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国鉄キハ185系気動車

キハ185系気動車(キハ185けいきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が開発し、1986年(昭和61年)から四国地区に投入された特急形気動車である。1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化に際しては、全車が四国旅客鉄道(JR四国)に引き継がれ、同社によっても増備が行われた。その後、一部の車両が九州旅客鉄道(JR九州)に譲渡されている。製造者は、日本車輌製造、新潟鐵工所・富士重工業である。1986年11月1日のダイヤ改正から営業運転を開始した。国鉄の分割民営化を控えた1986年に、四国地区向けに製造された車両の一つである。従来四国の特急列車に用いられていたキハ181系の代替車ではなく、老朽化した急行形のキハ58系・キハ65形の置き換えと同時に急行列車の特急格上げを行い、経営基盤の脆弱が予想されるJR四国の経営安定化を図る目的で開発された。また、短編成での小単位輸送に用いることを念頭に置いて設計されているほか、さらに徹底したコストダウンも図られた。※以下は製造当初の仕様に基づいて記述する。本系列は、運転台付き普通車のキハ185形と、運転台なしグリーン・普通合造車のキロハ186形の2形式から構成され、キハ181系・キハ183系のような普通車の中間車が存在しないのが特徴である。それまでの国鉄特急形気動車では、専ら長大編成を組むことを前提としており、編成内の特定車両床下にディーゼル発電機を搭載し、冷暖房電源や食堂車調理電源等をまかなっていた。これは長大な固定編成を組む長距離列車には相応に適した手法であったが、反面、電源供給システムによる編成構成の制約があり、四国のように輸送単位が小さく、波動的な輸送量の変動が大きい地域では、ことにフレキシビリティを欠くきらいがあった。キハ185系ではこの問題点を解消するため、固定編成前提の設計から脱却した。特急形気動車ではあるが、電気式冷暖房など一般形気動車とは異なったいわば「特別な構造」を用いることを中止し、一般形気動車に近い機器構成とされた。また冷房装置にはバス用既製品を使用し、キハ185形は走行用エンジンで、キロハ186形は専用の小型エンジンで、それぞれコンプレッサーを直接駆動する方式(機関直結式)を採用した。この結果、従来特急形気動車にあった機械室の廃止と冷暖房の1両単位での制御が実現し、編成の自由度が大幅に向上した。しかし、編成が6両より長くなるとキハ181系よりも座席定員が少なくなるという問題はあったが、当時の特急は短編成化の傾向が強く、編成の自由度が向上することによるメリットの方が重視されたため、長大編成時の定員減少は問題視されなかった。国鉄特急型車両としては初めてステンレス製車体を採用し、軽量化とメンテナンスフリーを両立させた。側面窓の上下寸法は従来の車両より拡大した74cmとされ、連続窓風の外観処理がなされた。急行形気動車の代替車であり、当初より普通列車での使用が考慮されていたため、客用扉が在来形特急気動車の1両1箇所と異なり、各車両とも急行形並みに前後2箇所に設けられている。客用扉は折戸であるが、窓の形状を半円風味とし、窓間を黒く塗ることによって、1枚扉風に見せている。前面デザインは、同時期に北海道向けに製造されたキハ183系500番台と酷似した貫通型である。前灯・尾灯はフロントガラス上部の左右に振り分け、保護ガラス内に設置された。また、それまで特急型車両の先頭車に設置されていた、特急シンボルマークおよびステンレス切抜きのJNRマークが廃止された。車体の塗装について、国鉄時代に製造された38両(キロハ186-1 - 8・キハ185-1 - 18・1001 - 1012)は地色を無塗装、ライトケース周辺は緑、運転室窓周辺は黒に近いダークグリーン、客窓周りおよび客用扉の窓の間を黒塗装とし、側面には緑色の帯テープを巻いていた。JR移行後に製造された14両(キハ185-19 - 26・1013 - 1018)はJR四国のコーポレートカラーである水色の帯となり、運転室窓とライトケース周辺も水色となった。国鉄時代に製造された車両も、1988年4月の瀬戸大橋線開業までに、この新塗装に変更された。なお、JR移行に伴い、キハ185形の後部乗降口と客窓の間にJRマークが貼り付けられたが、新塗装採用と同時にサイズを小型化したものへ変更された。エンジンはキハ38形と同一の新型直噴式機関であるDMF13HS(250ps/1,900rpm) を1両につきキハ185形には2基、キロハ186形は1基搭載している。