装置の有無による仕様の相違も同一である。台車も同一の仕様で、搭載機関によって DT53Q (1軸駆動)または DT54Q (2軸駆動)のいずれかを装備し、付随台車は各車共通の TR239Q である。当初よりダイナミックブレーキを装備する。※形式毎の駆動系の仕様は下表のとおりである。2013年に発生した出火事故を受けて、「北斗」で使用されているキハ182形2550番台・キロ182形2550番台・キハ183形3550・4550番台の一部について安全性と信頼性の確保のために主要機器の取り換えが行われた。エンジンおよび変速機が換装され、駆動機関はキハ183形ではDMF13HZ(330PS/2,000rpm)、キハ182形とキロ182形ではDML30HZ (660PS/2,000rpm)であったのを、両者ともにキハ261系1000番台と同等のN-DMF13HZK(460ps/2100rpm)、変速機がN-DW16Aに変更された。車号は 原番+5000 を付番した。これにより、先頭車のキハ183形は機関出力が上がり、中間車のキハ182形は機関出力が下がったが、編成全体としての機関出力は下がっており、これに伴い、NN183系を使用している「北斗」の速度種別の設定が低くなっている。JR九州所属の1000番台は、2012年現在までに複数回の転用改造を受けている。「オランダ村特急」の後、4種の特急に充当され、「ゆふDX」時代には再改造も受けていることから、合計5回の改造を受けていることになる。北海道では、1980年の千歳線電化時に、北海道の空の玄関口である千歳空港に直結して千歳空港駅(現・南千歳駅)が開業、翌1981年には石勝線が開業し、主に道央地区に開発されたリゾート地への旅客が増加した。国鉄最末期にはさらなる集客を図るため、千歳空港とリゾート地を直結する移動手段として専用リゾート列車が既存車両の改造によって用意され、1985年に急行形の56系気動車から改造された「アルファコンチネンタルエクスプレス」が登場した。この車両の好評を受け、1986年には特急形の80系気動車を種車として高速性能の向上を図った「フラノエクスプレス」が、1987年には同様の手法で「トマムサホロエクスプレス」が増備された。JR移行後の4編成目からは、さらなるサービス向上を目指して本系列の設計を基本とした新造車に移行され、1988年の「ニセコエクスプレス」を皮切りに、1989年に「クリスタルエクスプレス トマム & サホロ」、1992年に「ノースレインボーエクスプレス」の計3編成12両が自社(JR北海道)苗穂工場で新製された。詳細は各項を参照されたい。※編成色が一部異なる場合がある。1979年9月、試作車12両は函館運転所(現・函館運輸所)に配置され、各種試験の後、1980年2月10日から函館 - 釧路間の特急「おおぞら5・4号」で運用を開始した。編成は食堂車の5号車は欠車で増結1号車を連結した10両で、1編成を隔日で使用する体制であった。続いて、量産車が函館運転所・札幌運転所に配置され、1981年10月の石勝線開業時に「おおぞら」、「北海」に投入された。翌1982年から「オホーツク」、1983年から「北斗」にも導入した。1985年3月のダイヤ改正では短編成化による増発を実施した。キハ184形改造のキハ183形100番台とキロ184形900番台が登場する。当初、車両需給の関係からグリーン車を連結しない編成が存在した。1986年11月のダイヤ改正に備えN183系を36両製作し、札幌運転所に配置した。同年10月に千歳線でエンジンを改造したN183系3両を使用した高速試験走行が行われ、当時の日本国内気動車列車の最高速度146.9km/hを記録した。1988年2月にはNN183系で高速試験走行を行い、153.5km/hを記録している。全車N183系とした編成は主に「おおぞら」で使用され、キハ183形500番台と従来型のキハ184形を組込んだ編成も存在した。グリーン車のキロ182は8両が増備され、初期車編成にも組込まれ普通車のみの編成を解消している。「北海」廃止に伴いキハ183系特急列車の全停車駅において車両の向きがほぼ統一される。