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第44回阪神大賞典

第44回阪神大賞典(だい44かいはんしんだいしょうてん)は、1996年3月9日に阪神競馬場で施行された競馬競走である。ナリタブライアンとマヤノトップガンの2頭によるマッチレースが繰り広げられたことで、中央競馬史上の名勝負の1つに挙げられている。年齢は全て旧表記にて表記。ともにブライアンズタイム産駒でありJRA賞年度代表馬であるナリタブライアン(1994年度)とマヤノトップガン(1995年度)が出走。ナリタブライアンは前々年三冠を達成した折り紙付きのスターホースだが、前年は怪我の影響で春を棒に振ったうえに、復帰した秋以降精彩を欠き、競馬ファンは同馬がいつ復活するのかに興味を注いでいた。一方のマヤノトップガンは前年秋から頭角を現し、菊花賞・有馬記念とGIを連勝。当時最も勢いに乗っていた馬で、ナリタブライアンが王座に返り咲くには何としても同馬を破る必要があった。天皇賞・春での対戦前に前哨戦での激突となり、両馬の頂上決戦に全国の競馬ファンは固唾を呑んで注目した。出走頭数は10頭。上記のGI馬の2頭の他にも、この年の日経新春杯優勝馬ハギノリアルキング、前年の菊花賞で2着だったトウカイパレス、芝3000メートルの日本レコードを持つノーザンポラリス、笠松競馬場所属で前年の東海ダービー優勝馬のルイボスゴールドなどが顔をそろえたが、焦点は『ナリタブライアン復活なるか』ただ一点で、ダイジェスト用に収録していた関西テレビの杉本清の実況と映像ではレースの道中、杉本の指示でナリタブライアンを中心に映していた。なお、この年は土曜開催充実化が図られ、従来日曜開催であったいくつかの重賞競走が土曜日に移行したが、その中には阪神大賞典も含まれていた(翌日曜日のメインレースは報知杯4歳牝馬特別だった)。当日の阪神競馬場入場者数は、土曜日としては異例の59896名(JRA発表)。「これだけ注目度の高いレースをなぜ土曜に行なうのか」という声が、競馬ファンのみならず、競馬記者・予想家・評論家などからも多数聞かれた(当然のことながら、重賞日程は前年11月下旬には既に決定されているため、ナリタブライアンVSマヤノトップガンの対決となることは、当のJRAにも予想不可能であった)。そのためか翌年以降、阪神大賞典は現在に至るまで日曜開催となっている。スティールキャストが逃げ、スローペースでレースは展開。第3コーナーでマヤノトップガンがロングスパートをかけ先頭に立つと、道中マヤノトップガンをマークしていた武豊騎乗のナリタブライアンがすかさず追走を開始。2頭並んだところでノーザンポラリスがスパートし、3番手追走。第4コーナー手前で2頭が競り合う形となり、そのままゴールまで約400mにわたってマッチレースが繰り広げられたが、ナリタブライアンが頭差でマヤノトップガンを退けた。9馬身差の3着にルイボスゴールド。当レースはGIIであるにもかかわらず、しばしば中央競馬史上の名勝負の1つに挙げられる。だが、マヤノトップガンに騎乗した田原成貴はこのレースについて、「あくまでも天皇賞(春)の前哨戦であり、7,8分の仕上がりで叩きあったところで名勝負とはいえない。上がりだけのレース」としている(月刊「おもしろ競馬塾」田原成貴エッセイ記事より)。また別の記事では、「もしブライアンが本調子であれば、トップガンはスタンドまで吹っ飛ばされていたよ」と語っている。また競馬評論家の大川慶次郎は、ナリタブライアンの本領は騎手がゴーサインを出すと並外れた集中力を発揮して他の馬を大きく引き離す点にあり、それができなかったがために接戦となったレースを名勝負というのはナリタブライアンを知らない人だとしている。ナリタブライアンに騎乗した武豊はレース後、「ゴールした瞬間、鳥肌が立った」とコメントしたが、後日雑誌のインタビューで、「勝つには勝ったが、あれっという感じもした。あの馬の全盛期はあんなものではなかったし、本当のブライアンの姿をもう一度僕が呼び戻せればと思っていたのだが」という趣旨のコメントを残している。また、翌年のJRAの春のトライアルレースのCMでは本木雅弘がこのマッチレースを語るシーンが使われている。

出典:wikipedia

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