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江戸しぐさ

江戸しぐさ(えどしぐさ)とは、芝三光(本名:小林和雄、別名:うらしまたろう、1928年 - 1999年)が提唱し、NPO法人江戸しぐさが「江戸商人のリーダーたちが築き上げた、上に立つ者の行動哲学」と称して普及、振興を促進しているものである。同法人が「紙類、文房具類、印刷物」「セミナーの企画・運営または開催、書籍の制作、電子出版物の提供、教育・文化・娯楽・スポーツ用ビデオの制作(映画・放送番組・広告用のものを除く)」に関し、商標権を有している。今のところ江戸しぐさが江戸時代に実在していたという事実は史料によって確認がされておらず、NPO法人江戸しぐさの理事長である越川禮子は江戸しぐさは口伝で受け継がれてきたものであるため、資料としては残っていないと述べている。また、明治政府が江戸しぐさの摘発を行い、さらに多数の江戸っ子を虐殺した、江戸しぐさを広めるための秘密結社が存在したといった歴史観を前提としている。そのため歴史的根拠のない「発明」であるとする歴史作家による批判や「空想」であるとする江戸文化研究家による指摘等、複数の批判や指摘がなされている(後述)。文献で確認できる限りで「江戸しぐさ」という語の初出は、1981年の読売新聞の「編集手帳」で紹介されたものであり、2004年、また翌2005年にも公共広告機構(現・ACジャパン)で江戸しぐさが取り上げられた。電通広告ジャーナリストの岡田芳郎が越川禮子の聞き書き記事を書いている。企業の研修や学校などにおける教育でも使用され、小学校の道徳の題材にも使われている。また、2012年(平成24年)度から、育鵬社が公民の教科書に取り入れた。江戸しぐさを推進する人々は、江戸しぐさを以下のように説明している。江戸しぐさは商売繁盛の秘伝であり、あまり公にされたものではなく、江戸商人の組織していた「江戸講」で口授されるものだった。しかし、江戸開城の時、「江戸講」のネットワークを恐れた新政府軍が江戸しぐさの伝承を失わせ、江戸しぐさの伝承者である江戸っ子たちを大虐殺した。その虐殺たるや凄まじいもので、ソンミ村虐殺、ウンデット・ニーの虐殺に匹敵するほどの血が流れたと越川禮子は述べている。また、この時に江戸商人は江戸しぐさについて書かれた古文書も全て焼却し、江戸の空を焦がしたという。勝海舟は生き残った江戸っ子数万を両国から武蔵、上総などに逃がし、彼らは「隠れ江戸っ子」として潜伏した。池田整治は、江戸しぐさ伝承者は、老若男女にかかわらず、わかった時点で新政府軍の武士たちに斬り殺され、維新以降もこの大殺戮は続いたと述べている。江戸しぐさを伝えていた種々の江戸講は国家総動員法で解散させられた。秘密結社として存続していた江戸講はGHQに認められ、江戸しぐさはニューヨーク五番街でも一世を風靡し、スターズ・アンド・ストライプス紙に掲載された(ただし、掲載年月日への言及がなく詳細不明)。江戸しぐさの教育組織である「江戸講」の長である江戸講元の子孫だったという小林和雄は、昭和に入ってから江戸しぐさを復興した。小林の父は外交官、母は米国企業の英文タイピストであった。彼は母がカナダのバンクーバーから帰国する途中の船中で生まれたが、愛人の子であったために世間をはばかり、母方の祖父に預けられた。そこで江戸しぐさによる教育を受けた。小林和雄は戦後の風俗の退廃を憂い、芝三光・うらしまたろうと称し、社会教育団体「江戸の良さを見なおす会」として江戸講を復活させた。戦後、柳田國男から取材の申し込みを受けたが断ったという。扇谷正造とは意気投合したが先方の急逝で取材は実現しなかった。芝 (小林)は読売新聞・東京新聞の読者投稿欄などで江戸しぐさの効用を説き、読売新聞編集委員村尾清一が自分のコラム「よみうり寸評」(1983年3月23日)で取り上げ、それを読んだ越川禮子が芝(小林)に弟子入りした。芝三光は弟子の越川禮子・和城伊勢に江戸しぐさを伝授した。