本区分の使用開始により、キハ80系は北海道内定期列車での使用を終了した。1987年のJR北海道発足時には、試作車12両・基本番台89両・N183系36両の合計137両が承継された。1988年3月のダイヤ改正では「北斗」で120km/h運転実施のためNN183系8両を製作のうえ札幌運転所に配置し、本区分を主とする改良型のみで組成した編成を使用した。この編成では電源機関付きのキハ183形1500番台、1550番台を使用し、キハ183形500番台とキハ184形は初期車編成(基本番台・900番台)のみの運用となった。1990年、「とかち」登場。キハ183系0番台によるモノクラス5両編成であった。なお、同年より号車番号は帯広・釧路方が1号車となる。1991年、「スーパーとかち」用に2階建てグリーン車キサロハ182形を4両投入した。本形式が定期列車用のキハ183系最終増備となる。なお、帯広方キハ183形0番台はエンジン交換のため早期に離脱、代わりにキハ183形1550番台が連結された。エンジン交換されたキハ183形0番台は200番台として編成に復帰する。同様にキハ182形0番台の200番台化改造も行われた。1992年に夜行「大雪」が「オホーツク」に、1993年に「まりも」が「おおぞら」に統合された際には寝台車を組成する必要から、14系客車を本系列編成の中間に組み込む対応がなされた。「オホーツク」は編成を短縮し、「スーパーとかち」に準じた新しい前面デザインの塗装となり、後に「スーパーとかち」も新塗装となった。札幌方先頭車はエンジン交換した200番台となる。1994年2月に発生した石勝線脱線事故では3両が廃車され、本系列初の除籍車となった。1994年3月にキハ281系の「スーパー北斗」導入にあわせ、N183系・NN183系の一部車両は前述の改造工事を施行の上専用編成が組まれ130km/h運転を開始。120km/h運転対応のN183系・NN183系車両は別編成とした。「スーパーとかち」は2階建て車両を除き、機関出力を増強したキハ183形・キハ182形 200番台と基本番台のみの編成となる。1996年、「オホーツク」のキロ182形をキロハ182形に改造し、キハ183形に車販準備室の設置工事を順次実施。1997年3月にキハ281系の改良形となるキハ283系が石勝線の「スーパーおおぞら」で運転開始後、本系列の使用範囲は縮小に転じる。2000年には宗谷本線系統の優等列車特急化で「利尻」「サロベツ」での使用を開始したが、翌2001年にはキハ283系の増備完了により「おおぞら」での運用が終了する。夜行の特急は「まりも」に改称して運行継続となった。同年から老朽化による本系列の淘汰が開始され、試作車12両は同年中に全車が廃車された。以後、基本番台を中心に淘汰が進捗することとなる。2007年にはキハ261系が「とかち」系統で使用を開始し、同系統で使用してきた出力増強改造車なども淘汰の対象となった。利用の振るわない夜行列車の運用も、臨時列車化などで運転本数は漸次削減され「利尻」「オホーツク」はそれぞれ2007年9月・2008年3月で運行を終了した。残存した「まりも」も2008年8月で運転を終了、本系列の夜行運用は終了した。2009年には「とかち」での運用を終了し、翌2010年に500番台(N183系)の4両が廃車となる。余剰となったキハ183形1550番台は「オホーツク」に転用された。釧路運輸車両所にはキサロハ182形 (551 - 554) の4両が保留車として最後まで配置されていたが、2013年内に全て廃車となり、配置がなくなった。2013年7月6日、函館本線山崎駅 - 鷲ノ巣駅(現・鷲ノ巣信号場)間を走行中の特急「北斗」14号の4号車(キハ182-2557)のDML30HZ形エンジンから発火する事故が発生した。JR北海道はこの問題を鑑み、7月8日に事故車両と同種のDML30HSJ・DML30HZ形エンジンを搭載する車両(N・NN183系12気筒エンジン搭載車)36両の使用を当分の間休止し、当車両を編成する特急列車を運休とすることを発表した。