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SR-71 (航空機)

SR-71は、ロッキード社が開発しアメリカ空軍で採用された超音速・高高度戦略偵察機である。愛称はブラックバード(Blackbird)。実用ジェット機としては世界最速のマッハ3で飛行できた。開発は、1950年代後半から1960年代にかけてロッキード社の「スカンクワークス」によって極秘に行われた。初飛行は1964年12月11日。1967年5月31日実戦投入。沖縄・嘉手納飛行場にも配備された。その異様な形状と夜間に出撃することから、現地では「ハブ」(Habu)と呼ばれていた。SR-71は1950年代に開発された偵察機A-12を改良したもの。U-2偵察機の後継として設計・開発された。高高度での亜音速巡航中に地対空ミサイルを被弾したU-2撃墜事件を受けて、高高度でM3級の超音速飛行を行うことでミサイル迎撃を回避することを目標とした。タンデム複座の前席にパイロット、後席にRSO(偵察機器を操作する乗員)が搭乗し、高空からの写真偵察を行う。SR-71は超高速飛行に特化した従来にない特異な外見と内部構成により高高度での超音速巡航飛行を実現したが、飛行に際しては高度な技術、敵地上空を飛行するリスクと膨大な費用を要するため偵察衛星技術(精度)の向上により1989年の退役決定後、全機が退役した。その後湾岸戦争において、迅速な情報収集には偵察衛星では足りなかったことや、北朝鮮による核査察拒否問題が起こったことなどからSR-71復活配備計画が持ち上がり、1995年には3機のSR-71を復活配備するための予算が計上され、1996年に新SR-71部隊を編成し1997年には即応体制完了を発表した。しかし1998年に当時のビル・クリントン大統領によって拒否権が発動され、復活配備されたSR-71は計画通りの3機が揃うことも (配備が完了したのは2機) 実際に運用されることもないまま再度退役している。同じく1998年にNASAで試験機として運用されていたSR-71も退役したが、モスボール状態で保管された一部の機体の再配備の可能性もある。当時CIAが開発した偵察機であるA-12の潜在能力に気付いた空軍は、1962年12月その派生機開発を依頼し、ロッキードによってR-12と命名された。後にRS-71と正式に命名されるが、これはB-70からの連番によるものである。爆撃機仕様のB-70の開発段階において偵察爆撃(reconnaissance/strike)機としての計画が提案され、RS-70の命名が与えられたため、本機にはその次の番号が与えられた。なお空軍はA-12の戦闘機仕様の開発を依頼し、こちらはYF-12と元となった機体と同じ番号が付与されている。1964年7月、大統領リンドン・B・ジョンソンは空軍が開発中の最新鋭偵察機の存在を公表することになったが、偵察爆撃ではなく戦略偵察(strategic reconnaissance)の命名を好んだ空軍参謀総長カーチス・ルメイによって、この大統領発表の直前にRS-71からSR-71に命名が変更された。このエピソードは、大統領の言い間違いのせいで空軍が命名変更を指示し、2万1,000枚の図面と書類が修正され、その結果数千ドルの余計な費用がかかったなどという逸話としても広まっているが、ジョンソンの文書を精査した空軍大佐で第9戦略偵察航空団の司令官を務めたリッチ・グラハム(Rich Graham)によると、大統領演説の原稿と録音物では3箇所で正しくSR-71となっていたのに対して、報道陣に配布された発表概要ではこの部分が異なっていたために、速記官がRS-71を聞き間違い書き誤ったためにこのような逸話が生まれたと結論された。SR-71は、1976年7月28日、第9戦略偵察連隊機により3,529.56km/h(実用高度25,929m)という実用ジェット機としての最高速度記録を出している。これだけの速度域では空気自体の圧縮によって生じる断熱加熱により機体表面温度は摂氏300度を超えて部分によっては摂氏700度近くに達する。こうした高熱に対する対策のために、いくつかの特異な機軸が盛り込まれている。SR-71の機体は、全体の93%にチタンが使用されている。これは、通常航空機で使用されているアルミニウム合金では上記の温度で強度が低下してしまうからである(アルミの融点は660℃に対してチタンの融点は1668℃と高い)。当時はチタン加工については未成熟な段階だったため手探り状態での開発であり当初は部品の歩留まりは10%程度だったとも言われている。