アイゼナハー・モトーレンヴェルク(, 略称:)は、旧東ドイツで自動車製造を行っていた国営企業。所在地はテューリンゲン州アイゼナハ。BMW・アイゼナハ工場をベースとして1948年から1991年までの間活動した。東ドイツの代表的な乗用車であるヴァルトブルクを製造していた。BMWは1896年創業のアイゼナハ車両製作所を買収、BMW・アイゼナハ工場として1928年に自動車製造に参入していた。第二次世界大戦で1945年にナチス・ドイツが敗れると、BMW・アイゼナハ工場はソ連軍の占領統治下に入る。同年末、工場はBMW旧モデルの再生産を開始。1952年にはEMW社となり東ドイツの国営企業として活動を開始し、1953年にVEBアイゼナハ社となり、以後40年以上東欧諸国向けに自動車生産を行なう。第二次世界大戦後、アメリカ軍はテューリンゲン州をソ連軍に受け渡し、BMW・アイゼナハ工場は在独ソ連軍政府(SMAD)が所持することとなり、Sowjetische AG Maschinenbau Awtowelo, Werk BMW Eisenach(ソビエトAwtowelo会社アイゼナハBMW工場)となる。工場は6割が破壊されていた。ソ連が会社を保有したため、敗戦国企業のBMWは自身の商標権の主張ができなかった。この時期はBMW社自身が自動車生産を禁止されており、1945年から1951年のBMW車はそれ以前のBMWと同じアイゼナハ工場での生産ではあるが、生産主体はBMW自身ではない。1945年末から戦前の旧型BMWモデルの再生産を開始。"BMW・321"が戦後最初のモデルとなった。さらにフロントとテールがモデルチェンジされ"BMW 326"となる。この326はのちさらに改良され"BMW・340-2"(後に"EMW・340-2")として1955年まで生産される。その後"BMW/EMW・327"は505台生産された。1952年、ソ連はドイツ民主共和国(東ドイツ)に会社を譲渡。この時点で、ミュンヘンのBMWは商標、ロゴ、フロントグリルデザインの権利を主張できるようになり、自動車の生産も復活した。アイゼナハの工場は社名をアイゼナハー・モトーレンヴェルクに変える。これは、アイゼナハで作ったBMW車という意味だった。1951年からこの移行がおこなわれていたが、ロゴはBMWロゴとほとんど変わらないデザインのまま使われた。EMWはこの時期、F1にも参加している。1年後の1953年には再び社名を変更、VEBアウトモビールヴェルク・アイゼナハ (VEB Automobilwerk Eisenach: AWE) となった。同年、3気筒2サイクルエンジンを搭載した旧式のDKWモデル"IFA・F9"を製造。この時期には旧型のBMWモデルも1955年までは平行して生産された。1956年、"EMW・340-2"は25,000台以上が生産されのち終了。6気筒4サイクルエンジンの後継モデルがライプツィヒのモーターショーで一部公開されていたが、技術的に複雑すぎたことと追加投資もなされなかったため、生産されることはなかった。このため340シリーズ自体が終了する。1955年、ヴァルトブルク(Wartburg, タイプ・311、後に312)が市場投入される。F9と同じエンジン同じ技術で製作されたものだった。次いで1966年からタイプ・353が後継となる。技術的には4サイクルエンジンなど多くの改善がされたが実際には新モデルとして販売されることはなかった。唯一1988年からフォルクスワーゲンからライセンス生産された4サイクルエンジンが搭載されただけである。この会社からは他に"EMW・R 35"モーターサイクルが1955年から生産された。当初はリジッドフレームのR35/2だったが、のち簡単に製造できるR35/3となった。1990年、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)へのドイツ民主共和国併合(ドイツ再統一)に際し、工場はGM傘下のオペル社・アイゼナハ工場として再び生まれ変わった。生産工場: アイゼナハ工場、ハレ・ボディ工場、ドレスデン・ボディ工場製造年 1942-1955
出典:wikipedia
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