これに伴いキハ183系の運行は基本番台車両を連結する編成(最高速度110km/h)の「オホーツク」と臨時特急のみとなり、改良型車両(N・NN183系)は36両の他に専用編成(最高速度130km/h)のみ連結可能なキハ183形3550番台も使用できない状況となっていた。JR北海道では事故の原因を特定し必要な対策を講じた上で、運休となっていた「北斗」の一部列車と「サロベツ」を2014年8月1日から運行再開した。2014年8月1日現在、JR北海道の所属車は函館運輸所・苗穂運転所に配置され、以下の列車で使用されている。後継となるキハ281系・キハ283系・キハ261系の投入が進み、基本番台を恒常的に使用する列車は「オホーツク」のみとなった。余剰・老朽化で除籍となった車両の一部にはミャンマーに売却されたものも存在する。2013年11月29日には、2015年度から2016年度にかけてキハ261系28両を新製するとの一部報道があった。2015年1月15日には、JR北海道が定例記者会見において、今後5年間にキハ183系のうち1981年-1983年に製造された初期量産車から優先的に更新していく方針を示した。毎日新聞は特急に使用する90両の183系のうち、エンジンなどの主要機器を交換する22両を除く68両を2014年度から5年間で順次更新する方針だと報じた。また、2015年3月14日、キハ183系の置き換えをこれまでの予定より1年早め、2017年度末までに完了する予定であることを北海道新聞が報じた。JR北海道は「安全投資と修繕に関する5年間の計画」において、「北斗」で使われているキハ183系22両の重要機器更新工事を2015年度末までに完了すること、キハ183系0代34両の置換用としているキハ261系の増備を2016年度から2017年度末までに行うこと、そして2019年度以降に残りのキハ183系・281系・283系の老朽取替に着手することを公式に発表している。しかし、「オホーツク」「サロベツ」については、261系への置き換えの編成数を予算面から減らす見込みであり、老朽化が進んでいるために代替車両確保による運行困難な面と高規格道路の延伸による特急列車の利用客減少により、特急車両使用のダイヤ編成の見直しを沿線住民の配慮から廃止ではなく減便の方向で検討している。1000番台の新製当初は竹下気動車区(現・博多運転区)に配属され、「オランダ村特急」(小倉 - 佐世保)で使用された。1989年の門司港延長運転開始とともに4両編成となり、下り列車の門司港→博多間で電車特急「有明」との協調運転を開始した。1990年には協調運転区間が門司港→鳥栖間に延長され、程なく直方気動車区(現・筑豊篠栗鉄道事業部直方運輸センター)に転属した。1992年、ハウステンボス開園とともに特急「ハウステンボス」(博多 - ハウステンボス)が485系電車で運行を開始し、「オランダ村特急」は廃止された。本区分は「ゆふいんの森II世」に転用され、1999年まで使用された。「ゆふいんの森II世」時代には「阿蘇キャンペーン」(1994年12月 - 1995年2月)の一環として、臨時特急「阿蘇キャンペーン号」(博多 - 宮地)にも使用された。1999年には長崎鉄道事業部長崎運輸センターに転属し、特急「シーボルト」(佐世保 - 長崎、大村線経由)として2003年まで使用された。2004年以降は豊肥久大鉄道事業部豊肥久大運輸センター(現・大分鉄道事業部大分車両センター)に配置し、「ゆふDX」(博多 - 大分 - 別府)として2011年1月10日まで使用された。「ゆふ」3往復のうち、半分の1.5往復が本形式を使用する「ゆふDX」で、奇数日と偶数日で運用される列車が異なり、毎月31日とうるう年の2月29日および本形式の検査や故障などの場合は全列車をキハ185系による「ゆふ」として運転された。2011年3月12日付で熊本車両センターに転属し、再改造のうえ豊肥本線の観光列車「あそぼーい!」として同年6月4日より運行されている。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。