その一方で、国鉄時代に製造された車両については製造コスト削減を目的として、変速機や運転台機器など一部の機器は、在来形気動車の廃車発生品を整備・手直しの上で流用している。このため、TC2A/DF115Aを変速機として使用し、かつ250ps級機関を1基ないしは2基搭載することから、機構が複雑になりやすい1台車2軸駆動方式は採用されず、逆転機は従来通り台車のトランサムと2本のリンクで結合されるシンプルな機構とされ、駆動軸も在来型気動車の2エンジン車と同様、各動力台車のエンジン寄り1軸とされている。キロハ186形が250psエンジン1基搭載であるため、これを組み込んだ編成あたりの総出力はキハ181系よりやや小さくなるが、軽量ステンレス車体の採用による大幅な自重軽減でキハ181系とほぼ同等の加速性能が確保されている。当時の四国の各線区は最高速度が幹線でも95km/hにとどまっており、設計最高速度は将来の高速化を考慮して110km/hとした。台車は同時期に北海道向けに新製されたキハ183系500番台と同様に、205系電車で初採用されたDT50を基本とする当時最新の円錐積層ゴム支持式ボルスタレス台車である、DT55(動力台車)およびTR240(付随台車)が新規設計された。ただし、前述の通り逆転機が台車装架であることや、ヨーダンパ取り付け準備工事の有無などの仕様の相違のため、別形式が起こされており、結果的にこのDT55・TR240は日本国有鉄道が新規開発した最後の台車形式となった。なお、ブレーキシュー(制輪子)は当初鋳鉄製を採用していたが、後にレジン(合成樹脂)製に交換されている。本系列では車内の座席などの接客設備も大幅な改良が図られている。車内の仕切扉は空気式の自動扉とされた。キハ185形では同時期に製造されたキハ183系500番台と同様、背面に大形テーブルを設けたR-55系フリーストップ式リクライニングシートを採用した。座席の前後間隔はキハ181系より30mm拡大した940mmとしているが、機器室を省略した分、キハ181形(定員52名)よりも定員が多くなっている。キロハ186形のグリーン室は1列4人掛けのフリーストップリクライニングシートで、やはり背面に大形テーブルを持つほか、フットレストや中肘掛、側面テーブルを設置し、座席間隔を従来のグリーン車と同じ1,160mmとしている。普通室は0系新幹線の発生品である転換クロスシートが1,020mmの座席間隔で設置され、グループ客の利用を想定して座席間に折り畳み式の大型テーブルを設置した。冷暖房装置やドアエンジン等にはバス用の汎用部品を活用し、さらに徹底した部品点数の削減を行っている。冷房装置はバス用の直結式冷房機を流用したAU26で、観光バス車両などに用いられているような、各自で風量・風向の調節が可能な冷風吹き出し口を各席の荷物棚の下に設けている。キハ185系はJR移行後も14両(キハ185-19-26、1013-1018)が製造され、国鉄末期からJR移行後初期にかけて四国特急のフラッグシップ的存在となった。瀬戸大橋線開通後、騒音問題の対策としてキハ181系より車重が軽い本系列が多く瀬戸大橋線を経由する運用に変更されたが、騒音自体は両系列ともほとんど変わりなかったため、後に双方とも減速運転することになった。繁忙期の「しおかぜ」は岡山 - 松山間9両編成、松山 - 宇和島間8両編成で運用されたこともあった。しかしJR四国は1990年代以降、島内で急速に整備の進んだ高速道路への対抗策として、より高速運転が可能な振り子式気動車である2000系の開発と増備を進めた。2000系の登場以降、性能面で見劣りする本形式は次第に第一線から退いていった。本形式は余剰気味となり、一方でJR九州は老朽化・陳腐化していた急行用気動車の置き換えを検討していた。ここで双方の利害が一致し、本形式の一部がJR九州に売却されている。JR四国は2000系投入後、キハ185系の普通車のアコモ改良として座席のモケットを交換し、背もたれを取っ手付きにして形状を変更した。キロハ186形の普通室は折りたたみテーブルを撤去し座席を交換した。1996年には一部が徳島線特急「剣山」の運転開始にあわせて塗装変更が実施されている。また1998年と2003年には同年製造された予土線、土讃線・瀬戸大橋線(本四備讃線)のトロッコ列車(キクハ32形)の控車としてキハ185-20・26が緑帯の「疑似国鉄色」となった。本来の国鉄色は運転窓周りがダークグリーンであり、現在の「疑似国鉄色」とは違う。1998年より特急「うずしお」にN2000系気動車が投入され高速運転を開始、本形式はさらに運用数を減らした。一方で老朽化したキハ58系はまだ普通列車として使用されていた。