1999年、芝の病没のあと、越川が門外不出の秘儀であった江戸しぐさをマスメディアに公開した。作家の原田実は、江戸しぐさは1980年代に芝三光によって「発明」された全く歴史的根拠のないものであると批判している。戦争によって「隠れ江戸っ子」が絶えてしまったとか、当時の資料は焼き捨てられたので記録がないとか、という理由で証明ができないという(大村益次郎の東下前の新政府軍は江戸の治安を維持する力さえ無く、逆に彰義隊士に殺害される事例が度々起こった、さらに、東叡山に赴き、彰義隊解散を説いた山岡鉄太郎の言葉を一蹴した覚王院義親は、彰義隊での強硬派であるにも拘わらず、「新政府軍による虐殺」について一言も触れていない)などと原田は、江戸しぐさの実態について疑問を呈している。また、原田は2014年(平成26年)に著書『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』でも、江戸しぐさに含まれる個々のマナーに考察を加えているが、やはり多くの江戸しぐさが、実際の江戸時代では不可能あるいは不必要であるとの自論を展開し、「捏造である可能性が高い」とコメントしている。同書の出版に際し原田は、江戸しぐさは来歴そのものが「明確な虚偽」で、歴史的考証にまったく耐えられない、芝三光の愚痴を江戸時代に仮託したフィクションであり、これを「結果的によいマナーが浸透すればいいじゃないか」と推進することは、形だけのマナーのために、倫理の根幹を破壊することになると主張、歴史的に正しい江戸文化に関する知識を普及させることと、過去に対する過剰に良い幻想を持たないことを推奨している。日本近世史研究者で、江戸時代の町人文化に通じている立正大学非常勤講師の高尾善希は、江戸しぐさを「とんでもない話」とした上で、史実のごとく一般に広まってしまったことに対し、学術の立場からの反省の意を表している。噺家の柳家三之助は、2014年(平成26年)9月12日に、Twitterにおいて「江戸しぐさなんてものがもしホントにあったら噺に出てこねえわけねえだろって、少し思ってた」と指摘した。『三省堂国語辞典』編集委員の飯間浩明は、2015年(平成27年)4月17日にTwitterにおいて、2012年頃『三省堂国語辞典』においても「江戸しぐさ」を項目として立てようとしたが、その主張に信頼性は薄いと判断し、見送りになったとコメントしている。なお、その当時においては、ウィキペディアの記事内容も、江戸しぐさについて肯定的であったという感想を述べている。江戸文化研究家で、法政大学総長の田中優子は、過去には江戸しぐさを肯定するような発言を行っていたが、2015年(平成27年)6月25日放送のTBSテレビ『NEWS23』において、江戸しぐさを「空想である」と否定した。新潟青陵大学大学院教授の碓井真史は、江戸しぐさは専門家から見ればあまりにも馬鹿げており、反論しても研究論文にも学問的業績にもならないこともあり、また学問的常識がなく都市伝説を信じ込んでいる人を納得させるのは大変であるため、2015年時点で学者による否定は、インタビューで「そんなことありませんね」と答える程度にとどまっており、作家(文明史家)の原田実のようなプロの研究者ではない人物が、使命感から虚偽性を暴く解説本を書いているというような状況であると述べている。2007年3月、東京都千代田区は「江戸しぐさを題材とした道徳教育資料集」を作成し、千代田区立全校で道徳教育を実施した。文部科学省の道徳教材において取り上げられていた江戸しぐさに関しては、担当した小学校高学年用チーム主査は「NPO法人江戸しぐさのホームページなどを参考にした」としていたが、後に同省教育課程課の課長補佐は「道徳教材はNPO法人の主張を参考にしていない。江戸しぐさが歴史的な事実だとは言っていない」と主張しており、改訂も検討している。育鵬社は、2016年度からは掲載しないとしている。

出典:wikipedia

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