ポール・ルセサバギナ(Paul Rusesabagina, 1954年6月15日 - )は、ルワンダ出身の実業家。ルワンダの首都キガリのオテル・デ・ミル・コリン (仏語:Hôtel des mille collines) の副支配人の任にあった1994年、ルワンダ虐殺の中で1268人の人々をホテルに匿い救った行動によって、国際的に賞賛された。1954年6月15日、ルワンダ中南部のムラマ=ギタラマ(Murama-Gitarama)に農家の息子として生を受ける。父親はフツ、母親はツチであり、当時は父親の血統が受け継がれたためフツとされた。姓のルセサバギナはルワンダ語で「敵を追い払うもの」を意味し、名のポールはパウロに由来する。1975年から1978年までカメルーンで神学を学び、1979年にサベナ社に雇われ、アカゲラ国立公園内のホテル・アカゲラのフロントオフィス・マネージャーに就任する。ここで観光・ホテル・ケータリング産業を学び、1980年から1984年にかけてナイロビのケニア・ウタリー大学でホテル経営を学ぶ。1987年には後の妻になるタチアナ(Tatiana、ツチ)と結婚式で出会っている。その後再びサベナ社で働き始め、1984年10月から1993年11月までミル・コリン・ホテルの副総支配人を勤め、1992年には同じくサベナ社が経営するディプロマット・ホテル(Hôtel des Diplomates)の総支配人となった。首都キガリのオテル・デ・ミル・コリンの副支配人であった際、1994年3月に発生したフツによるツチ虐殺事件(ルワンダ虐殺)に遭遇。ルワンダ軍やインテラハムウェから、ツチやフツ穏健派などの1268人の人々をホテルに匿い救った。7月に一時的にホテルに戻り、1996年9月まで働いたが、新政府に近い人物がディプロマット・ホテルの管理者の地位を狙ったため身の危険を感じ、ベルギーに亡命した。現在、重量物運送会社を経営している。難民を助けた行動から、国際的に賞賛され、「アフリカのシンドラー」とも呼ばれている。そのときの出来事を元に映画『ホテル・ルワンダ』が制作された。映画では、ドン・チードルがルセサバギナ役を演じた。2005年にアメリカ合衆国大統領自由勲章を受勲。自伝 "An Ordinary Man" (Tom Zoellnerとの共著、ISBN 0670037524) を2006年4月に出版した。この自伝において、1959年の万聖節に起きた暴力事件に端を発した犯罪への「免責」の文化が、ジェノサイドの原動力となったという私見を述べた。また、国際連合ルワンダ支援団をはじめとする国連の対応への不満、虐殺容疑者に対する司法制度としてガチャチャを用いることへの疑問も書いている。
出典:wikipedia
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