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レオダーバン

レオダーバンは日本の競走馬。おもな勝鞍に菊花賞がある。※馬齢は旧表記に統一する。1990年12月、中山競馬場で行われた新馬戦でデビュー。2着馬に3馬身半差を付けて快勝した。このデビュー戦では横山典弘が騎乗している。2戦目は500万円以下条件のダート戦を使ったが4着に敗れ、この後ソエにより、約3か月間休養する事になる。年が明けて3月、山桜賞(500万円以下)から復帰したレオダーバンはこのレースを5馬身差で勝利する。このレースから岡部幸雄が騎乗している。続く青葉賞では、出遅れのため4コーナーまでほぼ最後方だったが、そこから上がり3ハロン34秒5の末脚で一気に差し切って1着となった。このレース内容から、トウカイテイオーの対抗馬に躍り出る事となった。そして、東京優駿(日本ダービー)では、重賞初挑戦ながら、トウカイテイオーに次ぐ2番人気に推されたが、トウカイテイオーに3馬身離された2着に終わった。秋初戦となったのはセントライト記念。ここで単枠指定で単勝1.3倍の圧倒的1番人気に推される。ところが伏兵ストロングカイザー相手に3着と敗れ、菊花賞に向け不安を残す結果となった。トライアルの敗戦や気性の激しさといった不安材料から、菊花賞では単勝3番人気にとどまる。レースは2000mの通過が2分10秒2という超スローペースになるが、鞍上の岡部が中団で折り合いを付け、レオダーバンの得意な瞬発力勝負に持ち込んだ。直線に入ると先頭に立ち、外から追い込むイブキマイカグラを1馬身半差振り切って優勝した。菊花賞後、陣営は有馬記念を次走に見定めていたが、レースを前にして屈腱炎を発症し、長期休養する事になる。ようやく復帰にこぎつけたのは翌1992年12月の有馬記念だった。岡部はトウカイテイオーを選んだため、鞍上はデビュー戦で手綱を取った横山典弘に戻った。屈腱炎による長期休養明けだったレオダーバンは往年の力を見せる事なく、13着と初めて掲示板を外す大敗を喫した。なお、トウカイテイオーはこの有馬記念では11着だった事から、結果としてレオダーバンはトウカイテイオーに1度も先着する事はできなかった。年が明けて、レオダーバンはアメリカジョッキークラブカップに出走したが、9頭立ての8着に敗れた。このレース後に屈腱炎が再発し、レオダーバンは引退する事となった。引退後は、CBスタッドで種牡馬入りした。後にトヨサトスタリオンセンターに移動している。マルゼンスキーの後継として期待されたが、産駒はエルムステークス2着のエーピーバーストが目立つ程度で、種牡馬として成功したとは言い難い。2001年には種牡馬からも引退した。八大競走の優勝馬であるにも関わらず功労馬繋養展示事業の対象となっておらず、トヨサトスタリオンセンター退厩後の消息は不明である。※は上がり4Fのタイム。

出典:wikipedia

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