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ダムド

ザ・ダムド (The Damned) は、1976年に結成されたイングランド出身のパンク・ロック・バンド。セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュと並んでロンドン3大パンク(バンド)の1つに数えられている。1976年、最初にシングル、およびアルバムをリリースしたロンドンパンクのバンドである。ただし、社会的批判・主張から生まれたパンク・ロックムーブメントの中にあって、彼らはザ・クラッシュやストラングラーズに代表される政治的・社会的な主張はあまり盛り込んでいない。しかし、当時の中でその圧倒的なスピード感と激しさと轟音による強烈なビート・サウンドは後に登場するハードコア・パンクに大きな影響を与えた。そういう意味では、パンクのサウンド面において大きな役割を果たした。2012年現在もデイブ・ヴァニアンとキャプテン・センシブルは活動を継続してコンスタントにライブを行っており、2008年11月には新作も発表されている。1975年、バンド関係の知り合いであったレイモンド・バーンズ(後のキャプテン・センシブル)と、クリス・ミラー(後のラット・スケイビーズ)がバンドを組むことになった。そこに、ラットが加入直前まで話が進んでいたロンドンSSというパンクバンドのギタリスト・ブライアン・ジェイムスが参加し、3人でSubterraneansを結成した。これがダムドの原型と言える。Subterraneansは間もなく自然消滅してしまうが、ここでセックス・ピストルズの仕掛人として有名なマルコム・マクラレンが関係してくる。彼の新しいパンクバンドのプロジェクトに、キャプテンとラットを引き込んだのだ。ボーカルには、後にプリテンダーズを結成するクリッシー・ハインドを据え、という名での活動を開始するが、このバンドもまた、本格的な軌道に乗ることなく消滅する。そこでキャプテンとラットの2人はブライアンを呼び戻し、マルコムがMasters of the Backsideに紹介したボーカル候補の一人であった、デイヴィッド・レッツ(後のデイヴ・ヴァニアン)との4人で新しいバンドを結成した。ダムドの始まりである。1976年、イギリスでパンクムーヴメントが吹き荒れる中、セックス・ピストルズのサポートを務めながら、ロンドンで行われた「100 Club PUNK Festival」などに出演、9月にStiff Recordsと契約を交わし、10月にロンドンパンクとして初のシングルとなる「ニュー・ローズ」をリリース(B面はビートルズ「ヘルプ」のカバー)。そして、翌1977年には、これもまた、ロンドンパンク初のアルバムである『Damned, Damned, Damned』(邦題・地獄に堕ちた野郎ども)をリリースした(プロデューサーはニック・ロウ)。同年にギタリスト、ルー・エドマンズが加入し、11月には2ndアルバムとなる『ミュージック・フォー・プレジャー』を発表。プロデューサーはピンク・フロイドのニック・メイスン。しかし、リリース直後にラットが脱退、続いてブライアンも脱退を表明し、1978年4月のライブを最後にダムドは一旦解散に至る。1978年春に解散したダムドであるが、早くも夏頃にはキャプテンとラットが再集結し、後に呼応したヴァニアンと、新たにベースにはアルギー・ワードを加えて本格的にダムドは再結成した。つまり結局は、ブライアンとワードが入れ替わり、キャプテンがギターを担当するようになっただけではあるが、今までの楽曲のソング・ライティングの大部分を担っていたブライアンが抜けたことで、結果的にバンドの音楽性は転換し、以前よりもポップ色を強めることになった。1979年にChiswick Recordsから発表したシングル「ラヴ・ソング」が本国イギリスで大ヒットし、その勢いのままアメリカツアーを敢行。帰国後に3rdアルバム『マシンガン・エチケット』をリリースした。この作品からは多数の曲がシングルカットされており、ダムドのベストアルバムとの呼び声も高い。1980年、ベースのワードが解雇され、後任にポール・グレイが迎えられた。そして、10月に4thアルバム『ブラック・アルバム』をリリース。バンドの音楽性はより多様になり、サイケデリック・ロック的な要素も強まった。この頃から、キャプテンはソロ活動に重きを置き始める。1981年、サポートメンバーとしてローマン・ジャグ(キーボード兼ギター)が参加、後に正式加入する。新たに契約したレコード会社がことごとく倒産するなどの不運が続き、バンドの存続が危ぶまれる時期ではあったが、なんとか翌1982年にはアルバム『ストロベリーズ』をリリースする。しかし、このアルバム制作途中にポールが脱退。ジャグの紹介で、ブライン・メリックがベーシストとして急遽加入する。1984年、キャプテンがソロ活動専念のために脱退。バンドの活動は区切りの時期を迎えた。キャプテン脱退後のダムドは、ヴァニアン色を強めたゴシック・ロック風の作風へと転換する。そして、翌1985年、MCAレコードからアルバム『ファンタスマゴリア』をリリース。続いて1986年12月には、7枚目のアルバムとなる『エニシング』をリリースした。1988年には、初期オリジナルメンバーのブライアンとキャプテンを加えた編成でライブを行った。その模様は、翌1989年に発表されたライブアルバム『ファイナル・ダムネイション』に収められている。さらに、1990年にはオリジナルメンバーのみでアメリカツアーを行い、また、来日もしている。1995年11月、9年ぶりのオリジナルアルバムとなる『I'm Alright Jack & the Beanstalk』(『Not of This Earth』)リリース。この作品はバンド外部のライターによる楽曲も多い。また、この頃、ヴァニアン、キャプテン側とラットが音源の権利のことで揉めたようで、結果、1996年にラットが脱退し、キャプテンが再加入している。そして、2001年、9thアルバム『Grave Disorder』をリリース。メンバーもひさしぶりに固まり2005年には来日し、小規模なツアーを行った。2008年11月に約7年ぶりとなる10thアルバム『So, Who's Paranoid?』をリリース。しかし、前作『Grave Disorder』同様、国内盤は発売されていない。2011年、結成35周年アニバーサリー・ツアーを開催し、翌年に来日公演。2015年、バンドのドキュメンタリー映画『地獄に堕ちた野郎ども』が公開。幾多もの大幅なメンバーチェンジや解散・再結成を行っている。また、非公式やごく短期間在籍のメンバーもいるが、ここでは割愛する。2012年現行のダムドは第9期となる(10thアルバム『So, Who's Paranoid』発売)。

出典:wikipedia

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