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ダンツシアトル

ダンツシアトルとは、アメリカ産まれの日本の競走馬である。父は無敗のアメリカ三冠馬Seattle Slew、祖母にCCAオークス(アメリカGI)勝ち馬Marshua、半姉にサンタラリ賞(フランスG1)勝ちのSmuggly、イタリアオークス(イタリアG1)2着のAslがいる良血馬。バレッツセールで32万5000ドルで落札され、日本へと輸入された外国産馬である。※馬齢は旧表記で統一。ダンツシアトルがデビューしたのは1992年10月の東京での新馬戦。生まれつき脚が外向していたため強い調教が積めず、この時期のデビューには懐疑的な声もあったが、4馬身差で勝利した。次に出走した赤松賞(500万下)でも勝利を収め、オープン入りしたが、その矢先に骨折が判明し、長期休養に入った。ダンツシアトルが復帰したのは1993年の9月だった。初戦の苗場特別(900万下)は4着だったが、続く浦安特別(900万下)を快勝。この後、ダンツシアトルはウェルカムステークス(1500万下)も勝ち、遂にオープン馬になった。ダンツシアトルが重賞に初挑戦したのは年が明けて古馬になった1994年1月の日経新春杯だった。4番人気に推されたが、直線で失速し7着に敗れた。その後、すばるステークス8着、バレンタインステークス3着とオープン特別を2戦した後、左前脚に屈腱炎を発症し、ふたたび長期休養を強いられた。その間にクラスも準オープンに降級した。ダンツシアトルの復帰戦は1995年3月の道頓堀ステークス(1500万下)だった。長期休養明けだっただけに単勝は12番人気と低評価だったが快勝し、オープン馬に復帰した。その後、ダンツシアトルは陽春ステークス(オープン特別)で3着(致命的な不利があった)、オーストラリアトロフィー(オープン特別)1着を経て、京阪杯に出走した。安田記念で除外となったため、このレースに出走したダンツシアトルはオークス馬チョウカイキャロルに1馬身半差をつけて勝ち、初重賞制覇を果たした。遂に重賞ウイナーとなったダンツシアトルは次走に宝塚記念を選択、これがGI初挑戦となった。本命馬不在の混戦の中、2番人気に支持されたダンツシアトルは同じシアトルスルーを父に持つタイキブリザードをクビ差抑えてGI初勝利を挙げた。宝塚記念後、ダンツシアトルはジャパンカップへ向けて調整していたが、その中途で屈腱炎が再発し再び休養に入った。レコード決着となった宝塚記念で激走した反動で屈腱炎が再発したのだろう、と当時噂されたが、実際のところ原因は未だもって分かっていない。結局、ダンツシアトルはこの屈腱炎が原因で復帰することができず、1997年1月に引退。種牡馬となった。ダンツシアトルは日本中央競馬会 (JRA) に種牡馬として購入され、日本軽種馬協会へと寄贈された。2006年、2007年は九州種馬場で、2008年は那須種馬場で、2009年は東京大学大学院農学生命科学研究科付属牧場で繋養され、現在は再び九州種馬場で繋養されている。血統的には申し分ないのだが、シアトルスルーから続く父系血統が日本ではそれほど活躍しておらず(ダンツシアトルと同じ父を持つタイキブリザードも種牡馬としては成功しなかった)、種付け数がそれほど多くない(ダンツシアトルの種付け数は毎年10頭前後)こともあり、成績は伸びていない。中央競馬ではオープン勝ち馬を2頭出したものの、重賞勝ちに届くような活躍馬は今のところ出ていない。祖母Mashuaの曾孫にハートレイク(1995年安田記念GI勝ち)がいる。

出典:wikipedia

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