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Atari 2600

Atari 2600とは、米国アタリ社が開発した家庭用ゲーム機である。それ以前のプログラム固定方式のゲーム機と異なるロムカートリッジによってゲームソフトを供給するプログラム内蔵方式のゲーム機として1977年に『Video Computer System』の名で発売され『Atari VCS』の通称で親しまれた。『ポン』にかわる家庭用ゲーム機として「ステラ」のコードネームで開発が開始された。資金難から1976年にノーラン・ブッシュネルはワーナー・コミュニケーションズにアタリ社の全株式を売却。翌1977年11月に「Video Computer System」の名で発売された。発売当初は、前年にフェアチャイルド社から発売された世界初のロムカセット式ゲーム機Video Entertainment System(後のチャンネルF)との競合もあり、その売り上げは芳しくなく、アタリとAtari 2600の生みの親であるブッシュネルが解任されるなどの事態にも至った。だがプログラム仕様を公開してサードパーティーによるゲームソフトの開発・販売を可能としたことによって、家庭用ゲーム機独自の市場を形成するに至り、当時としてはグラフィックやサウンド機能に優れたVCSは市場をほぼ独占。日本でブームとなった『スペースインベーダー』の移植版を1980年に発売して大ヒットとなった。日本ではエポック社から1979年に「カセットTVゲーム」の名称で輸入販売された。当時の販売価格57,300円。RF出力するチャンネルの切り替えが出来なかったため「1ch専用機」「2ch専用機」のバリエーションで販売された。前述のスペースインベーダーも、エポック社からの移植要請を受けてアタリ社が制作した物である。1982年には後継機となるAtari 5200が発売されたが、VCSもAtari 2600と改称した上で継続して販売された。しかし、1982年にはサードパーティによるゲームソフトの粗製濫造に加えて、コレコビジョンやエマーソン・アルカディアといった新しいゲーム機やコモドール64に代表される低価格パソコンとの競争にAtari 2600は晒されることになった。また、売上の増大に生産が追い付いていなかった前年10月にアタリ社が販売代理店に対し翌年分の一括発注を求めた結果、品切れを避けるために販売代理店が水増し発注を行い、その誤った需要予測に基づいて生産を行ったアタリ社は過剰在庫を抱えることとなった。1982年春に発売された『パックマン』のAtari 2600移植版カートリッジは当時稼働していた本体の数を数百万本も上回る数が生産された。クリスマス商戦に向けて発売された『E.T.』も売上以上に大量の売れ残りが発生し、翌年には『パックマン』とともにニューメキシコ州アラモゴード市の埋め立て地「ビデオゲームの墓場」に埋められることとなる。1982年の第4四半期から翌1983年の第1四半期にかけてアタリの売上は急落。これが発端となり、1985年までにAtari 2600のみならず米国家庭用ゲーム市場そのものが急速に衰退した(いわゆるアタリショック)。1984年、アタリ社の家庭用ゲーム部門はアタリコープとなり、1986年にAtari 5200の後継機Atari 7800と共にAtari 2600 Jrと呼ばれる廉価版を発売した。Atari 2600は業務用作品の移植の試みも多く、ローンチタイトルとなった9本の作品内の半数以上が業務用作品を元としており、その中にはポンも含まれていた。その後も『スペースインベーダー』や『パックマン』、『サーカス』などの有名ゲームが移植された。2010年代にはレトロゲーム愛好家によって自作ゲーム開発キットという形態をとり、専用のBASICコンパイラを配布し記録媒体にSDメモリーカードが使用出来るフラッシュカートリッジが販売されている。CPUにモステクノロジー社の6502のコスト削減バージョンである6507、入出力制御にメモリ兼用の6532 RIOT(RAM,Input,Output,Timerの略)を採用。グラフィック処理と音源の機能はジェイ・マイナーによって開発されたTelevision Interface Adaptor(以下 TIA)と呼ばれるワンチップに収められた。コントローラは、反射型ゲームで用いられたパドルコントローラやジョイスティックなど数種類が用意され、接続にD-sub 9ピン状の台形のコネクタが使用された。厳密に「規格」として定められていた訳ではないが、日本ではPC-6001で2ボタンと電源ピンを拡張し採用された他、NECが規格策定の初期に関わっていたMSX規格が、同一のピンアサインのコネクタを採用している。また、類似したピンアサインをシャープのX1が採用した。但し、X1の実装ではPSGの汎用I/Oが直接コネクタに出ているため、GNDの配置は同じものの電源ピンの位置も入出力信号となっている。ゲーム機としてのMSXなどの普及などにより、Windowsが国内で台頭するまで間、この拡張されたMSX相当のピンアサインのコントローラが国内ではデファクトスタンダードとなっていた。ゲーム機ではセガのSC-3000で同様にボタンが追加された仕様のコネクタが使用されており、拡張を重ねながらメガドライブまで使用されていたが、上記のPC-6000シリーズや、MSXとは拡張部分のピンアサインは別のものである。下記の様にATARI2600、MSX、X1、セガのゲームコンソールではインターフェイス側に電気的な互換性は無い。また、これらの互換性はLowになったピンの位置と意味が合致することによって維持されているため、実際のコントローラ側の実装ではスイッチが押下されたときに接続されるピンの差異などもあるため、特に電源を併用するようなコントローラでは注意が必要であり正式に製品が対応を謳っているコントローラを用いることが望ましい。尚、直接の互換性は無いものの、ピンを入れ替えるアダプタを用意することで、別の機種に用意されたものを使用するソフトウェアなども販売されている他、電池ボックスや、モードスイッチを装備することで、複数のコンソールに対応するジョイスティックも発売された。このように、厳密にはピンアサインとしては異なるものの、1ボタンのATARIコントローラが使えることから、これらのインターフェイスは「ATARI仕様準拠」とカタログに書かれていた。これらの端子は多くが汎用I/Oに接続される形になっていたこともあり、ソフトウェアの制御によって入力デバイス用のコネクタのみではなく、多ボタンの入力機器、マウス、通信ケーブル、MIDI機器の制御など、他の目的に使われることもあった。しかし、ホスト側の実装そのものは機種によって大きく異なり、制御可能な内容そのものも異なる上、これらの機器はソフトウェア側の対応を必要とするため、アタリ規格ではなく対象機種の専用品として販売されていた。コントローラデバイスの複雑化などにより、1990年代中頃からはゲーム機で採用されなくなった。また、Windowsではドライバも用意されず多くの場合においてATARI規格相当の端子が使用できなくなったことや、それらではPC/AT互換機のゲームポートがサポートされておりそちらが使われるようになっていった。更には、そのゲームポートもレガシーデバイスとして排除され、USB接続が主流になるとレトロゲーム以外では需要がなくなり次第にその姿を消した。 尚、FM TOWNSでは、通常同時に押されることの無い方向キーの上下でRUN、並びに、左右を同時に押下することで、SELECTの二つのボタンを標準で拡張しており、重複する方向キーと追加されたボタンは同時に正常に判別することが出来ない。 また、電波新聞社、シャープが販売したアナログスティックは、シリアル通信によって256段階の入力と、多ボタンの認識を可能にしている。 メガドライブでは6ボタンパッドもリリースされており、7番ピンを特定のタイミングで二度Highにする事によって、拡張部分の状態が返されるようにする形で認識ボタンの追加を実現している。

出典:wikipedia

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