多賀宮(たかのみや)は三重県伊勢市豊川町にある外宮(豊受大神宮)の境内別宮である。第62回神宮式年遷宮(2013年)では、別宮の中では荒祭宮に次いで10月13日に遷御が行われた。多賀宮は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)にある。別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。山頂にあるので高宮(たかのみや)であったが、縁起のよい字を当て多賀宮(たかのみや)になったと考えられている。従って、多賀大社(こちらは「たが」と濁って読む)やその祭神である伊邪那岐命・伊邪那美命とは関係がない。外宮の別宮は多賀宮のほか境内に土宮(つちのみや)と風宮(かぜのみや)、境外に月夜見宮(つきよみのみや)があるが、多賀宮がもっとも古く、外宮の4別宮のうち、『止由気宮儀式帳』(804年)と『延喜式神名帳』に記載されているのは多賀宮のみである。祭神が外宮の祭神の豊受大御神の荒魂である豊受大御神荒魂(とようけのおおみかみのあらみたま)であることから、4別宮の中で最高位とされる。正宮前の池の横の亀石を過ぎ、土宮と風宮の間にある石段を98段登った丘の上に多賀宮がある。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。足腰が悪く丘の上に登れない者のために、麓の池のほとりに多賀宮遥拝所が設けられている。由緒は定かではないが、雄略天皇22年(478年)の外宮創祀と同時に創建されたと伝えられている。明治から『大神宮式』を基準とし高宮の表記が廃止され、多賀宮とのみ呼ばれるようになった。多賀宮専用の忌火屋殿があったが、明治に廃止された。第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)7月29日、宇治山田空襲により御階が燃えたものの、警備隊が体をこすりつけて消火し、社殿は無事であった。外宮正宮に準じた祭事が行なわれ、祈年祭、月次祭、神嘗祭、新嘗祭の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)がある。皇室の勅使は正宮に続き、外宮の別宮のうち多賀宮のみに参行する。多賀宮の社殿は外宮に準じ外削ぎの千木と、5本で奇数の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面している。遷宮のための古殿地(新御敷地)は東西に隣接している。
出典:wikipedia
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