SR-71以前の航空機では排気口のフェアリング、補強や冷却のためのパーツ、高温部分の成型品などごく一部の使用に留まっており、以降は繊維強化プラスチックなど複合材料や新素材の使用が増加したため、チタンの使用率はSR-71が群を抜いたものとなっている。さらに、高温下での熱膨張を考慮し、機体外装パネルにわずかな隙間を意図的に空ける設計としている。そのため、地上で機体温度が常温にある間は、パネルの隙間から燃料が染み出すため、床には受け皿が置かれた。復活配備の際には技術者はこの燃料漏れ対策に苦心したとも言われる。こうした高熱対策は機体構造だけでなく、タイヤにも必要で、耐熱性を持たせるためアルミニウム粉を混入した特殊なタイヤが使用されている。SR-71の燃料も、こうした高温対策の一環として、通常のジェット燃料に比べ60℃という高い引火点を持つJP-7を使用する。そのため、始動時およびアフターバーナー点火時には点火剤としてトリエチルボラン (TEB/Et3B) 数十ccの噴射を行う。また、燃料はエンジンにて燃焼させる前にまず機体を冷却させるために循環し、その後熱交換により高温になった燃料ははじめてエンジンに送り込まれる。オイルに至っては、常温では固体となってしまう製品を使用している。そのため飛行には最短でも24時間前から準備をしなければならなかった。プラット・アンド・ホイットニーJ58が2基搭載された。エンジンの前後およびエンジンの途中には、複数のバイパス扉が設置されており、飛行中の速度によってそれらの開閉は制御されている。またエンジンシステムの最前部に装備されたスパイクコーンも電子制御で前後に駆動され、スパイクコーン先端で発生する衝撃波によって、効率よく空気の圧縮がなされるように調節される。マッハ3.2の飛行中であってもターボジェットエンジンで発生する推力は全体の10%に過ぎず、最高速に至らずとも音速を超えた飛行時の推力の大半はスパイクコーン、エアインテークダクト、(もし点火するなら)アフターバーナーで発生している。ジェットエンジンにおいてこのような現象が発生することはSR-71に限らないが、エンジン外の割合が非常に高いことが特徴である。しかし排気口に至る空気は完全に圧縮機(すなわちエンジン)をバイパスせず、9段の圧縮機のうち4段を通過する。そのためJ58エンジンは、ターボジェット統合型ラムジェットエンジンではないとされる。エンジン内空気流制御装置を制御するハネウェル・コンピューター・システムは定期的に最新のものに更新されており、特に1980年代後半のデジタル化による飛行状況のコンピューター制御機構との統合により、効率的で安全な飛行を実施できるようになったという。手動飛行時にも機体の揺れを補正するために8チャンネルの自動安定装置を働かせる。就役当時のアナログ制御では、スパイクコーンの制御の失敗による大きな衝撃の発生のために飛行が不安定になるだけでなく、フレームアウトを併発することもあった。フレームアウト後の再始動は可能であるものの、左右のエンジン間隔の広い本機では始動を終えて出力が安定するまで大きな当て舵を必要とした。SR-71が高速を発揮できるのは、大気密度が低い高高度領域の話で、高度1万メートル以下では多くの戦闘機に及ばない。機体強度も弱く、バンク角度は45度が限界で(運用の性格上、その必要性もないが)背面飛行はできない。また飛行特性は神経質であり、乗員は特別な訓練を必要とした。危険な任務に従事してきたにもかかわらず1機も撃墜されたことがないが、上記のフレームアウトや操縦の困難さにより、着陸の失敗といった事故で多くの機体が失われている。SR-71はステルス性を高めるさまざまな試みがされている。放熱効果を高めるために採用された機体全体を覆う表面の黒い塗料にはフェライト系と言われる鉄粉が混ぜられ、機体表面は鋸状にされ、ブレンデッドウィングボディとダブルデルタを併用したのっぺりとした外見にもレーダー電波を乱反射させる効果がある。機首にはチャインと呼ばれる張り出しを設けて垂直尾翼は内側に傾斜させている。さらにはエンジン噴射煙のレーダー反射を抑えるために燃料にはセシウム化合物を含んだ添加剤A-50を配合している。当時としては画期的なステルス性能を持っており、しばしば沖縄から離陸したSR-71が那覇空港のレーダーシステムから一時的に消失することも確認されているが、ステルス性のために撃墜困難という訳ではない。旧ソビエト領空を飛行中にも地上の地対空ミサイル施設から頻繁にレーダーロックされ実際に何度も対空ミサイルの迎撃を受けている。