『押井版ルパン三世』(おしいばんルパンさんせい)は、押井守監督で1985年夏に『ルパン三世』劇場版第3作として公開される予定だったアニメ映画の通称である。テレビシリーズ『ルパン三世 PartIII』が放映される中で『ルパン三世』の劇場版第3作の製作が決定した。監督として、まず前作『ルパン三世 カリオストロの城』の監督であった宮崎駿に再度依頼がなされたが、宮崎は参加を拒否した。そこで宮崎の推薦により、当時宮崎の事務所にいた押井守が監督を務めることになった。監督就任は短期間であっさりと決まったという。その訳は、当時東京ムービー新社の社長であった藤岡豊が「『うる星やつら』」などの押井の評判を知っていたからである。公開時期まで決まった際、劇場で配布された制作中の東宝映画を紹介するリーフレットには、「世紀末、彼は時代を盗んだ」のキャッチコピーと共に押井監督ルパンが予告されている。しかし、押井が拘った脚本はプロデューサーの理解を得られず、結局押井は降板し、企画は頓挫した。当初、押井が声をかけた若手のアニメーターたちの多くは「何故、今更ルパン?」とあまり乗り気ではなかったが、押井は「今の時代だからこそ、ルパンが必要なのだから」と説得し参加を求めた。また、押井は『アニメージュ』1984年12月号から「映画『ルパン三世』制作おぼえがき」の連載を開始した。しかし、押井の脚本では「ルパンは存在しなかった」という結末が提示されており、子供も楽しめる娯楽作品であるべきと考える読売テレビと東宝のプロデューサーは、「訳が判らん」「理屈っぽい」と強固に反対した。別のストーリーを求められたが、押井守は『ルパン三世』をやるとしたら当初提示した案しか考えられないというスタンスだったため、これにより押井が『ルパン三世』を監督するという企画は潰えた。押井が脚本段階で降板したため、作画作業には入っておらず、集められたアニメーターは1カットも描かないまま解散した。この企画の頓挫によって、それまで組んで仕事をしていた何人かのスタッフを押井は失う結果となった。押井にとって自信があった企画だけに、しばらく立ち直れないくらいショックだったという。後に押井は『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の成功で調子に乗っていて、甘かったと回想している。押井守が半年を費やしたため、『ルパン三世 PartIII』のスタッフを中心とした新たなスタッフで残された短い制作期間の中、劇場作品を完成させた。それが『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』である。押井守の狙いは「建築や都市環境の細部を美術設定として克明に再現することで新たなアニメ表現を獲得すること」だけだったといい、そのために建築の勉強をし、資料集めをしていた。押井版ルパンで使われるはずだった様々な設定やモチーフは、後の『天使のたまご』『機動警察パトレイバー the Movie』などの押井作品に散りばめられることになる。押井いわく「攻殻でやっとルパンを吹っ切ることができた」という。2000年、押井に対してあらためて新作ルパンの監督のオファーがあり、このときは「好きにしていい」と言われたものの、押井は断った。その理由について問われると、本人は「主人公に腕毛が生えてるのが気に入らないから」とうそぶき、2008年には「今の時代にあんなキャラを成立させられない」と語った。2012年に公開されたアニメ映画『』は、当初は押井守が監督に予定されており、そのときのアイデアは天使の化石がおさめられた巨大な塔が東京に建造され、そこに主人公の島村ジョーが登っていくというもので、本作の構想の一部が流用されたものだった。構想の流用については、他にも以下のような例が挙げられる。
出典:wikipedia
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