国中地方(くになかちほう)は、山梨県山梨郡、八代郡 、巨麻郡(巨摩郡)一帯を指す地域地域区分やその地域の通称名。県単位で言えば御坂山地と大菩薩嶺を境とした西半分の地域にあたり、甲府市を中心とする。郡内地方と共に山梨県の区域を形成する。気象庁による山梨県内の気象区分では、中西部と呼ばれている。国中地方の地域区分は峡中・峡北・峡西・峡東・峡南があり、広義のとしてはこの5つの地域をあわせて国中地方と呼ばれている。一方で富士川河谷にあたる峡南地域は甲府盆地と比べて文化などの面で若干の違いが見られるため、「河内(かわうち)」と呼んで区別することがある。この場合、県内は国中・河内・郡内の3地方に分けられ、狭義の国中地方は富士川河谷地域を除いた山梨県中西部となる。平成の大合併後に地域振興局が再編され、峡中・峡西地域を管轄する「峡中地域振興局」と峡北地域を管轄する「峡北地域振興局」が統合され「中北地域県民センター」となった。このため峡中・峡西・峡北の地域は新たに「中北地域(ちゅうほくちいき)」と呼ばれ、峡東地域・峡南地域とあわせて天気予報などでも使われ始めている。 平成の大合併により管轄する地域振興局が変更した地域もあることから、大合併前の市町村についても併記する。なお、上述の通り峡北・峡中・峡西の各地域は「中北地域」に括られることがあるが、ここでは統合前の振り分けで表記する。釜無川流域を西限に甲府盆地の西半分に位置する地域。北側は奥秩父山塊が連なるが、南側はほぼ平地である。四方を山に囲まれているためフェーン現象の影響を受けやすい。この一帯は「甲府広域市町村圏」となっており、位置的だけでなく経済的にも「峡(甲斐)の中央」である。「峡中」の地域呼称は江戸時代から見られ、荻生徂徠『峡中紀行』など本来は国中地方の内部呼称ではなく、甲斐国全域を指す地域呼称として用いられていた。明治4年の廃藩置県を経て、甲斐国の府県名は国中三郡の山梨郡に由来する「山梨県」となったが、明治初期には「山梨県」の府県名に抵抗があり自由民権運動における『峡中新報』や民権派政党名などに盛んに用いられ、郡内地方においても受け入れられていた。明治20年代には「峡中」の使用が減り県全体を指す地域呼称として「山梨」が用いられるようになり、現在はメディアなどを通じて国中地方における地域呼称として定着している。八ヶ岳を西端とし、甲府盆地の北西部に位置する地域。釜無川を挟んで南側に赤石山脈(南アルプス)、北側に奥秩父山塊がある。八ヶ岳周辺は山岳高原地であるため夏は涼しい一方、冬は「八ヶ岳おろし」という季節風が甲府盆地方面へ吹くため非常に寒く感じる。また比較的に天気が安定しており、年間日照時間が長い地域であることも知られる。戦国時代は馬産地として知られ、武田勝頼によって新府城が建てられたりもした。またバブル景気が到来すると清里高原などでリゾート開発が行なわれている。武川米など県内随一の米どころであるほか、ミネラルウォーターの水源が多く存在する。峡北地域から流れてきた釜無川流域の西側に位置する。西側に櫛形山地がありそこから釜無川に向けていくつもの川が流れており、これによってできた国内最大級の御勅使川扇状地をはじめ、いくつもの扇状地が連なっている。この扇状地を利用した果樹栽培が盛んで、一帯にはモモやスモモ、サクランボ畑が多く見られる。櫛形山地の西側には南アルプスがあり、そこに位置している旧芦安村は降雪が多いことから豪雪地帯に指定されている。古くは水害が発生しやすい地域であり、これが影響してか他の地域に比べ歴史的な建造物が少ない。一方で武田信玄による治水事業や戦後の開発および整備により水害の問題が解決されると瞬く間に発展し、近年は甲府都市圏のベッドタウンになっている。この地域は「峡西」以外にも「小笠原」や「こま野」などの呼称がある。前者は警察署、後者は農業協同組合などで使われているが、前者については市制執行後に市名にあわせた名前に変更されている。御坂山地(笹子峠)を東限に甲府盆地の東半分に位置する地域。北東から南西にかけて笛吹川が流れており、流域にある曽根丘陵には古墳や遺跡など縄文時代からヤマト王権頃までの遺構が多く見られることから峡中地域に甲斐源氏が台頭するまではこの一帯が山梨の中心部であったとされている。近年は石和温泉が湧き出したことなどから観光地としての整備が進んでいるほか、峡西地域同様扇状地が連なっているため、ブドウなどの果樹栽培が盛んである。峡東には3市が属しているが、かつての郡部の地理的条件から警察署や消防本部、農業協同組合などにおいて実質上2つに分断されている。笛吹川と釜無川が合流し、富士川となった流域および早川などその支流域にあたる地域。上述の通り文化の違いから「河内地方」として「国中地方」から分けることがある。富士川を中心に東側に天子山地、西側に赤石山脈と身延山地が連なっている。また太平洋に近いことから多雨であるほか、標高が低く比較的温暖であるため県内各地が雪に見舞われてもこの地域だけ雨の場合が多い。但し赤石山脈に面している早川町は例外で、標高が高いことが影響して降雪が多いことから豪雪地帯に指定されている。南部氏発祥の地や日蓮によって身延山が開かれるなど歴史は古く、中央本線が甲府盆地へ開通するまでは富士川水運によって甲府盆地と海を結ぶ重要な交通路でもあった。また、南部茶(日本茶)や富士川町のユズの栽培をはじめ、西嶋和紙や雨畑硯、六郷地区の印章、身延のゆばなど地場産業が活発な地域でもある。峡南広域行政組合を作り、一つの町で行うことの難しい消防・情報化などの広域的な行政を共同で行っている。農業協同組合においては「JAふじかわ」が峡南地域を管轄。また、峡南青年会議所は当該地域を活動範囲としている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。