一方パイロットによる電柱のようなミサイルが飛んでくるのが見えたというレポートもあり、SR-71登場後ミサイルの性能も大きく向上していることもあり撃墜不可能というわけではない。以後、これらのステルス技術は、スカンクワークスによってF-117 (航空機)へと引き継がれる。通常離陸の24時間前より準備が始められる。高い耐熱性を持った常温で固体のオイルを使用するため、エンジン始動には整備員の周到な準備を必要とする。エンジンは機体下部のタービン駆動用シャフトに駆動車(ビュイック・ワイルドキャットの7L V8エンジンを2基搭載)を接続してタービンをあらかじめ回転させる必要があった。この駆動車は凄まじい排気騒音を発生した。また燃料は通常の点火プラグでは着火しないのでトリエチルボランを噴射して着火するという複雑な手技が必要である。トリエチルボランを使用するために、着火直後の排気炎は緑色を呈している。コクピットは与圧されていたが、高高度の飛行には不十分であり、またシート射出時の乗員保護のために乗員は高度与圧服を使用していた。このスーツはNASAの宇宙服に似た構造で着用には他人の介助が必要だった。機体に搭乗後シートベルトを締めるのにも介助者が必要である。与圧服で急減圧が起こると、体外の空気の減圧により気泡が生じて、血液の流れが阻害される「空気塞栓」という症状に陥ることがある。この症状の予防のために、着用時は搭乗前に充分な時間を掛けて100%の純酸素を呼吸し、血液中の窒素を追い出す必要がある。排泄物はオシメを着用して対応する。この手法は高高度を飛行する作戦任務用であり、基地間の移動など高高度ではない飛行任務のときには通常の飛行装備でも運用された。上述のように高温対策のために設計された機体は、地上で「冷えて」いるときにはシールに生じた隙間から燃料が漏出するが、JP-7の引火点は高いのでマッチを落としても引火することは無い。とはいえ燃料をあらかじめ搭載するとどんどん漏れてしまうので、安全の為に離陸に必要な分だけを搭載する。離陸後高度3000メートル付近で専用の給油機により空中給油を行う。給油終了後、アフターバーナーに点火して高度1万メートル付近に急上昇し、ここで重力を利用した降下によってマッハ1を超えた後に偵察飛行の任務につく。任務上、アクティブレーダーは使用せず、天測航法(昼間でも上空20000mでは星を観測できる)を併用した全自動慣性航法を使用する。また作戦中はトランスポンダーを停止して味方のレーダーシステムからも姿を消すようにしている。偵察任務で常用するマッハ3(秒速1km)の速度域での最小旋回半径は100km以上にも達するので、目標上空の再航過は実用上不可能である。超音速飛行中は空気との衝突による熱で機体が加熱されて外板が熱膨張し、隙間がふさがって燃料は漏れなくなる。帰投して基地に着陸する前に基地の周囲を低速で旋回することが多いが、これは着陸後の機体整備を容易にするために機体を冷却する措置である。低速安定性の低い機体形状からか着地スピードは高く、接地後にドラグシュートを使用して減速する。最初の配備は1968年3月21日、沖縄の嘉手納基地である。配備されたのはシリアル番号61-7976の機体でその後 NMUSAF(The National Museum of the United States Air Force)に展示されている。嘉手納基地から、SR-71は北ベトナム、ラオスなどに対しての偵察ミッションを週1-2回の割合で実施した。最も頻繁に運用されたのは1972年で、ほぼ連日運用された。1990年代にも3551回もの偵察作戦に従事している。しかし、機体の特殊性ゆえの運用コスト高や偵察衛星の進歩により、アメリカ議会でその高コストは軍事費削減の格好のターゲットになった。1990年1月には嘉手納基地から姿を消した。一部の機体は研究目的でNASAにも供与された。何回かの運用停止や復活を経たのちに、1998年に正式に退役した。1999年10月9日最後の記念飛行が行われた。A-12は極秘で設計製造されたCIAの偵察機。SR-71の基礎となった機体で、乗員は1名。SR-71はロッキードマーチン社のスカンク・ワークスが開発したが、同じ部門で2013年現在、SR-72と呼ばれるマッハ6で飛行できる極超音速機の開発が行われている。この機体は2030年までには運用可能となる構想。

出典:wikipedia

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