七ヶ浜町(しちがはままち)は、宮城県中部の太平洋沿岸に位置する町である。町域は、日本三景・松島の南部を形成している。宮城県の中部に位置し、松島丘陵が仙台湾に半島状に海に突き出した形になっている七ヶ浜半島を町域としている。この半島は江戸時代、基部を横断するかたちで貞山運河が造られ、それによって島のような状態となっている。山として韮山、また湖沼には阿川沼がある。七ヶ浜町は東北地方の市町村の中で最小の面積である。気候は比較的温暖で、寒暖の差が少ない。キャッチフレーズは、「うみ・ひと・まち 七ヶ浜」。2010年国勢調査において昼夜間人口比率が65.0%であり、日本の市区町村の中では最も低い値であった。海沿いに7つの集落があったことから、「七ヶ浜」と名づけられた。平成27年9月11日現在当町全域を担当する集配局は塩竈市の塩釜郵便局となる。1972年、七ヶ浜町が策定した長期基本構想ではニュータウン造成計画が主軸と据えられた。そして、町は造成にあたって民間企業との共同開発方式をとる決断に至り、文化振興や町づくりの面で前向きに取り組んでいた西武流通グループ傘下の西武都市開発(のちの西洋環境開発)がパートナー企業として選定された。しかし、仙台圏における宅地供給は長期的には過剰とみられていたほか、開発地の市街化区域への編入も未定であり、さらに町が仙台市から遥か遠方に位置するとみなされていたことなどから開発の推進は難渋を極めた。そこで西武都市開発は従来の宅地開発にはない新たな構想として、オランダの都市開発に採用されていたボンエルフを導入すること、さらに歩行者専用の緑道を設けること、加えて開発地区をなだらかな南面傾斜として植栽し、区域全体を公園とするなどのプランを提示した。これによって、77年7月には市街化区域への編入も決定した。だがボンエルフ導入は既存の法体系と矛盾する為、78年春には開発申請が止められた。しかしながら、西武都市開発担当者や当時の赤間今雄町長が、宮城県や建設省に足繁く出向きボンエルフの必要性を説いたことが奏功し、78年12月には開発許可が下り、79年5月着工。80年9月には第一期販売が開始され、即日完売した。この七ヶ浜ニュータウン汐見台のボンエルフ計画は、1983年4月には国際交通安全学会賞を受賞したほか、その後の国内のニュータウン計画でコミュニティ道路が採用される端緒となった。町内に鉄道はなく、隣接する多賀城市のJR東日本仙石線下馬駅または多賀城駅よりバスを利用する。2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本太平洋沖地震では、津波により町の面積の約4分の1が浸水した。注釈出典
出典:wikipedia
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