有田 哲平(ありた てっぺい、1971年2月3日 - )は、日本のお笑い芸人、司会者、放送作家であり、お笑いコンビくりぃむしちゅーのメンバーである。相方は上田晋也。愛称はアリペイ、アリペー。熊本県熊本市東区出身。ナチュラルエイト所属。身長173cm、体重80kg。幼少時から大学入学直後まで裕福な家庭で育つ。熊本大学教育学部附属中学校を経て、熊本県立済々黌高等学校に入学。ラグビー部に入部し上田と出会う。プロレスの話や2人が「お笑いスター誕生!!」を見ていたことで意気投合。高校卒業後、一浪して立教大学法学部に入学。弁護士を目指したが、早稲田大学を中退した上田からの誘いを受け、有田も大学を中退。1991年にコンビ「海砂利水魚」を結成し、コント山口君と竹田君の付き人となる。2001年9月に、『新・ウンナンの気分は上々。』の「負けたら改名」の企画にて、さまぁ〜ずとの対決に敗れた為、ウッチャンナンチャンの内村光良命名の「くりぃむしちゅー」に改名された事が話題になりブレイク。2008年、DVD『特典映像』で監督としてデビュー。小学校1、2年時には日本舞踊を習っていたが、今では何も覚えていないらしい。小学校半ばから笑いが好きで、当時は前述の通りお笑いスター誕生!!が好きだった。小学校の文化祭では友人と共にコントを作って演じていたが、コント自体はいつの間にか服を脱ぐような劇であった。熊本大学教育学部附属中学校在学中の2年生時にはアメリカにホームステイしていたこともある。高校のラグビー部時代、試合では上田がレギュラーであったのに対し、有田はベンチ要員だった。その上、ラグビーのルールをよく理解しておらず、ある試合で上田がボールを持ちトライするべくラインに向かって走ると、有田は何を思ったかチームメイトである上田にタックルを仕掛けたという。初めて出場した試合では試合慣れした様子を出そうと野次を飛ばし審判に注意された。その後気まずさを隠して歩いているとサイドフラッグに引っかかり右腕を折る。恥ずかしくて名乗り出られず、数プレーの間左手だけでボールを扱おうとするも上手くいかず、事情を知らないチームメイトから注意された。また、ある日ラグビー部の皆で将来の夢を話していた時、他の部員は「弁護士」「起業家」などと真面目に目標を述べていたが、有田は「俺は光GENJIに入る!」と真顔で豪語し、一同を呆れさせた。現役で明治大学法学部二部に合格していたが、上田に「一緒に早稲田に入ろう」と言われ熊本壺溪塾で浪人する。一浪を経て、上田は早稲田大学に合格するも、有田は敢え無く不合格。有田は上田がまた浪人してくれると思っていたそうだが、「お前は立教がいい」と言い包められ、結局立教大学に入学した。しかし、有田も上田と同様に大学での生活に馴染むことが出来ず、友人も殆ど作れなかったことから、しばしば一人ぼっちでキャンパス内のベンチに座り、煙草を吸いながら時間を潰していたといい、最終的に中退に至ったのも、この事に起因した部分もあったという。なお、コント山口君と竹田君によると、有田は大学中退に関しては少し迷ったようだが父親が亡くなってしまい、学生生活を続けることが出来なくなったのでそれでふんぎりがついたらしい。3人兄弟の次男。弟は放送作家の有田真平、兄は地元で教師をしているという。母は水泳でオリンピックの代表候補になる程の選手だった。現在も熊本県内にある室内プールで管理者の傍ら、子供達に水泳の指導を行なっている。2008年には、マスターズ世界水泳選手権の平泳ぎ・シニア部門で6位に入賞した。あまり練習せずに大会に挑んだそうで、もっと練習していれば3位以内には入れた、と悔んだという。父は広告代理店を経営していた。有田によると有田の父は厳格かつワンマン気質で有田を含めて兄弟全員その怖い父親が苦手だったらしく、一年を通して会話らしい会話はなかった。そのせいか有田は高校生になってからも父親の事を「パパ」と呼んでいたという(そう呼ぶように言われていた)。しかし、有田の大学入学後に会社が倒産、授業料を滞納する事態となった。それに関する父親からの報告と、有田からの「大学を中退してお笑いをやりたい」旨の報告とが偶然にも重なり、有田は勘当を覚悟したが、父親に「学費を納めなくていいなんてお前は孝行息子だ。それにやりたい事を見つけるなんて素晴らしい!」と絶賛されたという。後に知るが、その時点で会社が傾いていたらしく有田が物心付いた頃からずっと住んでいた思い出のつまった実家も売られていた。父親の事業破綻後に両親は離婚。程なくして父親が死去。祖父や祖母もそれと前後して立て続けに亡くなる。有田は後に当時を振り返り「大学の頃、夏休みに熊本の実家に戻ったら表札が『長谷川』に変わっていた。人づてに引っ越し先を調べて訪ねてみると、有田家は安&ボロアパートに様変わりしていた」と述べた。有田がやっとそのアパートを探し当てると父親は「言い訳じゃないけどな、ここ(安アパート)に住み始めたらこっちの方が住みやすいなあと思ってな」と言ったそうだ。