大崎OSOL(おおさきオーソル、OSAKI OSOL)は、大崎電気工業の男子ハンドボールチームである。「OSOL(オーソル)」は、イタリア語で「地球の核」を意味する。本拠地は埼玉県入間郡三芳町。ウェアの基本カラーは、赤。黄色。特定シーズンでは黒を基調にしたものもあり。1960年に創部以来、日本リーグ3回、全日本総合12回、全日本実業団10連覇を含む15回、全日本社会人2回、国体21回の優勝を誇る。全国タイトルは計53回で、大同特殊鋼、湧永製薬に次ぐ多さである。1960年代までは日本ハンドボール界の盟主的存在として君臨していた。オーナーは日本ハンドボール協会の会長でもある。1970年代から1980年代は湧永製薬(ワクナガレオリック)、大同特殊鋼(大同特殊鋼フェニックス)に後塵を拝し、2部落ちするなどタイトルから遠ざかる低迷の時代が続いた。1980年代後半から復活するも1990年代には2部入れ替え戦の対象となるなど再び低迷。男子部よりもよい成績を収めていた女子部を休部して男子に力を集中するようになる。2000年代に入り三陽商会のハンドボール活動休止にともない岩本真典、中川善雄、永島英明といったトップクラスの選手とプロ契約を結び選手層を厚くして再びトップチームとなった。オーナーが日本ハンドボール協会の会長を兼ねていることもあり、日本人プレイヤーの育成に熱心で外国人選手による補強を行わず、日本人のみの選手構成である。プロ契約選手を持つことによって日本リーグにおいては高い水準を維持している。欧州のスター選手がいなくなった日本リーグではほとんどが元全日本・現全日本招集の経験者でありスター軍団とも言われるが、プロ契約選手と社員選手との温度差が感じられる場面もあった。全日本に招集される選手が多いためにチームとしての連携の練習が不足することもあり結果的に個人技に向わせるなど連携に課題があるとされていた。仕事場の敷地内に体育館・合宿所を持ち、練習時間のみならず資金面においても他の実業団・クラブチームと比較して恵まれた環境にある。そのために結果を出せなかったシーズンにおいては評論家からは名指しこそされていないが酷評されることもあった。アテネ五輪に向けての強化という中で日本リーグで連覇を続けていたホンダの運営規模の縮小によって始まった新たな盟主争いの中、将来を嘱望されていた宮﨑大輔の参加もあり、2004-05シーズンで全日本実業団、国民体育大会、さらにチーム初の日本リーグ制覇を合わせ「3冠」を達成。このシーズンに4冠を達成出来なかったのは全日本総合の決勝戦、対湧永製薬戦において悪夢のような敗戦があったからである。その後、韓国のエース白元喆を擁する大同特殊鋼のリーグ連覇、躍進の前に競り負けることも多く、冠は白が出場できない国体に限定されるような状況になった。2009-2010年には、エースとして君臨していた宮崎大輔のスペインリーグへの移籍、首藤監督から岩本監督への移行による采配の変化、HONDAの横地・エストニアからの吉田・韓国から日本リーグに復帰した豊田とプロ契約によって受け入れることなどにより戦術・選手層の幅が広がった。若手選手の積極的な活用などを行い日本リーグの開幕戦など順調な滑り出しであったが、国体では六連覇どころか四位に甘んじるにとどまらず、日本リーグでも五位となりプレーオフ進出を阻まれ無冠になるなど、新監督にとっては屈辱的なシーズンとなった。2010-2011年は、創立50周年という節目の年であり、宮崎大輔がスペインリーグから復帰、新人ながら全日本候補選手が複数加わるなどハンドボールにとっての当たり年になる時期に即戦力が加わり新チーム一丸となり再び4冠を目指した。監督もこれまでのクールな采配ではなく、コート上で熱くなり何度も警告を受けるような指導が見られるなど、雰囲気も一新。宮崎が参加できなかった国体こそ2位に甘んじたが、実業団、総合のニ冠を達成。日本リーグについては首位で終了しプレーオフの結果待ちとなったが、プレーオフ前日の3月11日に東日本大震災が起こったため大会が延期・中止となり、リーグ成績が日本リーグの成績となり、三冠を達成した。2013~2014年シーズン現在と近年の出場・受賞番号は引退時の背番号
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。