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松齢橋

松齢橋(しょうれいばし)は、阿武隈川にかかる橋で、福島県道308号山口渡利線を通す。北岸は福島県福島市舟場町、南岸は同市渡利字舟場。もともとこの地は福島城城下町や奥州街道と、川俣街道や中村街道とを結節する地点であり、「信夫の渡し」という渡し船が存在し、近世は塩の供給路として重用されていた。明治4年(1871年)7月、阿武隈川の増水により渡し船の乗客全員が川に投げ出され、内15人が死亡する水難事故が発生し、以後荒天時には船の運行が取りやめられ川の行き来ができなくなり、利用者は不便を強いられることとなった。そこで、犠牲者の多かった渡り舟の代わりに架橋するよう、市民らが当時の県令である三島通庸に嘆願し、1883年(明治16年)、総工費7000円(当時)をかけ、15隻の船を利用して浮き船の橋が架けられ、三島により「松齢橋」と名付けられた。川の両岸に建てた4本の柱に鉄線を渡し、舟を固定しその上に渡り板を敷いた構造で、川の水量により板面が上下し流されないように造られた。この橋の建造を記念して近くにある七社宮神社に石碑が建てられ、現在もその姿を残している。有料の賃橋として運営され、橋賃は人一人1銭、人力車2銭、1頭曳馬牛車4銭、自転車2銭であったという。しかし明治40年(1907年)8月の台風により流出した。翌年に木造の橋が架けられたが、明治43年(1909年)8月に再度流出、その翌年に再び浮き舟橋として架橋されるが大正2年(1911年)8月に三度流出してしまった。そのため鉄製の永久橋を望む声が高まる。この橋が通る福島から岡山村山口(現在の福島市岡山)までの相馬街道を県道として指定し(現在の福島県道308号山口渡利線の前身である)、また渡利浄水場からの導水管を松齢橋を利用し福島市内へ通すための上水道敷設認可を大正10年(1919年)に得た上で鉄橋化の条件が整い、その後、1925年(大正14年)5月に、木橋の時よりも100mほど上流方に現在の橋となる4代目の松齢橋が架けられた。全長175.8メートル、幅5.5メートルの4連下路ボーストリングプラットトラス橋で、総工費は当時の価格で289,830円である。かつては歩行者と自動車が行き来するのに苦労していたが、隣に国道4号の大仏橋が架けられたことにより福島市街地から市内渡利に向かう一方通行となった。戦前に作られた橋が、代替橋が架けられても壊されなかったのは珍しく、凝った意匠の街灯等、福島のランドマークのひとつになっている。北側で国道4号から分岐(自動車は国道4号上り線からのみ進入できる)、南側で福島県道309号岡部渡利線と交差する。(上流) 大仏橋 - 松齢橋 - 渡利大橋 (下流)

出典:wikipedia

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