金刃 憲人(かねと のりひと、1984年4月10日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルス所属のプロ野球選手(投手)。兵庫県尼崎市出身。在日韓国人三世で、大学3年のときに日本へ帰化した。尼崎市立園和北小学校1年時に軟式野球の「園和北フレンズ」に入団し4年生でボーイズリーグ「兵庫尼崎」に移籍、6年時に全国優勝。尼崎市立園田中学校時代はボーイズリーグ「兵庫尼崎」に在籍。中学の1年先輩には後にプロでチームメイトとなる野間口貴彦がいた。市立尼崎高校進学後は2年冬に甲子園未出場ながら高校全日本台湾遠征メンバーに選出され、MVPを受賞。3年夏の兵庫大会では準々決勝でグエン・トラン・フォク・アンを擁する東洋大姫路高校を完封するまで全て2失点以内に抑えたが、準決勝で坂口智隆を擁する神戸国際大附高校に9回裏2死から5点差を逆転されてのサヨナラ負けを喫してベスト4。1学年後輩には宮西尚生がいる。高校卒業後は関西学生野球連盟所属の立命館大学へ進学し、1年秋の京都大学戦でリリーフとして秋の田中総司以来となる1年生でのリーグ戦初登板。その後、関西大学戦で初先発し、最終節の同志社大学戦で1失点完投勝利を挙げた。2年時には春季リーグ戦で優勝して第53回全日本大学野球選手権大会に出場し、初戦で徳山大学に敗れたものの最速144km/hを記録。3年秋には京大戦でノーヒットノーランを達成した。4年時には春秋連続でリーグ最多奪三振を記録し、秋は最優秀投手とベストナインにも選ばれた。の大学・社会人ドラフトにおいて希望入団枠で読売ジャイアンツに入団。背番号は「28」。に、紅白戦・オープン戦で結果を残したことや、上原浩治・ジェレミー・パウエルが不調で出遅れたことで開幕から先発ローテーションに入った。前半戦は落ちついた投球で、4月11日の対広島東洋カープ戦でプロ初勝利を挙げると、5月16日の対横浜ベイスターズ戦まで4連勝を飾るなど、前半戦で7勝を挙げる活躍を見せた。これによって、高橋尚成・内海哲也と共に「先発左腕投手三本柱」と呼ばれるなど、新人王の有力候補と言われたが、7月中旬以降から疲労が原因の故障も重なって未勝利に終わり、20被本塁打(リーグ4位)、6暴投(同8位)を記録して、新人王獲得はならなかった。は8試合に登板したが、制球難から自滅する試合が目立ち、防御率も8点近くまで悪化、多くの四球を与えるなど精彩を欠いた。イースタン・リーグでは13試合に登板して8勝(2敗)・防御率1.66を記録し、最多勝(木谷寿巳・由規と同数)、最優秀防御率、最高勝率を獲得した。もイースタン・リーグで19試合に登板、5勝4敗、防御率1.80の成績を挙げた。同年シーズン終盤に昇格すると、中継ぎで5試合を無失点と結果を出し、クライマックスシリーズや日本シリーズでも中継ぎで登板した。山口鉄也の先発転向を受けて左の中継ぎとして期待されたが、投球フォームの変更が裏目に出て、防御率5.03と精彩を欠いた。に3年ぶりに先発復帰すると、5月12日の対横浜ベイスターズ戦で、シーズン初勝利を2007年以来4年ぶりとなる先発勝利で挙げた。一軍登板がなかったシーズン終了後の11月13日、横川史学、井野卓との交換トレードで仲澤広基とともに東北楽天ゴールデンイーグルスへの移籍が発表された。はリリーフとして主に勝ち試合での登板が主となるも、自己最多の39試合に登板、防御率も自己最高となる1.85をマークした。9月3日の対埼玉西武ライオンズ戦では788日ぶりとなる移籍後初勝利も挙げ、移籍1年目にして楽天の初優勝に貢献した。は4月2日に一軍に上がり、左のワンポイントで起用されるも、被安打、四死球がほぼイニングを上回るという不安定なピッチングが続く。5月30日に試合中のブルペンでの投球練習中に背中を痛め、翌日一軍を抹消。その後は僅か1試合のみ一軍で登板するだけとなった。6月11日の広島東洋カープ戦にて史上39人目となる1球勝利を達成。2週間後の6月25日にも福岡ソフトバンクホークス戦でNPB史上初となる通算2度目の1球勝利を達成。先発を務めていた大学時代からプロ入り当初は、最速151km/hの速球(プロ入り後の最速は148km/h)、2種類(縦・横)のスライダーとカット・ファスト・ボール、緩急を付けるためのパームボールを軸に、小さく落ちるフォークボール、シュートを投げる。中継ぎ起用が中心となってからは、投球フォームをトルネード投法に改造したことで、スライダーの変化量と切れが向上した。2016年の初登板より、サイドスローへと転向した。登場曲▪「バンバンッ!!」 ジャニーズWEST(2016年‐)
出典:wikipedia
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