竹田 恆和(たけだ つねかず、1947年(昭和22年)11月1日 - )は、旧皇族竹田宮恒徳王の三男。称号 (現学位)は政治学士。日本オリンピック委員会(JOC)会長(8期)。国際オリンピック委員会委員。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事。国際馬術連盟名誉副会長(終身)、日本馬術連盟副会長。ミュンヘンオリンピック・モントリオールオリンピック馬術日本代表。旅行会社のエルティーケーライゼビューロージャパン株式会社(東京都知事登録第3-4798号)代表取締役社長。東京都出身。今上天皇のはとこにあたり、恒徳王妃光子の腹にいた時は家族は皇族であったが父の恒徳王が皇籍離脱を行ったのは1947年(昭和22年)10月14日で、恒和はその18日後に誕生したため戦前生まれの4人の兄姉と違って恒和が皇族であった時期はない。慶應義塾幼稚舎より慶應義塾に学び、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業する。1972年(昭和47年)のミュンヘンオリンピックに日本代表として馬術の障害飛越競技に出場、乗馬はジョセフィンで、個人42位、団体16位であった。1974年(昭和49年)10月、茨城の国体大会会場に向かう途中に茨城県内で自動車事故を起こし事故に遭った22歳の女性が亡くなった。遺族に補償することで決着がついた。1976年(昭和51年)にはモントリオールオリンピックに出場、乗馬はフィンク、個人39位、団体13位の記録を残した。ロサンゼルスオリンピック (1984年) 日本選手団コーチ、バルセロナオリンピック日本選手団監督、シドニーオリンピック日本選手団本部役員(広報担当)、ソウルオリンピック日本選手団コーチ。2001年(平成13年)に日本オリンピック委員会(JOC)会長に就任した。2002年のソルトレイクシティオリンピックでは日本選手団団長を務め、2003年(平成15年)、2005年(平成17年)、2007年(平成19年)、2009年(平成21年)、2011年(平成23年)3月、2011年(平成23年)6月、2013年(平成25年)6月にJOC会長に再任され現在8期目。また日本オリンピアンズ協会の名誉会長も務めている。2012年(平成24年)3月に国際オリンピック委員会の理事会においてIOC委員への推薦が決まり、7月26日のIOC総会にて正式に委員に任命された。2013年(平成25年)東京招致委員会委員長として地道なロビー活動を続け臨んだ国際オリンピック委員会が9月7日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで総会を開き、2020年夏季五輪・パラリンピックの開催都市に東京が選ばれた。東京では1964年以来56年ぶり2回目の五輪開催となった。1972年札幌、1998年長野の冬季五輪を含めれば、日本で4回目の五輪開催となる。2014年9月29日、2022年冬季オリンピックの立候補都市調査する評価委員会のメンバーに2018年冬季オリンピックに続いて選ばれた。2013年9月10日、韓国オリンピック委員会の金正幸会長と会談し「(平昌、東京と五輪が続くことを念頭に)協力していこうと話をしました。(政治的には)難しい時代ですが、スポーツはこれまでもいい関係を築けているでしょう」と述べたことを明らかにした。この件で批判を浴びていることに関して息子である竹田恒泰はニコニコ生放送で「一種の社交辞令であり、父にはそんな噂されている経済支援の権限はございません」と述べている。しかし2014年12月7日、平昌オリンピックのそり競技が、施設費用の捻出が困難であることを理由に日本の施設で行うとの報道があると竹田会長は「正式に要請があれば前向きに協力していくつもりです」と積極姿勢を示した。
出典:wikipedia
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