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肥薩線列車退行事故

肥薩線列車退行事故(ひさつせんれっしゃたいこうじこ)は、第二次世界大戦終戦直後の1945年(昭和20年)8月22日に肥薩線で発生した、列車退行及び乗客轢死事故である。肥薩線吉松駅 - 真幸駅間の山神第二トンネル内において、蒸気機関車(D51形)牽引(もう1両のD51が後押し)の上り人吉方面行き列車が勾配を登り切れず停車。先頭の本務機はトンネルから出たものの、排煙の充満するトンネルの中で客車や後補機が立往生する事態となり、排煙を逃れようと線路に降りた乗客がトンネル内を歩いていたところ、同じように排煙から逃れようとブレーキを緩めて後退してきた列車に次々と轢かれ、53名が死亡した。事故列車は大勢の復員兵を乗せるため、一般客車5両の後に「代用」として無蓋貨車を8両連結していた。貨車には当然車内放送設備がないため車掌から注意を喚起できず、また後補機の乗員も排煙にむせ返って指示を出せない状態であった。そのため何が起きたか理解できなかった乗客は歩いて避難しようとしたが、狭い当該トンネルでは線路上を歩かざるを得ず、また当時はトンネル内に照明もなかったため、列車の後退に気づくのが遅れ、次々に轢かれてしまった。客車の屋根までも鈴なりの乗客という超満員の列車であった上、熱量の低い粗悪な石炭、整備が行き届かず疲弊した機関車という悪条件、狭く待避場所の少ないトンネル、乗客への案内の不備など複合要因による事故で、戦争による総合的な運行システムの疲弊と劣化が遠因にあった。山神第二トンネルの人吉側出口には1963年に慰霊碑が建立され、事故の翌年から毎年8月22日には慰霊行事が行われている。また、現在同区間を走る観光列車「いさぶろう・しんぺい」の車内では現場付近の案内放送でこの事故についての説明が行われている。また、慰霊碑付近で減速する場合もある。

出典:wikipedia

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