大宮駅(おおみやえき)は、埼玉県さいたま市大宮区錦町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東武鉄道・埼玉新都市交通の駅である。JRは新幹線・在来線ともに東北地方と信越地方を結ぶ路線の分岐点に位置する。東武野田線(東武アーバンパークライン)や埼玉新都市交通・伊奈線(ニューシャトル)の路線を合わせると14の路線が乗り入れる埼玉県最大のターミナル駅である。新幹線、在来線共に全ての営業列車が停車する。JRやJTB時刻表の巻頭索引地図において、埼玉県及びさいたま市の中心駅は浦和駅であり、さいたま市の中心駅にはなっていないが、さいたま市の合併前は、旧・大宮市の中心駅として表記されていた。当駅周辺にはJR東日本大宮総合車両センター・日本貨物鉄道(JR貨物)大宮車両所(旧・大宮工場)をはじめとして、日本国有鉄道(国鉄)時代から数多くの鉄道施設が立地し、駅周辺は「鉄道の町」として発展した。日本鉄道によって、1883年に東京から北へ向かう初の鉄道である上野 - 熊谷間の路線が開業した時、県庁所在地である浦和駅の次の駅は上尾駅であって、大宮に駅は設けられなかった。開業当時大宮宿には243戸の家しかなかったことや、当時としては駅を造ると駅間距離が短くなってしまう(当時の機関車は牽引力が低かったため、短い間隔での駅設置はしないことが基本だった)ことが原因であった。しかし、白井助七(後に大宮町長)ら地元有志は町のこれ以上の衰退を危惧して、駅の敷地のために土地を提供すると提示して、駅の誘致運動を始めた。白井の尽力を記念して、さいたま市民会館おおみやに隣接する児童公園・山丸公園には白井を顕彰する記念碑と蒸気機関車C12 29号機が置かれ、大宮ソニックシティ前の鐘塚公園には白井の胸像が設置されている。上野駅から青森駅へ向かう現在の東北本線を建設する際に、高崎駅・前橋駅へ向かう路線のどこから分岐させるかが問題になった。浦和・大宮・熊谷の3案があった。熊谷案は当時最大の輸出品目である繊維産業の中心地である桐生・足利を経由するなどといった理由で具体的検討がなされた。浦和分岐案は、経由する岩槻の住民が鉄道忌避を起こした。アメリカ人技師のクロフォードは宇都宮への最短経路となる大宮経由で建設すべしといった意見を出した。最終的には井上勝の決断によって大宮はその起点となる地として、駅が設けられることになった。1894年には白井が提供した土地を基に駅の北に隣接して大宮工場(現:大宮総合車両センター・大宮車両所)が設置され、さらに日本の重要幹線の分岐駅という交通の要衝であり、以後大宮は「鉄道の町」として栄えるようになった。当時は近隣住民の長男は家業の農業を継ぎ、次男以下が大宮工場に勤務するのが珍しくなかった。また、後年には鉄道出身者から大宮市議会議員を多数輩出しており、大宮と鉄道は密接に関係している。駅の東西の往来は、昭和中期までは駅北側にある国道16号(現・埼玉県道2号さいたま春日部線)の跨線橋・大栄橋を渡るか、入場券を購入して改札を通る必要があった。そこで、住民の陳情もあって1968年に駅の真下に地下道が設置され、歩行者と自転車は無料で駅の東西の往来が可能となったが、地下道にホームレスが住み着き、放尿による悪臭問題等の新たな環境問題が起こり、1981年に新幹線建設工事に伴う駅舎の大改装によって中央自由通路が設置されたために地下道は廃止された。当駅にはJR東日本・東武鉄道・埼玉新都市交通の3事業者が乗り入れている。埼京線・川越線以外のJR在来線と東武野田線(東武アーバンパークライン)のプラットホームが地上に並び、その上に乗り換え通路を配置する橋上駅の構造で、地上2階に埼玉新都市交通(ニューシャトル)のりば、地上3階にJR新幹線のりば、地下1階にJR埼京線・川越線のりばがある。乗り換えコンコースは中央自由通路を挟んで南北にあり、それぞれ商業施設が設置されている。鉄道会社相互の連絡改札口はなく、乗り換えには一度改札の外に出る必要がある。また、JRの南北コンコース間の直接の行き来は不可能で、一度ホームに降りて移動しなければならない。