『長州路』(ちょうしゅうじ)は、司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』の第1巻第5章。「週刊朝日」の1971年5月14日号から7月9日号に連載された。旅の時期は1970年(昭和45年)6月10日前後。山口県下関市から島根県益田市まで北九州空港→壇ノ浦(下関海峡、赤間神宮)→三田尻→吉見→湯田温泉→山口市(瑠璃光寺)→野坂峠→津和野→益田市(医光寺)この稿では、終始長州人論が展開されるため、行程というべきものはない。最後に、「さて、長州路へゆかねばならない。」と自らを紀行に誘っている。この稿も前置きが長く、なかなか紀行にならない。後半で壇之浦の阿弥陀寺(赤間宮)から長州路の旅がはじまる。この稿も周防国の歴史的な話題に終始する。この稿も「話がどうも街道から外れてゆき、“えんぜつ”になってしまう」と述懐。なかなか初夏の長州路の花鳥風月をたたえる旅にはならない。小倉 → 下関 → 山口(湯田温泉)この稿は1971年当時朝日新聞に連載中の『花神』に関連して奇兵隊の話題になる。山口 → 吉見 → 湯田(湯田温泉到着前に吉見で立ち寄ったドライブイン「奇兵隊」でコーヒーを飲む)この夜は、大雨の中、旅館から抜け出して瑠璃光寺を訪れる。翌朝は雨があがり、山口県庁舎(山口の政事堂)や井上馨が遭難した袖解橋を通る。徳佐 → 野坂峠 → 津和野 → 津和野町立郷土館 → 森鴎外旧居 → 益田(医光寺)律儀と怜悧を兼ね備えた長州人を探る旅の結びとして、司馬は吉田稔麿を選んだ。萩の松本村(ここを司馬が訪れたのは1965年11月で、薄らぐ記憶を頼りに執筆している。)
出典:wikipedia
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