その後、有田がお笑いの道を志すことを承諾した父親が有田に50万円をくれたが、どうやらそのお金はサラ金で借金して作ったお金だったらしく、それを最後に父親は亡くなった。有田が『王様のブランチ』の中継コーナーのレギュラーだった頃、ゲストレポーターのX-GUNが「有田の売られてしまった実家に潜入」という趣旨の企画で有田の元実家を訪れたことがある。昔有田の部屋だった所は物置となっていたが、有田が壁に落書きした「飛龍」の文字は残っていた事が判明したので有田はレポートをしてくれたX-GUNに感謝した。いとこは小説家の鵜波美布(代表作に『武運』等)。伯父(有田の母親の兄)は政治学者で、日本初のノーベル賞選考委員やスウェーデン王立アカデミーの会員を務めた矢野暢。「幼少期より、よく両親から『親戚にいる大学教授の伯父さんを見習え』と言われていたが、その人がセクハラで訴えられた」というネタをよく使う(セクハラの詳細は矢野事件を参照)。あごがしゃくれている。年々太ってきており、数年前に『笑っていいとも!』に出演した際には、「デビュー当時と比べて15kg程太った。」と明かした。ファンや上田から、とろサーモンの久保田和靖に似てきていると指摘されており、視聴者が久保田を見て有田と間違った事もあるらしい。有田と久保田はあまりにも周りから似ていると言われるので、ついに2013年9月2日のグリグリくりぃむで「どっちが有田でどっちが久保田」という企画が行われた(企画内容は本物の有田の座をかけ、有田と久保田が有田の得意とするいろんな競技で対決し、勝った方が本物の有田と認定されるというものだった)。タレントのヒロミが経営する加圧トレーニングジムに通っていた事があり、番組で共演した際に“成果”を披露したが、ヒロミは突き出た腹を見て、「営業妨害だよ!」と呆れていた。人間ドックで脂肪肝が判明し、ウエストの測定結果は97cmという危険な数値(メタボリックシンドロームの基準値は85cm)だったため、2007年の11月から炭水化物を完全に抜き、年内に体重を75kg、ウエストサイズを85cmにまで減らす事を同年放送の『オールナイトニッポン』で宣言した。そして同番組にて年末に体重測定を行った結果、83kgから76kg(脱衣時75kg)にまで減量していたが、約束の体重を1kgオーバーしていた為、上田の取り決めにより番組内で罰ゲームをする羽目になった。翌2008年6月24日の放送で久々に体重測定を行った結果、82kgへと再びリバウンドしてしまった。高校時代から芸人デビュー前まで、寄生虫持ちだったため、今とは比べ物にならないほどスリムな体型だった。高校時代にラグビー部を引退した後、上田共々部活をやっていた頃と同様の暴飲暴食を辞められなかったことから、上田が急激太りだしたのとは対照的に、全く太ることは無かったという。一方で、その当時は年に4回ほど尻の猛烈な痒みに苦しめられてもいた。頭髪が薄く、自身は祖父からの隔世遺伝であると述べている。育毛剤を使用しているが、その育毛剤の力を強くする為に「モミダッシュ」なる頭皮洗浄用の機器を使用している。2008年5月1日放送の『アリケン』の企画で、左頬のシミを消すプチ整形を行った。大のプロレスファンで、自身の芸風にも活かされている。メジャー・インディー団体問わず、選手やマット界の動向にも詳しい。また、毎週欠かさずに週刊プロレスを愛読(第一号から全て)する他、多くのプロレスグッズも所有している。『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した際には、同誌をタモリへのお土産として持参した事がある。長州力の大ファンであり、自身の著書で有田は「大げさでも何でもなく(長州力は)僕の師匠です。何かあると長州力の語録やインタビューや試合を見て自分自身にカツを入れてきました」と記している(そして長年の思いが叶い、週刊プレイボーイの2011年1/17~1/24号にて有田と長州力の対談が実現した)。敬愛するアントニオ猪木の引退試合を観戦した際、入場時には声援を送っていたものの、肝心の試合時に居眠りしていたのを『ダウンタウンDX』のコーナー「視聴者は見た!」で暴露される。この回には猪木本人も出演しており、すぐにビンタ制裁を受けた。『ハッスル・エイド2006』では、自前の「高田総統」のコスプレをしてオープニングに登場。翌2007年12月31日の『大晦日!ハッスル祭り2007』でも、高田将軍(戦国時代バージョン)が現れた後に、有田総統としてリングに登場した。2010年7月に「プロレスラー 伝説のビッグマウス!」というプロレス本を出した。なおその本には同じくプロレスが好きなケンドーコバヤシとの対談も収録されている。有田はプロレスから場を活性化させるための仕掛けや反骨心を学んだと言い、プロレスとは魅力的なジャンルでレスラーの言葉には人に影響を与えて動かす力があると述べている。TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の大ファンで、『アメトーーク!』に「エヴァンゲリオン芸人」として出演した事もある(2008年4月24日放送)。いわゆるヘビーゲーマー。『オールナイトニッポン』等で、ゲームソフト『実況パワフルプロ野球9』(コナミ)の「サクセスモード」について熱く語っていた事があり、『パワプロクンポケット7』には有田をモデルにした「有田修吾」というキャラクターが登場した。また、定期的にオールナイトニッポンのスタッフ達を集めてパワプロ大会を行っているという。しかし、実際の野球にはあまり興味が無い上に疎い。『龍が如く』(セガ〈後のセガゲームス〉)に関しては、同番組で面白いゲームであると太鼓判を押したため、本人が知らない内に「くりぃむしちゅー有田も大絶賛」というキャッチコピーを付けられていた。後にマネージャー大橋によりその仕事を引き受けていたことが判明した。好きな音楽ジャンルはヒップホップ。ヒップホップアーティスト・ZEEBRAとも親交があり、『シュガーヒルストリート』では、「ALI-T(途中からFAKE-Aに改名)」に扮してZEEBRAと一緒に司会を務めた。これが縁で、ZEEBRAのシングル「Stop Playin' A Wall」のプロモーションビデオにも出演している。ほかに、兄の影響からビートルズのファンでもある。ビートルズが好きなあまりビートルズのコピーバンドの店に行くほど。一番好きなビートルズのアルバムは「リボルバー」。なお、ビートルズ全曲をイントロ1秒のみ聴いて曲名を当てることが出来るという特技の持ち主でもある。またギターを練習して、『くりぃむナントカ』のスタッフらと共にバンドを結成、ボーカルとしてビートルズの楽曲でライブを開催したり、映画『アイアンマン』他のDVD販促キャンペーンでは自作の「応援歌」を披露した。映画鑑賞が好きで好きな日本映画は天城越え (松本清張)。映画好きが高じてなんでもアリタっ!と題する「有田哲平と設楽統をなんでも自由に使い映画監督に短編映画を撮ってもらう」という企画のバラエティ番組もやった。2005年にスター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐が公開された際にはスター・ウォーズにはまっていたが、本人曰く「ドハマりすると飽きも早い」らしく、マネージャーが家に来た際、スター・ウォーズのグッズをすべて譲った。2014年4月25日には伊集院光のラジオ、伊集院光の週末TSUTAYAに行ってこれ借りよう!にゲスト出演。有田がお勧めした映画はアメリカのホラー映画 エスター。ほかに、2015年12月4日公開の007 スペクターに先駆けて同年10月に『007』シリーズの世界での宣伝史上初となる『007』公式アンバサダーとして、有田が就任した。カジノが好きで、海外旅行は専ら韓国やアメリカ等のカジノがある国が多い。韓国のカジノで熱くなりすぎて負けが込み、現地に居合わせた見ず知らずの日本人や、当時ほぼ初対面であった美川憲一にお金を借りたらしい。ちなみにそのお金は、日本に帰国してすぐに2人の元へ返しに行ったという。菅野美穂の大ファン。2009年1月19日放送の『しゃべくり007』で念願の対面を果たした。その後も菅野と共演する度にネタにされ、彼女が独身だった当時は『ペケ×ポン』では○回正解する度にメールアドレス交換やデートといった特別ルールが設けられていた。近年ではテレビ局等に企画を持ち込み、自分立案企画の番組をやる場合もある。 この件に関して有田はとあるインタビュー記事で「自分がどうしたいかを考えるのは好きなんです。ただ、それが必ずしも面白くならなかったりするんですよね。で、“こんな企画できましたー、やってくださーい”って言われてやる方が意外に楽しくなったり」と述べている。なお、その記事では件の有田の発言の次に「でもいつかは、自分が面白いと思ったものが他人にも間違いなく面白がられるようになりたいと思っている。」とも書かれている。格闘技ネタを得意とする。ものまねのレパートリーは、自身が大のプロレスファンという事もあり、プロレスラーが多数を占めている。中でもアントニオ猪木のものまねは、『内村プロデュース』での「○○で勝利するをプロデュース(スポーツシリーズ)」で内村光良のふりで披露、後に鉄板ネタとなった。長州小力がする長州力のものまね「キレてないですよ」(実際は「キレちゃいないよ」である)は、有田のネタが元となっている。後に『笑いの金メダル』で小力と組んで「W長州」としてネタを披露した。ほか以下は、有田哲平のみの出演番組を記載します。コンビでの出演番組は、くりぃむしちゅーの項目を参照してください。
出典:wikipedia
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