中央自由通路は駅ビル「ルミネ」と一体化しており、また、みどりの窓口とびゅうプラザを一体化した窓口の他、商業施設が通路沿いに設置され、通路中央には観光案内所を兼ねたインフォメーションセンターがある。中央改札(南北)前には駅開業100周年と埼京線開業記念として日本交通文化協会の発注により伊藤隆道が制作した金属製の大型オブジェ「行きかう・線」があり、公募によって命名された「まめの木」の愛称で呼ばれ、主要な待ち合わせ場所として利用されている。駅ナカ商業施設として、南側にはエキュート大宮、北側にはDila大宮がある。新幹線のりばが地上3階の高架上、在来線は地平と新幹線直下の地下にあり、隣接して大宮総合車両センターがあることから、地平に多数の側線を持っている。コンコース及び改札口は地上2階にあり、東西に伸びる中央自由通路を中心として南北に分かれている。中央自由通路に面する中央改札(北)と中央改札(南)、西口側から南コンコースにつながる南改札と北コンコースにつながる北改札がある。在来線の基本は宇都宮線(東北本線)の上下線の間に高崎線の上下線を挟み込む形で、駅の北側で宇都宮線下り線が高崎線の上下線をまたぐ。宇都宮線には大宮総合車両センター東大宮センターへの出入庫線(単線)が付随しており、土呂駅 - 東大宮駅の間まで線路が並ぶ。新宿・武蔵野線方面から来た列車は、11番線から出入庫線に入り、東大宮センターまで回送されて折り返す。この出入庫線は駅の南側では東北貨物線となっており、湘南新宿ラインなどの列車が走る。東北貨物線の上り方面は、東北列車線(宇都宮線)と高崎線の間の5番線を基準として、東北旅客線上り線と高崎線上り線の間を南に進み、高崎線の上り線をくぐって、大宮操車場跡である貨物側線群に出る。貨物側線群の南側には武蔵野線との間を結ぶ貨物支線の複線が、トンネルで東北貨物線の上下線間に挟まれている。東北旅客線・高崎線の上り線はさいたま新都心駅の手前で合流して1本になる。一方、下り線は旅客線の線路が高崎線上りに併走して8・9番線に至るのに対し、貨物線は貨物側線群をはさんで反対側を走り、少し離れたまま貨物列車は10番線に、旅客列車は11番線に入線する。10番線はそのまま出入庫線となり、車両センターへ至る。11番線の線路は本来は川越線が使用していたものであり、現在も川越線に接続している。東北・上越新幹線の高架をくぐる地点で分岐する。上り列車が当駅で折り返し、宇都宮・高崎方面の下り列車となる場合は、両線とも7番線を用いる。中線である7番線の南側に引き上げ線が2本設置されている。高崎線の線路・ホームを挟み込むように宇都宮線の線路・ホームが位置している構造上、高崎方面からの列車は7番線を利用して大宮で折り返すことが容易な構造になっており、一方、宇都宮線の宇都宮方面からの列車が当駅で折り返す時は、ポイントをいくつか渡り、高崎線と平面交差して7番線に入る。大宮折り返し運用は2016年現在、早朝6時台の宇都宮行き・深夜23時台の当駅止まりの1往復のみ使用している。それ以外に上野・東京方面が長時間不通となった場合に運行を当駅で打ち切る形で運行され、7番線のみの折り返しが運行本数上、難しい場合に引き上げ線が用いられることがある(新宿方面のみの不通やダイヤ乱れによる高崎線下り列車の融通のための上り列車の数本程度の打ち切りは基本的に7番線へ到着して、そのまま折り返し始発列車となっており、引き上げ線は用いない)。かつては大宮総合車両センターで車両の解体が実施されていたということもあり、当駅まで廃車回送列車が設定されていた。京浜東北線(電車線)は宇都宮線の東側にあり、配線は単純な複線の行き止まりで、南側に折返し用の両渡り線がある。電車はホームでの折返しで、引き上げ線はない。夜間滞泊が設定されている。その他、両渡り線のさらに東京寄りに宇都宮線の3・4番線に連絡するポイントがある。埼京線・川越線は地下であり20・21番線が上下線の本線、19・22番線が側線で、上下線ともすべての線路で折返しができる。なお、全てホームでの折返しで引き上げ線はない。埼京線側は駅の南すぐそばで高架となり、さいたまスーパーアリーナのすぐそばまで新幹線の真下を走る二層高架、北与野駅の北側で新幹線の横に取り付く。北側は地下を走行する区間が少々長く、鉄道博物館の横で地上に出る。