そこで2000年より、キハ185形の一部は、普通列車においてもキハ58系を置き換えるため、ジャンパ栓を増設して在来の一般形気動車と併結可能にした普通列車仕様に改造され、松山運転所に配置された。外観は「剣山」色と似ているが、濃紺帯がなく赤帯に変更され、前面行先表示器を設置したほか、車内設備は特急列車運用への充当をしない前提で収納式テーブルや灰皿の撤去、座席カバーのビニール化、リクライニング機構(バネ式)の固定など、普通列車向けの簡略化・省力化の改造がなされた。前記したように3000番台が2両、3100番台が8両改造されたが、このうちの3000番台として使用されていた2両が2006年6月からの「むろと」の増発に伴い、原仕様に戻されたうえで高松運転所に転出し、座席も8000系のリニューアルで捻出されたものに取り替えられた。また先述したように、「アイランドエクスプレス四国II」や「ゆうゆうアンパンマンカー」に改造された車両もある。2000系の増備でキハ185系は余剰気味となったことから、急行「由布」・「火の山」の車両置き換えを検討していたJR九州に20両が売却され、1992年に機関車牽引で小倉工場へ甲種輸送された。1992年7月ダイヤ改正より、特急「ゆふ」・「あそ」での運用が開始された。JR九州に売却された車両は、以下のとおりである。いずれもJR四国の車籍抹消は1992年2月12日付、JR九州の再登録は営業運転開始と同日の同年7月15日付である。JR九州へ売却された車両は「ゆふ」・「あそ」用に赤と銀を用いた塗色へと変更され、キハ185形の一部(-2、4、6、8、10、16)は電話室、車販準備室を設置した。また先述のように譲受したキロハ186形は豊肥本線や久大本線の勾配対策でエンジンを1基追加して2基搭載し、グリーン席を廃止したキハ186形に改造した。このとき車内は787系とあわせた、グレーを基調とした内装に変更。シートモケットも787系にあわせた黒色ベースのものとなり、車内の雰囲気は大きく変化している。さらに2004年には「あそ」の廃止と「九州横断特急」・「くまがわ」の運転開始により該当車両ではワンマン運転対応工事が施工されるとともに、客室内装は木材を多用した明るい雰囲気へと再リニューアル、あわせてフォグランプ設置、外板塗装の変更といった改装が施された。加えて2008年からは、順次エンジンをDMF11HZ系エンジン(コマツ製SA6D125HE)に換装、液体変速機もあわせて新型のものに交換されている。キハ185系のうち2両(キハ185-4・キハ185-1012)を改造し、臨時特急列車「A列車で行こう」専用車両としている。車両デザインは水戸岡鋭治が担当した。なお、この車両は豊肥本線の特急「あそぼーい!」の車両改造工事が終わるまで運行されていた「阿蘇ゆるっと博号」に充当されていたものである。「16世紀大航海時代のヨーロッパ文化」と「古き良き“あまくさ”」をテーマにしたというデザインは黒とゴールドのツートンカラーで、車内は教会などをイメージしたというカウンターバーやステンドガラスで彩られる。定員は1号車28人、2号車56人の計84人で、全席普通車座席指定席で運行される。1号車にはソファーやベンチのほか、カウンター形式のバー「A-TRAIN BAR」が設けられている。2号車には4人用セミコンパートメント席が4区画設置されている。バーではビールやハイボールのほか、当列車限定のオリジナルカクテルなどといったアルコール類が提供されている。車内での演出として、BGMに向谷実アレンジによるジャズのスタンダードナンバー「A列車で行こう」などが用いられている。特急仕様車は徳島県を中心に高徳線、徳島線、牟岐線の特急列車(牟岐線の牟岐駅 - 海部駅間は普通列車)で使用されている。なお、多客期などで「いしづち」が高松駅 - 多度津駅間の単独運転となるときに運用される列車があるほか、キハ185系使用列車については喫煙コーナーを設置するスペースがなく、また定期列車での岡山駅までの運行がないため、2008年3月15日のダイヤ改正時に全面禁煙化された。ただし、2006年末の多客輸送から高松駅 - 多度津駅間を単独運転する「いしづち」はキハ185系についても先行して全面禁煙化された。2014年3月15日のダイヤ改正時に徳島線・牟岐線の特急列車の運転区間・愛称の整理が行われた。牟岐線は特急仕様車、予讃線・内子線は普通仕様車で運転。普通仕様車は松山運転所(四マツ)、それ以外は高松運転所(四カマ)配置である。 山岳路線におけるローカル特急に使用されている。2009年3月からは、車内にあった喫煙コーナーを撤去して全面禁煙としている。

出典:wikipedia

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