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高野公男

高野 公男(たかの きみお、1930年2月6日 - 1956年9月8日)は日本の作詞家である。本名は高野 吉郎(-きちろう)。茨城県西茨城郡北山内村(現・笠間市大郷戸)出身。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)中退。大学在学時に作曲家の船村徹と出会い、作詞家活動を開始。当初はビクターレコード専属の作詞家としてデビューしたもののこれといったヒット曲もなく、鳴かず飛ばずの状態が続いたがもう後がないと思って売り込みに行ったキングレコードで春日八郎を担当していたスタッフの目にとまり、春日の歌唱による『別れの一本杉』が大ヒットして一躍名の知られる作詞家となった。その後コロムビア専属となっても、船村とのコンビで数々のヒット曲を生み出す。高度経済成長時代の当時、田舎のにおいが感じられる公男の詞による曲は集団就職などで都会に出てきた若者たちの心をとらえた。しかし1955年、『別れの-』のヒットから間もなく公男は肺結核に侵され翌年9月8日、国立水戸病院で死去、26歳没。後に彼の生涯は松竹から『別れの一本杉』という題名で映画化された。一、
泣けた 泣けた
こらえきれずに 泣けたっけ
あのと別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた
一本杉の 石の地蔵さんのよ
村はずれ
二、
遠い 遠い
想い出しても 遠い空
必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云ったひと
りんごのような 赤いほっぺたのよ
あのなみだ
三、
呼んで 呼んで
そっと月夜にゃ 呼んでみた
嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている
あのはいくつ とうに二十はたちはよ
過ぎたろに

出典:wikipedia

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