上記のとおり、新幹線の高架をくぐる地点で11・12番線につながる線路が分岐する。新幹線は高架で、南側は複線、北側は複々線に分岐する。北から来た列車は当駅で折返しが可能な構造となっている。この折り返し設備を使った東北・北陸新幹線の直通運転も可能で、実際に2016年11月には東北新幹線(仙台方面)と北陸新幹線(金沢方面)を直通する新幹線が営業運転される。当駅から東北・上越方面の分岐点までの複々線部分に線路1線分の空間が何箇所か点在するが、これは建設当時に現鉄道博物館付近に留置線を設ける計画があったことと、上越新幹線の新宿駅延伸を考え上下線を支障せずに東京・新宿方面から東北・上越方面へ相互に列車を走らせるためである。2003年4月1日より1番線の発車メロディには市の歌である「希望のまち」が使用されている。2007年9月30日からは2番線の発車メロディに地元のプロサッカークラブ大宮アルディージャの応援歌『Vamos Ardija』が使用されている。これは大宮アルディージャがさいたま市を通して要望し、変更費用を負担して行われたものである。3 - 11番線は東洋メディアリンクス製、19 - 22番線はテイチク製の曲が使用されている。2011年現在、大宮駅に停車する列車で車内放送で停車駅ごとに異なるメロディを使用するものは存在しないが、1982年から1991年まで、東北・上越新幹線の車内放送で「大宮をどり」が使用されていた。東武野田線(東武アーバンパークライン)の駅は、JR東日本1・2番線(京浜東北線)ホームの北東側にあり、島式ホーム(広義では頭端式)1面2線を有する地上駅である。駅番号はTD 01。駅業務は東武ステーションサービスに委託している。ホームは島式(広義では頭端式)1面2線。改札口は車止め方(南側)1ヵ所のみで、降車専用ホームはない。駅舎は駅ビル「ルミネ1」(当初は「大宮ステーションビル」)と一体化した造りで、東口へは「ルミネ1」の1階部分を通り抜けて出入りする。JR東日本・埼玉新都市交通との乗り換えや西口へ出る場合は、改札前にある(昇降はエスカレーターのみの)乗換連絡通路、もしくは数m先にある乗換階段を使用して、2階の中央自由通路へ出る。埼玉新都市交通(ニューシャトル)ののりばは、駅の東西反対側に位置するので、乗り換えには時間を要する。埼玉新都市交通(ニューシャトル)の駅はJRの新幹線ホームの北寄りの位置にある単式ホーム1面1線を有する高架駅である。ループ状になった線路の途中にあり、列車はホームで折り返さず、ループを右回りに周って折り返す(東から進入し、西へ出発する)。大宮駅の鉄道ホームの中で、唯一東西方向に設置されているホームである。JR改札口から少々歩く必要があり、JRからは北改札口が一番近い位置になる。東武野田線(東武アーバンパークライン)改札口からだと、中央自由通路を通る必要がある。当駅でSuica(相互利用カードを含む)を利用した時の履歴は「埼都大宮」と印字・表示される。また、当駅では鉄道博物館駅への往復乗車券も販売している。3社を合算した2013年度の1日平均乗車人員は約36万人である。埼玉県の駅では第1位。各年度の1日平均乗降人員数は下表のとおり(東武鉄道のみ)。各年度の1日平均乗車人員数は下表のとおり。駅前には高島屋、ルミネ大宮店のほか、多くの小規模店舗が軒を連ねている。なお、以前は長崎屋、十字屋、西武百貨店、ハタプラザなどの商業施設が立地していたが、駅ナカやさいたま新都心整備の影響を受け廃業している。駅から南側に250m進むと中央区上落合との境界がある。東口と西口の他、埼京線・川越線コンコースが地上階(ホームは地下)であり、西口側のルミネ大宮2の1階と直結している埼京線西口(1985年開設)と埼京線南口(2004年開設)がある。埼京線西口は7:00 - 22:00、埼京線南口はルミネ大宮2営業時間中のみ利用可能である。2016年時点では地元業者がすべて撤退し、日本レストランエンタプライズのみが営業している。JR駅で販売される主な駅弁は、を参照。
出典:wikipedia
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